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第382話

「全くですよ。やはり都の者は誰一人として信用出来ません。という冗談はさておき、都への侵略の方が数としては多かったのでは?」

「どうかな。厳密に数えた訳じゃないけど、かもしれないね。彼らはまず都の覇権を奪おうとしたんだと思うよ。そしてまた時間をかけて都を侵略してから地上を制覇しようとしていたのかな」

「それしか考えられないでしょう。地上へはまず牽制を。そして本丸はどう考えても都を落とす事だったと思います。それを千眼にやらせたのが彼らの敗因ですね」

「千眼では役不足だったと?」

「ええ。彼には人を惹き付ける魅力がありませんから。良くも悪くも優秀な水龍。それだけです。それならばまだ謙信の方が良かったと思いますよ」

「言うねぇ。まぁ君がこの世にいる限り水龍の評判はずっとそこ止まりだと思うよ。これからも。いや、これからは君と千隼くんが戦う事になるのかな?」


 冗談交じりに笑いながらそんな事を言う羽鳥を軽く睨みつけて千尋はお茶を飲んだ。


 戦いが始まるまではあれほどの時間を使って準備をしたというのに、いざ始まってみれば一瞬だった。気がつけば戦いは終わり、こうして鈴の歌を聞きながらお茶を飲んでいる。


 けれど一歩間違えたらこうやってお茶を飲んでいたのは謙信達かもしれないのだ。


 お茶を飲み終えた千尋達は立ち上がり、食器と蓄音機を持って温室を出た。そして大量の便箋と筆を羽鳥に手渡す。


「さて、ではお礼のお手紙を書きましょうか、羽鳥」

「そうだね。彼らもこちらからの連絡をきっと待っているだろうから」


 部屋の中には抜けた屋根から日が降り注ぎ、足元には壊れた食器や調度品、棚から落ちた本などが散らばっている。


 その中央で千尋と羽鳥は蓄音機から流れる鈴の歌を聞きながら、全世界の龍に宛てた手紙を書き続けた。



 龍の都に長年蔓延っていた悪意は、たった一日で全てが一掃された。


 けれどそれは千尋達や他の高官達がそれまで月日をかけて裏で準備をしてきた事の結果だ。


 後にこの事は龍の都の最大の転換期で、龍伝説として今も教え伝えられている。


 伝説の功労者の中には今回の中心人物達の名前と、一人の人間の少女の名があった。


 伝説には長きにわたって続いた龍本位の支配が終わりを告げて、原初の水龍が望んだ通り龍と人とが共に手を取り合う時代がやってきたのは、この少女と原初の水龍の生まれ変わりのおかげなのだと書かれていた。



♥ 

 最後に千尋が会いに来てくれた日からさらに半年ほどが過ぎ、鈴は随分と子どもらしくなった千隼を連れて菫とマチ、そして雅と共に街に買い物に来ていた。


「珍しく男どもも良いこと言うじゃないか! たまには皆で一日遊んで来いだなんてさ!」

「本当ね。言い出しっぺは誰なの?」

「楽さんです! 菫ちゃんが進級したお祝いをまだしてないって伝えたら、丁度良いからたまには遊んでこいって」

「そ、そうだったんだ」


 思わずと言わんばかりに頬を染めた菫を見て鈴が微笑むと、隣でマチも目を細めている。


「楽さんは相変わらず優しいわねぇ。菫、ちゃんと楽さんを大事にしないと駄目よ」

「母様まで! 何だか最近やけに皆して楽と私の仲を疑ってない?」


 菫の言葉に鈴はマチと顔を見合わせて慌てて首を振った。鈴もマチも菫の天邪鬼な性格を良く知っている。


「ははは! いいじゃないか、別に。なんだい、菫は楽じゃ不満かい?」

「ふ、不満とかは無いわ! ただ何て言うか、は、初めてなのよ。私にこんな風に良くしてくれるだ、男性って……」

「なんだ、菫はモテないのかい?」

「モ、モテる訳ないでしょ!? こんな可愛げのない女、どこへ行っても厄介者扱いよ!」


 菫のそんな言葉に思わず鈴は眉を釣り上げた。どこの誰がそんな事を言うのだ! 菫はこんなにも可愛いと言うのに!


「そんな事ないよ! 菫ちゃんは可愛いもん! 世界で一番可愛いよ!」


 思わず往来で意気込んでそんな事を言った鈴に、菫は少しだけ目の下を赤らめて言う。


「あんたにモテてもしょうがないのよ、鈴」

「まぁまぁ。で、次の予定はレストランで昼食食べて、その後フルーツパーラーでお茶して、その後佐伯家跡地だっけ?」

「はい!」


 今日のお出かけは皆で活動写真を見に行くだけの予定だったのだが、出掛けに勇がレストランの予約をしたから皆で昼食を食べて来いと言ってお金をくれたのだ。


 それならついでだとばかりに雅がお茶代を出してくれるというので、フルーツパーラーも予定に入った。


 それから少し歩いて皆でレストランに入り料理を待っている間、ふとこんな話になった。


「でも何だって佐伯家跡地なんだい?」

「色々あってそう言えばまだ元ご近所の皆さんに挨拶出来なかったなと思って。的場家の本家のように歓迎してくれるかどうかは分かりませんが……」


 本当は千尋とも一緒に来たかったが、生憎それは叶わない。なので、今回鈴は写真をしっかりと持参してきた。


 鈴の言葉に何かを思い出したのか、雅が歯を見せて笑う。


「的場本家な。あれは凄い歓迎だったな!」

「はい!」

「すみません、本当に……お恥ずかしい……」

「本当よ! 私ももみくちゃだったわよ!」

「菫ちゃんお祖母様の涙でぐちゃぐちゃだったもんね」

「あんたもじゃないの。何なら千隼くんが一番酷かったわよ」

「確かに」

「まぁま」


 何を思い出したのか、千隼は嬉しそうに鈴の膝の上で足をバタつかせる。


「楽しかったね、千隼。また行こうね」


 的場本家には何度か写真を送っていたけれど、ついこの間初めて鈴達は千尋を除いた皆で的場本家に挨拶に行った。


 的場本家の人たちは偉い人たちから神森家の事を聞かされていたようで、それはもう最初は畏まっていたのだが、後からやってきた祖父母は鈴を見るなり「菊子!」と叫んで飛びついてきたかと思うと、玄関先でそのまま大声で泣き始めてしまったのだ。


 そこに菫まで顔を出したものだから鈴と菫は二人の気が済むまで玄関先に立たされ、泣き続けた。それは鈴にとってずっと夢見ていた時間で、鈴も最後には大声で「grandpa,grandma!」と泣いてしまったのは言うまでもない。


「でも安心したよ。やっぱりあんた達の親戚はあんた達にそっくりでさ」

「そうかしら?」

「ああ。あたし達の正体を聞いても慌てたり驕ったり言いふらしたりしなかった。それだけでも大したもんだよ」


 雅はそう言っておかしそうに目を細める。


「雅姉さん、それはその、多分上からの圧力が凄かったからだと思うのだけれど……」

「だとしてもさ。それにかこつけてご相伴に預かろうって輩じゃないって分かっただけでも、あたし達にとっちゃ嬉しい事だったんだよ」


 雅の言葉に鈴は思わず頷いた。神森家に嫁ごうとしてきた花嫁たちの経緯を何度か雅に聞いた事があるが、どこの家も花嫁自身の事よりも千尋の肩書が目当てのようだったからだ。


「確かにうちの親戚はそういう部類の人間ではないわね。どこまでも悲しいほどお人好しなのよ」

「こら! 菫!」

「でもそのおかげですんなり私を受け入れてくれたのです! そして今度は私達の事も受け入れてくれた。だから私はやっぱり的場家の皆が大好きです!」


 何よりもこんなにも日本人離れした顔立ちの鈴を見て一番に「菊子」と呼んでくれたのが嬉しかった。母親の事を覚えてくれている人がここにも居る。それだけで何だか心強かったのだ。それに的場家は父親の事も褒め称えていた。その理由が未だに分からなくて何気なく問いかけてみる。


「そう言えば、どうして皆dadの事まで褒めてたんだろう?」


 その質問に答えてくれたのは菫とマチだ。


「菊子叔母様が嫁ぐ予定だったお家ね、少し前に取り壊されてんですって」

「そうなのかい?」

「そうなんです。長い間何代にも渡ってずっと不正をしていたとかで、一家離散したんだそうです。子どもたちも財産も全て行政やご近所に引き取られてしまった、と。そして肝心のご当主とその奥様は一生監獄行きだそうで……。もしあの時そこへ菊子さんが嫁いでいたら、もしかしたらそうなるのは菊子さんだったかもしれない。そう思ったのだと思います。だから余計に的場の人たちはフレックスさんに感謝をしていたみたい。結果として二人共亡くなってしまったけれど、鈴ちゃんが生まれて龍神さまに嫁いで子どもまで生まれるだなんて思っても居なかったと思うの。だからその事を本当に心から感謝しているって勇さんが言ってたわ」

「そりゃ災難だったね。鈴は本当に強運だね」

「はい! dadとmumが今もずっと守ってくれているので!」


 意気込んで鈴が言うと、また千隼が暴れ出す。


「まんま! まんま!」

「小さい龍がお怒りだよ、腹減ったって。いや、これは下ろせかな?」


 雅は笑いながら鈴の膝の上から千隼を取り上げて水を飲ませてやっている。


 千隼は一歳になって少ししたらあっという間につかまり立ちをしだし、今は物を伝って歩くようにまでなった。それが楽しいのかどうか分からないが、今はもう抱っこよりもとにかく下ろせとせがんでくる。


「子どもの成長は早いわね。ついこの間生まれたと思ってたのに」


 下りるのだと言って暴れる千隼を見て菫が感慨深そうに言うと、マチは真剣な顔をして頷いた。

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