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第369話

 それから千隼に母乳をやり、おやつの時間には喜兵衛が千隼に芋粥をやってくれる。


「千隼くん、ほら口開けてー」

「あー!」


 美味しそうにガツガツ食べる千隼を見て、喜兵衛は毎回ニコニコだ。


「おい喜兵衛、俺にもやらせろよ」

「駄目。弥七は雑いから」

「なんだと?」

「ちゃんと冷やさないでやって、この間千隼に火傷させたの誰だった?」

「う……」


 黙り込んですごすごと自分の席に戻った弥七は無言でりんごのシャーベットを食べ始める。


「あんた達そんな事で喧嘩しなさんな、みっともない。そうだ! そういや菫が明日こっちに来るって言ってたよ。ついでに街に買い物に行かないかってさ」

「菫ちゃんが?」

「ああ。学校で使うノートが無くなったんだとさ。たまには外でお茶でもしましょ、だって」

「はい! い、行ってきてもいいですか?」


 菫はずっとずっと悩んでいたが、結局千尋の言う通り進学を決めた。家事にとことん向いていないと早々に悟っていた菫の背中を押したのは節子だ。


 節子の話を聞き菫はとうとう進学を決め、今は毎日楽しそうで忙しそうである。


 目を輝かせて雅を見上げると、雅はおかしそうに頷く。


「もちろん。千隼は面倒見ててやるから楽しんできな。あんた、ここ最近どこも出かけられなかっただろ?」

「ありがとうございます!」

「楽、あんたは二人について行きな。何も無いとは思うけど、どこにでも良からぬ事考える輩はいるからね」

「うん、分かった」

「ありがとうございます、楽さん」

「いいよ、そんぐらい。まぁ何かあっても千尋さまの加護があるから大丈夫だとは思うけどな」


 言いながら楽は細かく砕いたクッキーを持って千隼の隣に移動すると、嬉々として千隼にクッキーを与え始める。


「ほら、今日はハーブが入ってるぞ。分かるか?」

「うーう!」

「そうそう、ハーブ、な」

「上手上手。賢いなぁ、千隼くんは」


 手足をバタつかせて喜ぶ千隼に楽も喜兵衛も満面の笑みを浮かべる。


「駄目だね、こりゃ。男どもは皆千隼にやられちまってるよ」

「雅さんは違うのですか?」

「あたしかい? そりゃ可愛いし嬉しいけど、流石にあそこまでは――こら! 弥七、それは大きすぎるんだよ! 喜兵衛、食べ物やる時は弥七を近づけるんじゃないよ!」


 突然眉を釣り上げてそんな事を言いだした雅に鈴は思わず笑ってしまった。雅だって相当だ。


 翌日、鈴は千隼を雅に預け、楽と菫と一緒に街まで買い物に出かけた。


 久しぶりに見る街は、また一段と洋装の人が増えた気がする。


「華やかだね、こんなにも寒いのに」


 季節はもうすっかり冬だ。それなのに街は今日も賑わっている。


「そうね。私もいつも眺めているだけでここを歩くのは久しぶりだわ。それで、千隼君はどうなの?」

「元気だよ! 皆に可愛がられてスクスク大きくなってる! ね? 楽さん」

「おう。元気すぎるぐらいだよ。あんま泣かないしな」

「そうなの?」

「うん。泣いても千尋さまの鱗渡したらすぐに落ち着くよ。頬ずりして舐め回して寝ちゃうの」

「なにそれ! 可愛いわね。帰りに寄ってもいい? 明日休みなの」

「もちろんだよ!」


 笑いながらそんな事を言う菫に鈴はすぐさま頷く。菫はこうやって学業が忙しい間によく泊まりに来てくれる。そんな日は昔のように一緒にお風呂に入って一緒に眠るのだ。最近ではその真ん中で千隼が大の字で寝ている。


「先に言っとくけど、お前は千隼を風呂に入れんの禁止な」

「どうしてよ!」

「この間風呂で溺れさせただろ!」

「ちょっと手が滑ったのよ! それに千隼は泣かなかったでしょ! 流石水龍よね」

「水の中でお目々ぱっちり開けてこっちじっと見てたもんね」


 それを思い出して思わず笑った鈴を楽が睨みつけてくる。


「お前な! 笑い事じゃないんだぞ! ったく、水龍でも水の中では息出来ないんだからな!」

「あんたはちょっと敏感になりすぎなのよ。昔のイギリスを見てみなさいな。赤ちゃんをミイラみたいにぐるぐる巻きにしてそこらへんに立てかけてたのよ?」

「そ、そうなの?」

「はあ!? う、嘘だよな?」

「本当よ。足を真っ直ぐ伸ばす為とか、場所取るからとか理由は色々あったみたいだけど、赤ん坊は不完全な大人っていう認識だったみたいね」

「……わ、私もぐるぐる巻きだったのかな……」


 思わず青ざめた鈴に菫は笑う。


「あんたの時代にはもうそんな事誰もしてないわよ。でも楽はどうかしらねぇ」

「お、俺は生まれてすぐに捨てられてるから大丈夫……だと思う」


 その返しはどうなのだとも思うが、ふと楽を見上げるとその顔は真っ青だ。きっと想像してしまったのだろう。千隼のミイラを。


「友人達もよく言ってるわ。抱っこをしすぎたら癖になるとか、お乳離れは早い方が良いとか泣いても少々放っておけ。その方が我慢強い子になるだなんてね。ま、私はそれには反対だけど」

「反対なの?」

「まぁね。だって抱っこの癖がつくって言ったって子どものうちだけの話でしょ? お乳だってそうよ。嫌でもそのうち辞めるじゃないの。それに放っておけって言うけど、案外覚えてるのよ、子どもって。私みたいにね」


 子どもの頃に母親と無理やり引き離された菫は、きっと何か思う所があるのだろう。


「躾は大事よ。でもまだそんな事考えなくて良いわよ。それにあんまり神経質になるのもどうかと思う。そういうのって相手に伝わっちゃうでしょ? だから鈴ぐらいのほほんとしてる方がいいわよ」

「子育てした事も無いのに何でお前はそんな詳しいんだよ」


 呆れたような納得したような楽に菫が胸を張った。


「そりゃ、鈴の妊娠が分かった時から勉強したり周りに聞いて回ったりしたからよ。母様は無事に産むことで頭が一杯だったし、雅は猫しか育てた事無いって言うし、あんたの旦那は本でしか知識得ないだろうし。一番頼りになったのは鈴のご両親だろうけど、もう居ないし……」


 そこまで言って菫は視線を伏せた。菫は自分の勉強の傍ら、ずっと子育てについて勉強してくれていたのだ。


 鈴は思わず往来だと言うのに菫に抱きついてしまった。


「菫ちゃん! ありがとう!」

「こら、離れなさい。いいのよ。それにいつかこれは自分の為にもなる事だもの。楽、あんたも今のうちに良い機会だと思ってしっかり練習しておきなさいよね」


 ちらりと楽を見てそんな事を言う菫に、楽はフンと鼻を鳴らして言う。


「当たり前だ。どうせお前はオシメすらまともに変えられないだろうからな」

「は?」


 楽は思わず口走ったようだが、それを聞いて菫の顔がみるみる間に真っ赤になっていく。


「え?」


 そんな菫を見て楽も自分が何を口走ったか気づいたようにじわじわと頬を染める。


「っっっ!」


 そして鈴はと言えば、そんな二人を見て声もなく悶えていたのだった。



♠ 

 鈴と別れて都に戻った千尋が婚姻色を出しているのを見て、案の定迎えに来ていた流星に白い目を向けられた。


「千尋くん。言いたくないんだけど鈴さんはさ、出産した直後だったんでしょ? それを君って奴は――」


 流星の言葉を遮って千尋は早口で言った。

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