暗い顔をしてそんな事を言う三人を見て狐たちは顔を引きつらせているが、鈴はそれも愛ゆえだと思っている。何故なら千尋は本当に親しい人にしかそんな事は決して言わないからだ。
「皆さん、千尋さまに大事に思われていますね!」
何だか嬉しくなってそんな事を言うと、皆が鈴に白い目を向けてくる。どうやら皆はそんな風には全然思えないようだ。
そんな事を話しているとようやく食事が届き出した。皆で和やかに食事をしながら今後の事や今までの事を話し合う。
「千尋さまが居なくなって混乱してるかと思ったけど、案外大丈夫そうで安心したよ。何かあったらいつでも言ってくれな」
「はい! ありがとうございます。また何かしらお手伝いをお願いする事もあるかとは思いますが、その時はよろしくお願いいたします」
深々と頭を下げる鈴を見て狐達は照れ隠しなのか目の下を少しだけ赤らめて頭をかいている。
狐たちと別れた鈴達はそのまま町に買い物に行くと、久しぶりに町に下りてきた鈴を見て行きつけのお店の人達が次々に声をかけてくれた。
「最近めっきり見ないと思ったらお産だったのかい!? こりゃまた綺麗な子を産んだねぇ!」
そう言って声をかけてきたのは、いつも新鮮な野菜を届けてくれる老婆だ。彼女は鈴がここへ越して来て皆に白い目を向けられながら買い物をしていた時に真っ先に鈴に気さくに声をかけてくれた人だった。
青い目に茶色い髪の鈴にいつも親しく声をかけてくれて、遠くから見かけた事しか無い千尋との仲をいつも心配してくれる優しい人である。
「はい! 旦那様にそっくりなんです!」
「あんたにも良く似てるよ。お~よしよし、可愛いねぇ。こりゃお人形さんみたいだ!」
そう言って老婆が千隼に手を伸ばすと、千隼も嬉しそうに老婆に手を差し出す。おばさんが意気揚々と千隼を抱きとめると、それを見ていた顔見知りの人たちが次々に集まってくる。
誰にでも愛想の良い千隼はあっという間に皆に囲まれてちやほやと持て囃されていたのだが、そんな光景を見て弥七と楽がぽつりと言った。
「こういう所はやっぱ鈴似だろうなぁ」
「……俺もそう思う。千尋さまは何となく、赤ん坊の頃からこんな愛想良くなかったと思う……」
異常なまでに皆に愛想を振りまく千隼に、それまで遠巻きにしていた人たちまで集まりだして、気がつけば通りに人だかりが出来ていた。
鈴と楽はそんな皆の相手をしていたが、その間に喜兵衛と弥七が雅に言いつけられた買い物をしに行ってくれる。
それからしばらく、もみくちゃにされた千隼が嬉しそうに鈴の腕に戻ってきた時には既に日が傾きかけていて、皆で慌てて屋敷に戻ったのは言うまでもない。
千尋が居ない間も地上は毎日が穏やかで騒々しかった。それでも時折、胸にぽっかりと開いた穴が鈴の心を締め付ける。
鈴は千隼を寝かしつけながら自分たちの上にかけた千尋の上掛けをそっと撫でた。
「千尋さま……ご無事ですか?」
問いかけても返事など帰ってこないが、蓄音機からは今日も千尋が千隼の為に吹き込んだ昔話が聞こえてきている。
その声が、息継ぎをする間が、流れる水のように淀みの無い抑揚が、こんなにも千尋を思い出させた。
鈴は千隼の胸を軽く叩きながらそっと涙を拭うと、そんな鈴に気づいたのか千隼が首だけで鈴を見上げてくる。
「ごめん、千隼。少しだけパパを思い出しちゃった」
「うーう!」
偶然なのか何なのか分からないが、鈴の言葉を聞いて千隼は持っていた千尋の鱗を鈴に押し付けてきた。それを受け取ると玉はびっくりするほど千隼の涎でベタベタだ。
「ありがとう、貸してくれるの?」
「うーあ、んー」
喃語なので何を言っているのかさっぱり分からないが、鈴は笑顔でそれを受け取ってちり紙で涎を拭くと、その玉にそっと口づける。
ひんやりとした温度がまるで本当に千尋に触れているかのようで余計に泣きそうになったが、玉にキスをした鈴を見て千隼は鈴の手から玉を奪い返しまた舐め始める。
それはまるで鈴の真似をしているようで鈴は思わず笑ってしまった。
「ありがとう、千隼。あなたが居なかったらきっと耐えられなかった。本当にありがとう」
鈴は千隼を抱きしめてその小さな頭に頬ずりをすると、千隼は笑い声をあげて鈴の顔を触り喜んだ。
いつ千尋が迎えに来てくれるのか、それは鈴にも分からない。
寂しくて仕方なくて不安になる毎日だけれど、千隼の存在がそんな鈴の心をいつも照らしてくれていた。