「はい。千尋さま、泣いてました。きっと本当は凄く辛かったと思います。でも……それでもあの人は水龍として最後のお役目を果たしたのだと思います」
「あんたがそう思ったのなら、きっとそうなんだろうね。次に会ったら思い切り甘やかしてやりな」
「はい!」
どう考えても甘やかされるのは鈴の方なのだが、それでも鈴は笑顔で頷いてリビングに戻った。
リビングでは皆が千隼を相変わらず褒め称えている。
「鈴、顔が引き攣ってるよ」
「え、そ、そうですか?」
あの時千尋に言われた事と全く同じことを言われて鈴はすぐに笑顔を浮かべたが、やはり千隼の将来が心配だ。こんな頃からこんな風に持ち上げられて大丈夫なのだろうか。
「不思議ですね。皆が千隼を褒めてくれるのは嬉しいのですが、それと同時に傲慢な子になったりしないかとか、偉そうになったらどうしようとか、同じぐらい心配になるのです……」
「ははは! 神妙な顔してるなと思ったらそんな事心配してんのかい? 大丈夫だよ! この子はあんたと千尋の子だ。傲慢にも偉そうになる要素も無いじゃないか。ただ甘えたにはなるかもしれないねぇ。それこそ夜中に一人でお手洗いに行けなかったりとかね」
「雅さん!」
そう言ってニヤニヤする雅に鈴は笑いながら拳を握って抗議した。
ようやく全てが終わったのだ。
けれどそれは、しばらく千尋と連絡がつかなくなるという事だ。
いつ迎えに来てくれるのかも分からない。いつまで待てば良いのか、どれほど時間がかかるのかも分からない。鈴に出来る事は千尋を信じて待つ。それだけだった。
翌日、屋敷に各所の偉い人たちがぞろぞろとやってきた。
最初は一人ひとりに説明をしていたけれど、何度も何度も説明しないといけないかもしれないと分かった時点で、雅が全員集まるまで待てと言い出した。
その間皆を接待していたのは鈴と楽と千隼だ。
「おー! お兄様の龍のお姿しか見たことが無かったが、赤子の時はこんなにも愛らしいのか!」
「幸之助! いつまで独り占めしてるんだ!」
「そうよ。ほら、千隼さん、こちらにいらっしゃい」
「お祖母様、ぼ、僕も抱きたい」
代わる代わる皆に抱っこをされて千隼はひたすら喜んでいた。そしてその数が増えていく度にあちこちで可愛がられている。
「楽さん、千隼さんは人型には戻らないのかしら?」
ふと、節子がたらい回しにされている千隼を見て尋ねた。それを聞いて鈴も頷く。千隼は龍の姿になってから一度も人の姿に戻っていない。
「私も思っていたのですが、やはり龍の姿で居るのが楽なのでしょうか?」
「あー……まぁ、しばらくはそうかもな。俺が小さい頃もそうだったみたいだし、羽鳥さまの所の子も小さいのは全員龍だったよ」
「そうなのねぇ……では人の姿の千隼さんを見る事はもう出来ないかもしれないのねぇ」
節子は鈴達がいつか千尋について都に行くことを知っている。だから余計に悲しそうなのかもしれない。
そんな節子を見て鈴はようやく戻ってきた千隼を目の高さまで抱き上げて言った。
「千隼、よく聞いて。千隼が地上に居られるのはもうそんなに長くないの。ママ達はいずれパパの所に行くんだよ。それまでに千隼を地上の色んな所に連れて行きたいんだ。でもね、周りを見て。他の誰も龍の姿をしていないでしょう? この地上では人の姿でなければどこへも行けないの。分かる? もうこの間みたいに外でご飯を食べたり美味しいお菓子を買いに行ったり出来ないんだよ」
「いやいや、お前まだ生後半年だぞ? そんな事言ったって分かるわけ――」
楽が笑いながら続きを話そうとしたその時、突然千隼が身体をブルブルと震わせた。そして低い声で唸ったかと思うと、ポンと人型に戻ったのだ。
そんな千隼を見て楽がおかしな声を上げて仰け反り、周りの皆も驚いている。ちなみに鈴も驚いた。
「す、すげぇ……流石千尋さまの子……」
「楽さん、龍は皆こんな風に聞き分けが良いの?」
「さ、さあ? 俺にもちょっと分からないけど、もしかしたら……」
楽はそう言って鈴の手から千隼を取り上げると、小さな角をつついた。
「惜しいな、千隼。これも直さないとお菓子食べに行けないぞ」
「うー!」
楽が言うと、千隼は千尋の鱗を握りしめてまた唸る。すると、今度はちゃんと角も消えたではないか。
「ち、千隼はもしかしてお菓子に……つられて……?」
「……かも」
「……」
皆が静まり返った。そんな沈黙を破ったのは節子の孫だ。
「凄いね千隼くん! はい、頑張ったからこれ、お菓子だよ!」
彼は持っていたビスケットを開けて千隼に手渡そうとしてくれたので、鈴は彼にスプーンを渡して言う。
「ありがとうございます! 砕くと食べるのでやってみますか?」
「はい!」
鈴の言葉に彼は嬉しそうに砕いたビスケットをスプーンに乗せて千隼の口に運ぶと、千隼は嬉しそうに食べ始めた。
そんな光景をじっと見ていた雅がふと口を開く。
「食い意地が張ってんねぇ。これは鈴似か? それとも千尋か?」
「楽じゃないか?」
「自分もそうだと思います」
「なんで!?」
弥七と喜兵衛にそんな事を言われて楽は顔を真っ赤にしているが、そんな神森家を見て節子が笑いながら涙を拭う。
「寂しくなりますねぇ、あなた」
「本当だな……お兄様にもろくにお礼も言えずに……」
涙ぐむ二人に周りの人達も神妙な顔をして頷く。そんな皆を見て鈴は言った。
「大丈夫です。千尋さまはきっと、今度は友人として皆さんの所へ降りて来られると思います。その為にあの方は私達を置いてたった一人で戦場に向かったのですから。そして昨日、ようやくその戦争が終わりました。後はもう待つだけです!」
満面の笑みを浮かべて鈴が言うと、皆はホッとしたように誰ともなく笑い出す。
その後、全員が集まったので雅が昨日あちこちで見られた青白い光と龍目撃事件についてを説明した事で、ようやく皆は納得したようだった。
「そうだったのですな。海外からもあれから色々と連絡が入っていましてな、それに続いてお兄様目撃情報があったからこれはきっと天で何かあったのだと思いましたが、そうですか……お兄様は最後の最後まで地上を守ってくださっていたのですなぁ」
辰巳のその一言を聞いてギョッとしたのは神森家だ。
「か、海外からも連絡があったのかい!?」
「ええ。各国から青白い光が空を照らしている。そして天からの通達により厳戒態勢が敷かれているが、何か分かる者はいるか、と」
「雅さん、それって……」
「千尋だろうね。あれじゃないか? あの円環って奴。でも他所の国にも龍から通達があったのか。てことは、都の誰かが予め根回ししたんだろうねぇ」
「千尋さま……」
確かにあの山から見る限り、至るところで空が青白く発光していたが、まさかそれほどまでの力を千尋が使っていたとは露にも思わなかった鈴だ。
思わず千隼の小さな手を握ると、千隼はいつものようにすかさず千尋の鱗を貸してくれる(そして相変わらず涎まみれだ!)。
「ありがとう、千隼。大丈夫。パパは元気だよ」
「うー!」
もちろんだとでも言いたげな千隼に鈴は逆に慰められてしまった。
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山の麓へ下りると、そこには沢山の龍が集まっていた。皆、憔悴した様子でこちらをじっと伺い、千尋達が何か言うのを待っている。
「流星、出番です」
「そうだよ、流星。ほら早く。読むだけだから」
「頑張れ! 流星!」
「ちょちょ、押さないで! 読むだけってそんな簡単に!」
皆にぐいぐい押されて折りたたまれた原稿を持って流星はたじろぎながら皆の前に出ると、何か考えるように視線を巡らせやがて小さな息を吐いた。