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第357話

 いつ鈴から連絡が来ても良いように、電報が届いたら何を置いてもすぐに千尋に知らせるよう羽鳥からカラスまで借りた。


「鈴さん、体調はどうですか? 何か不便はありませんか?」


 返事が返ってくる訳でもないのに、臨月に入ってからずっと千尋はこの羽織に話しかけている。


 その時だ。窓の外で何かが動く気配がした。ハッとして窓を開けると、一羽のカラスが足に何かを括りつけて飛び込んでくる。


「ありがとうございます」


 千尋はそう言って震える指先でカラスの足から手紙を解くと、急いで中を開いて息を呑んだ。


「ああ、やっと……」


 珍しく緊張しているのか、指先はまだ震えている。何度も何度も読み間違いではないか電報を読み返し、胸に抱いて息を吐き出した。


『スグモドレ』


 たたそれだけの言葉だ。それなのにこんなにも重い。


 千尋はすぐに準備をし始めた。鈴に送ろうと思っていた物や子どもに渡そうと思っていた物を両手に持ち部屋を飛び出すと居間の扉を勢いよく開ける。


 そんな千尋の勢いに驚いたように皆が一斉にこちらを見つめてきたけれど、千尋の大荷物を見て何かを察したように流星が立ち上がった。


「行こ、千尋くん」

「ええ、お願いします」

「気をつけてね、鈴さんによろしく」

「鈴に頑張れって伝えてくれよな!」

「ええ、ありがとうございます。それから栄、この手紙を出しておいてください!」


 千尋は部屋から持ってきた大量の手紙を栄に押し付け、それだけ言って逸る胸を抑えて屋敷を飛び出した。



 鈴は屋敷の多目的部屋で横向きに寝かされ、蹲るように身体を丸めていた。


「鈴ちゃん、あんまりお腹を圧迫しちゃ駄目よ」

「あ、は、はい!」


 痛くてついつい丸まってしまう鈴に、マチは優しい声で話しかけてきてくれる。


「これからどんどん痛くなると思うの。痛みの間隔も短くなるわ。でも出来るだけ意識は失わないように気をつけてね」

「そうだよ、鈴! お産で意識を失ったら母子ともに危ないんだ。その時は遠慮なくバシーンするからね!」


 そう言って雅は猫の爪を出したり戻したりしているが、すぐさま人型に戻って鈴の手を強く握りしめてくれた。


「バシーンは流石に冗談だけど、頑張るんだよ。ずっとここに居てやるから」

「は、はい、っっ」


 マチの言う通り、痛みがだんだん激しくなってきた。額から汗が噴き出し、全身から血の気が失せる。


 その間もお腹の胎動は激しくなり、今すぐにでも出せと鈴を急かしているかのようだ。


「お湯とタオルの準備は出来てるわよ!」

「菫か、千尋はまだかい?」

「まだみたい。今、楽が外で見張ってるわ。鈴、大丈夫? お水飲む?」


 心配そうに鈴に駆け寄ってきて菫がもう片方の手を握ってくれた。何だかそれだけでホッとしてしまうから不思議だ。


「だ、じょうぶ。あり、がとう」


 痛みに顔を顰めながらもどうにか呟いた鈴の汗を、菫は拭ってくれながら泣き出しそうな笑顔を浮かべる。


「馬鹿ね。お礼なんて良いのよ。あんたは赤ちゃんと自分の事だけ考えてなさい」

「う、ん……うっ……」


 一段と激しい痛みに鈴が思わず身体に力を入れると、そんな鈴の腰をマチがさすってくれた。


「腰、辛いわよね。菫ちゃん、何か温める物持ってきてあげてくれない?」

「分かった! 雅、湯たんぽとかある?」

「あるよ! ついといで! 長丁場になるかもしれないからね、ついでに何か食べてくるよ!」


 そう言って途端に二人は部屋を飛び出して行く。それを確認した鈴は目を擦って涙を拭った。


「すぐに戻るわよ、安心して」

「は、い。でも、千尋さま……」


 雅と菫が居るだけでも十分心強い。それなのに心はずっと千尋を求めてしまう。


 思わず鈴が呟いたその時、庭が一瞬明るく光った。ハッとして思わず鈴が起き上がろうとしたが、苦笑いしたマチに止められる。


「こら、鈴ちゃん」

「ご、ごめんなさい……」


 痛いのに、一瞬そんな事を忘れてしまう程鈴は嬉しかったのだ。痛みを堪えながら待っていると、廊下が慌ただしくなり千尋と雅と楽の声が聞こえてくる。


「千尋! あんたその格好で入るつもりかい!? 神聖な場所なんだ! 一番良いやつ着てきな!」

「そうですよ、千尋さま! そんな普段着で……久しぶりに会うのにそれでいいんですか!?」

「着替えている暇などありません! どんな格好でも私は私です!」


 少し怒ったような千尋の声が聞こえたかと思うとドアが開き、いつもの取り澄ました千尋ではない、慌てた様子の千尋が部屋に飛び込んできた。


「鈴、さん」

「千尋さま……千尋さま……」


 思わず両腕を伸ばすと、千尋は鈴の元に駆け寄ってきて正面から抱きしめてくれる。お腹を圧迫してしまわないようにそっと鈴を抱きしめる千尋の優しさに、鈴はとうとう涙を零した。


「会いたかった……」

「私も……」


 そう呟いた途端、お腹をドンと激しく蹴られる。それには流石の千尋も気づいたようで、遠慮がちにそっと鈴のお腹に手を当てた。


「もちろん、あなたもですよ」


 滅多に聞けない千尋の優しい声に鈴は涙をポツリと零して微笑む。


 やっと、家族が揃った。これで安心してこの子を産むことが出来る。


「マチさん」


 千尋が静かにマチに話しかけた。


「は、はい!」

「龍の子には産まれたその瞬間から角があります。彼は恐らく水龍なので、私と同じような角があると思うのです。こういう――」


 そう言って千尋が自分の頭を指差すと、そこには牡鹿のような立派な角が生えている。それを見てマチは一瞬ポカンと口を開けたかと思うと、その場にひれ伏して一生懸命念仏を唱えている。


「頭を上げてください。この角は生まれたての頃はまだ柔らかいです。なので、少々握っても折り曲げても問題はありません。それよりも角が母体に引っかかって母体を傷つける事の方が心配なのです」


 千尋の言わんとしている事を理解したのか、マチは真剣な顔をして頷くと、鈴の足の間に顔を埋め、何かを確認するかのように指を差し入れてくる。


「まだ確認は出来ませんが……他にも何か注意点などはありますか?」

「ええ。龍は人間の子どもよりも遥かに大きな状態で産まれてきます。出産は龍にとってもかなり危険な行為です。私はここで鈴さんに力を流し続けますので、赤ん坊はマチさん、あなたと雅にお任せしましたよ」

「は、はい!」


 マチが力強く頷くと、千尋は鈴を見下ろして切なげな顔をして鈴の頬を撫でた。


「それから鈴さん、よくここまで頑張りましたね。私が居なくて不安だったでしょう?」

「……は、い……でも、この子が……いて、くれました……」


 もうすぐお腹から出て行ってしまうと思うと寂しくなるが、この10ヶ月もの間鈴をお腹の中から支えてくれた尊い存在だ。


「そうですね。私もこの子には本当に感謝しているのですよ。生まれる前から親孝行な子で未来も安心です」

「っ……はい!」


 鈴は頬を撫でる千尋の手の平に自分から頬を擦り寄せた。本当はもっと話をしていたいが、徐々に痛みは強くなってきて、とうとう受け答えも出来なくなってくる。


「はっ、うぅ、うっ……」




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