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第363話

「鈴さん、愛しています。どうか連絡が取れない間、千隼の事、皆の事、そして屋敷の事をどうかよろしくお願いします。そして出来れば毎日私の為に歌ってください。あなたの声を、私は一日も休まずに探します」

「はい。……私も愛しています。千尋さまはどうかご無事で居てください。そして必ず私達を迎えに来てください。私は毎日歌って千尋さまと千尋さまの神様にお祈りします。あなたが無事でいるように、一緒に暮らせるように、そして……また一緒に歌えるように……」


 淋しげに、けれどとても優しい鈴の声と言葉は千尋の身体に染み込むように馴染んでいく。


 鈴の選ぶ言葉が、声が千尋は好きだ。そのうち本当に鈴の声を聞いただけで色々と満たされてしまうかもしれない。


 しばらく抱き合っていた二人だったが、ふと千尋が顔を上げた。


「そう言えば、鈴さんはピアノの練習を始めたのですよね?」

「あ、はい。で、でもまだカノンぐらいしかその、弾けないんですけど……」

「十分ではないですか。是非一緒に連弾しましょう。楽に一番乗りされたのが、まだ私の中にしこりのように残っているのですよ」


 わざと視線を伏せてそんな事を言うと、鈴は目を丸くして青ざめる。


「連弾しましょう! 拙いですが、一緒に弾いてくれますか?」

「もちろん。さぁ行きましょう。きっと千隼も喜びますよ」

「はい!」


 部屋を出て皆を探し回っていると、談話室から賑やかな声が聞こえてきた。


 鈴と手を繋いだまま部屋に入ると、そこには真ん中に千隼が寝かされていて周りには屋敷の皆と的場家の面々が千隼を囲むように輪になって座っている。


 そんな光景を見て隣で鈴がポツリと呟く。


「Wow…… it's like some kind of ceremony」


 それを聞いて千尋は思わず噴き出してしまった。


「はは! 儀式ですか。確かにその通りですね」


 思わず笑ってしまった千尋と鈴に皆の視線が一斉に集まる。


「あんた達、やっと来たか! で、儀式ってなんだい?」

「いえね、千隼を取り囲んでいるあなた達の様子が、まるで儀式みたいだって鈴さんが言うものですからおかしくて」

「儀式ってあんた達、自分達の息子に向かって……」


 呆れたような雅に千尋と鈴は思わず顔を見合わせて肩を竦めるが、どう見てもそんな風に見えてしまったのだから仕方ない。


「皆が千隼を可愛がってくれて嬉しいです。私達も混ぜてください」


 鈴が言うと、雅と菫が自分たちの隣を開けてくれた。そこに千尋と鈴も混ざり、皆が口々に千隼をもてはやすのをしばらく聞いていたのだが――。


「それにしても本当に綺麗な子だな! 菫と鈴の時もこんなに可愛い子はこの世に居ないと思ったが、千隼はそれ以上だな!」

「あなた、孫が出来たら皆そう言うのよ。でもうちは女の子だけだったから何だか男の子は新鮮ねぇ」

「いいか、千隼。千尋に似るんじゃないよ。鈴だ。鈴に似るんだよ」

「千隼君、そろそろおしめ変えなくても大丈夫かしら?」

「流石にまだだろ。さっき変えたばかりだぞ。お前、おしめの気にしすぎだって」

「千隼~ち~ちゃ~ん。はは! おい喜兵衛、見たか? ちーちゃんでこっち見たぞ!」

「弥七ってさ、そんなに子ども好きだったっけ? あ、そうだ! そういえば冷蔵庫にかぼちゃの風鈴があるんだけど、千隼は食べると思う?」

「……」

「……」


 皆の会話を聞きながら鈴をちらりと見ると、最初こそ嬉しそうにニコニコしていたものの、次第にその表情が曇り始めたので、千尋は鈴の耳に顔を寄せて小声で尋ねてみた。


「青ざめてますよ、鈴さん」

「へ!? あ、す、すみません。何ていうかその、皆、思ってたよりも千隼の事可愛がってくれてるなって、その……」

「少し不安?」

「はい……大丈夫でしょうか。この調子で皆に持て囃されすぎて、その、何か勘違いした子になってしまったら……いえ! 千尋さまの子なのですから勘違い出来るぐらいには強くて優しくて綺麗な子になるとは思うのですが、その、半分は私の血だと思うと、そこに鈍臭いとかお転婆とかそういう要素がプラスされてしまうのでは……と」

「ふはっ! す、すみません。いえ、あなたの言いたい事は分かりますが、私としては鈴さんの要素もたっぷり入っていて欲しいですし、その方が可愛げがあって良いじゃないですか」


 青ざめて一体何を考えているのかと思ったら、どうやら鈴は千隼の将来について不安になっていたようだ。そしてその理由があまりにも可愛らしくて思わず笑ってしまった。


 その時、千隼が手足をバタつかせてぐずり始めた。それを見て鈴がそっと手を差し出すと、千隼は途端に笑顔になる。


「どうしたの? パパのとこ行く?」


 鈴が問いかけると、千隼はまた手足をバタつかせ、今度は千尋の方に身体を傾けてきた。そんな千隼を受け取った千尋は千隼を持ち上げて正面から覗き込む。


「おや、もう父親を認識しているのですね」

「当然です! 毎日千尋さまの事を話していましたから。ね? 千隼」


 その声に千隼は嬉しそうに笑い声を上げる。その時、部屋がパシャリと二回光った。


「ん?」


 ふと視線を光った方に向けると、そこには勇と楽が同じ体勢をしてカメラを構えている。


「あ、すみません、つい。凄く良いなって思って」

「も、申し訳ありません! 龍神さまの許可もなく!」

「いえ、構いませんよ。楽、その調子で千隼と鈴さんの写真もしっかりお願いしますね。もちろん私があちらに戻った後も、沢山記録を残しておいてください」

「はい! おい、鈴こっち向けよ。千隼もだぞ!」


 楽の言葉に千尋と鈴は顔を見合わせて楽と勇の方を向いて笑顔を浮かべた。きっと、素晴らしい一枚になるはずだ。


「後で庭で皆で写真を撮りましょう。どうせ明日からは引っ切り無しに色んな方達がお祝いだと称して千隼の儀式をしに来ますから」


 笑いを噛み殺しながら千尋が言うと、そんな千尋を拗ねたように鈴が見上げてくる。


「そうだよ、あんた達! もう幸之助達には産まれた事連絡したから、明日から忙しくなるよ。今のうちに思い切り千隼を愛でておきな。何せ龍神の子どもが生まれるなんざ、この地上が始まって以来の快挙なんだからね!」

「それじゃあ私達はそろそろお暇した方がいいのかしら?」


 マチが神妙な顔をして言うと、雅が眉を吊り上げた。


「何言ってんだ! あんた達にはまだ帰ってもらっちゃ困る! 明日の料理とお菓子も作らないとなんだから。あんた達はもう親戚だ。菫はともかく、マチは頼んだよ!」

「は、はい!」

「お、俺は何か役に立つでしょうか……雅どの」

「あんたは楽と一緒にこの三人の写真を撮ってすぐに現像しな。これから千尋がいつ迎えに来るか分からないんだから、こいつが戻る前に大量の写真を渡すよ」

「はい!」

「ねぇ雅、私はともかくってどういう意味?」

「いや、あんたは料理の手伝いはちょっと……鈴と一緒に千隼の面倒見てな」

「……分かったわよ」


 口では拗ねた振りをしながらも、菫の顔は嬉しそうだ。


「それではあなた達の部屋も用意しておきましょう。雅、頼みましたよ」

「ああ、任せときな!」

「あ、私もお手伝いに――」

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