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第379話

「さぁ、全てを終わらせましょう」


 千尋は都が見渡せる山の上から円環を都に向かって放った。


 あれほどの力を使い切ったと思ったのに、やはり千尋は鈴の一言で、たった一度の口づけでこれほどまでに力を回復してしまうようだ。


 勝負がつくのはほんの一瞬だった。それまで暴れ狂っていた千眼の軍は千尋の放った矢に貫かれ次々と消えていく。円環の矢は千尋が敵と認識している者たちをどこまでも追いかけ、追い詰める。


 やがて千眼がそんな千尋に気づいたのか、雄叫びを上げながら突進してくるのが見えた。


「残念ですが、あなたと話すことなどもう何もありません。さようなら、千眼」


 千尋は最後の矢を真っ直ぐに千眼に向けて放った。それに気づいて千眼も慌てて矢を出したが、その矢は千尋の矢にいとも容易く飲み込まれ、そして千眼をも飲み込んで消えた。


 後にはもう何も残っていない。ただ、千眼を形どっていた粒子のような光りの粒が辺りを舞っただけだった。


 千眼が居なくなった事で千眼の軍は戦意を喪失したのか、ただ呆然として千尋の矢を受け入れた。きっとこの先に残された自分たちの未来がはっきりと見えてしまったのだろう。


 こうして、ようやく全ての戦いは終わりを告げた。始まりも終わりも振り返ればあっという間だったように思うが、これから都は復興していかなければならない。問題はまだ山程ある。それでもほんの一時、千尋はようやく肩の力を抜くことが出来た。


 人型に戻りその場に座り込むと、袂に仕舞っていた鈴と千隼と三人で撮った写真を眺め指先でなぞる。


「終わりましたよ、二人とも。後はあなた達を迎えに行くだけです。その前に少しだけ時間をくださいね。あなた達に何の憂いも心配も抱かせないよう、この土地をきちんと整えなくては」


 千尋の言葉に写真の中から鈴と千隼の笑い声が聞こえてきた気がして千尋は目元を緩めた。


 そこへ頭上から掠れた流星の声が聞こえてくる。


「千尋くーーーん!」


 その声に気づいて写真を仕舞い顔を上げると、そこには流星と息吹、そして羽鳥が居る。三人の姿はどれほど熾烈な争いをしたのかと思うほどボロボロだ。


 三人はこちらに降りてきて千尋に抱きついてきた。


「最後の最後はやっぱ原初の水龍だったね! あと半時千尋くんが来るの遅かったら、本気でやばかったよ!」

「あいつら、どこからともなく湧き水みたいに湧いてきたんだぞ! もう本気で負けを覚悟したよ!」

「疲れた……僕は元々戦闘には向いてないんだよ……それなのに誰も寄越してくれないんだからさ。途中で栄が来てくれなかったら今頃大気に戻ってたよ」

「それはそれは、お疲れ様でした。それで、こちらの被害は?」


 千尋の問いかけに皆が視線を伏せた。そんな顔を見て全てを察する。


「……そうですか。後で散ってしまった高官達の名を教えて下さい。慰霊碑を作りましょう。それから市民の分も。その後はすぐに復興作業に入りますよ」


 千尋が言うと、三人は無言で頷いてようやく顔を上げた。その顔には悲しみと疲れが浮かんでいる。


 大変なのはここからだ。千尋は大きな息を吐いて皆と一緒に空に舞い上がった。



♥ 

 雅達が戻ってきたのは鈴と千隼が一生懸命に山を下っている時だった。


「お前! 何でそんなとこに居んだよ!」


 空から鈴達の姿が見えたのか、龍の姿の楽が頭上で鈴達に向かって叫んでくる。


「楽さん! 皆さんもおかえりなさい!」


 嬉しさのあまり鈴が叫ぶと、楽の頭の上から雅と喜兵衛、そして弥七が飛び降りてくる。


「鈴! あんた、どうして忠告通り菫の所に行かなかったんだい!?」

「まぁまぁ姉さん。そのおかげで自分たちは助かったんですから」

「そうだぞ、姉御。千隼の矢のおかげであの親玉倒せたんだろうが」

「そりゃそうだけど……いいかい! 今度こんな事したら頭バシーンするからね!」


 怖い顔でにじり寄ってきた雅に思わず鈴が頭を押さえてコクコク頷いて見せると、ようやく雅は笑った。


「にしても千隼! いつの間に龍に変身出来るようになったんだい!?」

「可愛いが過ぎるな。ほら、こっち来い」

「あ、自分も抱きたい。弥七、そっとだぞ!」


 二人が千隼を取り合う中、楽がようやく人型に戻って駆けてきた。そしてその勢いのまま鈴と雅に抱きついてくる。


「が、楽さん?」

「皆、無事で良かった……俺、誰か一人でも欠けたらどうしようって、そればっか考えてて……」


 鼻声でそんな事を言う楽の背中を撫でた鈴は、隣で全く同じことをしている雅と顔を見合わせて笑う。


「もう大丈夫だよ、楽。千尋も言ってたろ? 今頃都も片付いてるよ」

「うん……うん……」


 グスっと鼻をすすった楽はようやく顔を上げて千隼を見ると、千隼の頭を撫でながら言った。


「ありがとな、千隼。皆を守ってくれて」

「うー!」


 涙目の楽を心配したのか、千隼は楽に千尋の鱗を差し出している。それを笑いながら受け取った楽は涎でベタベタの鱗を受け取って苦笑いだ。


「それにしても、こんなちっちゃくても水龍なんだなって感心したよ」


 千隼の頭を撫でながら言う雅に鈴も頷く。


「私もびっくりしました! 龍というのはこんな赤ちゃんの頃からあんな力を発揮するのですね!」

「んな訳ねーだろ! 千隼が特別なんだよ! こんな生まれて半年であんな数の矢出した挙げ句に全部急所に命中させるとか聞いた事ねぇよ!」

「そうなのですか?」

「そうなのですよ! 普通の龍の赤ん坊がようやく力を使い始めるのはせいぜい二歳とかそこらからなんだぞ。それもほんの小さい力だ。火龍だったらチョロ火出すぐらいなんだよ!」

「そうなのですか!?」

「そうなのです! だからこれは流石千尋さまの子だなって事だ。もしかしたら千隼が原初の龍の生まれ変わりかもな」


 笑いながらそんな事を言う楽に鈴は笑ったけれど、ふと呟いた。


「誰の生まれ変わりであっても、この子には辛い思いはさせたくありません。出来るだけ力を使わずに幸せになって欲しいです」

「それはそうだな。あんな力、使わない方が良いに決まってる」


 それから皆で山を降りて鈴と千隼がお風呂に入って泥を落としていると、その間ずっと引っ切り無しに電話が鳴り響いていた。


 鈴が急いで千隼の身体を洗い自分の身体も洗ってお風呂から出ると、廊下で雅が誰かと笑顔で電話している。


「うちの屋敷の上に龍が見えたって通報が後を立たない? んな訳ないだろ! 集団幻覚だって言っときな! まぁ詳しい事はまた説明するよ。明日にでも誰かこっちに寄越してくれるかい? ああ、頼んだよ。それじゃあね」


 電話を切った雅はため息を落としてこちらを見ると、歯を見せて笑う。


「幸之助だよ。千尋がさっきここに降りてきただろ? それが色んな人に見られちゃったんだってさ。はは!」

「だ、大丈夫なのでしょうか?」

「大丈夫だろ。一瞬だったし、皆で幻覚見たとか何とか言っときゃ。あと楽も見られてたっぽいけど、まぁ何とかなるなる! ほら、ちゃんと髪乾かしな!」

「……はい」


 鈴は千隼を抱きしめて雅に背中を押されながらリビングに行くと、そこには楽と喜兵衛と弥七がお茶をしながら談笑していた。


「いや~姉さんが強い強いとは聞いてたけど、目の前で見て自分は誓ったよ。もう絶対に姉さんには逆らわないって」

「俺もだ。やっぱり姉御は千尋さまの右腕だったんだな……」

「だから言ったじゃん! 姉さんの逆鱗バシーンはヤバいんだって!」

「あんた達呑気だね。三人でお茶かい?」

「ね、姉さん! す、すぐに姉さん達の分も持ってきます!」


 突然現れた雅と鈴を見て喜兵衛が慌てて席を立ったが、それを鈴は止めた。


「私が行ってきます! 千隼をお願い出来ますか?」

「もちろん。いいんですか?」

「はい! 自分達の分なので!」


 そして鈴は雅の手を引いて無言で廊下を歩き、炊事場に着くなりクルリと振り返って雅に抱きついた。そんな鈴を雅は何も言わずに抱き返してくれる。


「こわ、怖かった! 千隼、変身しちゃって力いっぱい、使って、どうにかなったらどうしようって、最後の矢が落ちてきて剣が壊れて、千尋さま大丈夫かなって、雅さんたちも居ないし、皆、居ないし!」

「ごめんよ、鈴。心細かったね。よく頑張ったね」

「うぅぅ……」


 堪えていた涙が溢れ雅の着物を濡らしたけれど、それでも雅は鈴を抱きしめ頭を撫でてくれる。子どものように泣いても雅は笑ったりはしない。この屋敷に来た時からそれはずっと変わらない。


 鈴はここの女主だ。他の人達の前ではこんな風に泣けない。鈴がこんな風に泣いたらまだ若い皆はきっとまた無茶をするに決まっているのだ。


 けれど雅はそんな鈴の心もいつだって汲んでくれるあまりにも頼もしい存在だ。だから千尋も雅にはいつも一目置いているのだろう。


 一しきり泣いてすっきりした鈴を見ると、雅は猫に戻って鈴の肩に飛び乗った。


「あんたがこうやってあたしに泣きついてくる間はどこにも行けないねぇ」

「だったら雅さんは私が死ぬまでずっと側に居てくれないといけないかもしれません」

「そいつは困るね。あたしは何千年生きればいいんだい?」

「ずっとです! ずーっと!」

「はは! 無茶言ってくれる!」

「年齢は黙っておきます! レディーの約束です!」

「ああ、是非そうしてくれ。お疲れさん、鈴。千尋にも無事に会えたんだろ?」

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