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第356話

 冗談めかして言った羽鳥に流星と息吹は驚いたような顔をしているが、千尋は当然だと思っている。


「しっかり見張っていてくださいね」

「君は驚かないね、本当に」

「私でもそうするでしょうからね。仲間というものほど脆く不安定なものはありません。私が信頼しているのは今もこれからも鈴さんと屋敷の人たちだけですよ。少なくとも龍は一切信用していません」

「……はっきり言うなぁ、もう」

「まぁ、これぞ千尋だよ。で、羽鳥はさっきからそれ、何縫ってんだ?」


 がっかりと肩を落とした流星を慰めながら息吹が羽鳥に問いかけると、羽鳥は糸を切って出来上がった物を千尋に渡してきた。


「なんです?」

「赤ん坊のおもちゃ。両親には互いのぬいぐるみ渡したんだし、おちびさんに何も無いのは可哀想だからね」

「……ありがとうございます。これは私と鈴さんですか?」

「そう。可愛いでしょ?」


 羽鳥が縫ってくれたのは龍の姿の千尋の上に鈴が跨っている人形だ。今にも落ちそうな鈴の再現度が高くて思わず笑うと、羽鳥は嬉しそうに微笑んだ。


「喜んでもらえたみたいで良かったよ」


 千尋はその人形を栄に渡すと、栄はそのまま千尋の部屋へ向かう。一応、何かが仕掛けられていないか栄に調べてもらう為だ。


 さきほどの千尋の言葉は冗談でも何でもない。長い年月を都で暮らし、色んな出来事がここで起こった。良いことなどほとんど無く、嬉しい事も特に無く、感情は静かに音もなく消えていった。


 別にその全てが龍のせいだとは思ってもいないし、龍を責めるつもりも無い。ただ、千尋が龍とは合わなかっただけ。それだけの事なのだ。


 だから余計に鈴を愛おしいと思うのだろう。こんな千尋にすら愛情を今も向け続けてくれている鈴だからこそ。


 夜、皆が寝静まった頃、千尋は居間で栄と二人でハーブティーを飲んでいた。


「うめぇなぁ」

「美味しいですね。はぁ……これが最後の一杯だなんて……」


 ちびちびとハーブティーを堪能する千尋とは違い、栄のハーブティーはもうほとんど残っていない。


「今のうちに庭を畑に出来るようにしといてやらねぇとな!」

「いえ、それは待ってください。私はもうじきここを売り払うつもりなので」

「は!? 初耳だぞ!?」

「ええ、初めて言いましたから。鈴さんの夢で見た光景というのを以前絵にしてもらったのですが、実は少し前にそれらしい場所を見つけてしまったのですよ」

「へぇ。いつの間にそんなとこ探してたんだよ」

「こちらに来てからずっとです。東の方に龍谷があるでしょう?」

「おお。都からちょっと外れたとこな」

「あそこの丘の雰囲気がどうも近いのですよ。だからあそこの土地を丸々買い取ったんです」

「はぁ!? それも初耳なんだが!?」

「雅には伝えてあるので問題ありません。既に私の屋敷の資産管理は雅に任せてありますから」

「お、お前という奴はいつの間に……」

「あなたはお金の関係だけは苦手でしょう? だから雅に相談したのですよ。そうしたら二言返事ですぐに買えって返事があったので」


 栄は長年千尋の屋敷の執事をしてくれているが、資産管理だけはどうも苦手のようで、そこだけは千尋がいつも自分でしていた。


 けれど地上に下りてお玉にそういう事を仕込んでいるうちに、いつの間にか計算が得意な化け猫雅になってしまったのだ。


「頼りになる猫様だなぁ」

「全くですよ。大抵の事で私は雅にも頭が上がりません。一体いつの間に立場が逆転してしまったのでしょうか……」


 子猫の頃は千尋の着物や帯に戯れついていただけの子猫だったのに、いつの間にか千尋に本気で説教してくるような猫になってしまった。本気で謎だ。


「本気で高官の枠開けるか?」

「言っておきますが、雅は私よりも潔癖なので何かあれば遠慮なく逆鱗バシーンを繰り出しますよ。何せ猫なので」

「……止めとこう。そういや黒い悪霊の正体が猫様だったか」

「ええ。鈴さんと楽が手紙に書いて寄越してくれましたよ。それはもう格好良かったと」


 それを読んで悔しい思いをしたのは内緒だ。


「何にしても、もう土地買ったんならしょうがないな。で、屋敷はどうすんだ?」

「それも少し考えがあるので、そのままにしておいてください」


 千尋はそう言って最後のハーブティーをゆっくりと飲み干した。目を閉じると、ハーブティーを飲む千尋をじっと見つめてくる鈴の笑顔が浮かんでくる。


 会いたい……心の中で呟いた声は、鈴に届いただろうか。


 それから月が変わり、とうとう鈴の臨月がやってきた。


 半月程経った頃になると千尋は以前よりも一層厳しくなったと話題になっていた。


「千尋くん、ちょっと本気で皆怯えてるんだけど、何をそんなにピリピリしてるの」

「うちの部署も同じ。この間新人の女の子が泣いて帰ってきたよ」


 皆で夕食を食べている時に流星が困ったようにそんな事を口走った。それに続いて羽鳥までもが苦言を呈してくる。


「いよいよ臨月に入ったのですよ。もういつ連絡が入ってもおかしくありません」


 静かな声で千尋が言うと、皆が途端にソワソワし始める。


「早くない? え? もうそんなに経った?」

「私も行きたいなぁ! 鈴の赤ちゃん見てみたい!」

「あと一ヶ月ぐらい先だと思ってた……それで、まだ連絡は無いの? 今月は休んであっちに戻ったら?」

「そうしたいのは山々ですが、今私がここを離れる訳にはいかないでしょう?」


 本当は千尋だって全てを投げ出して今すぐ地上に戻りたいが、その間に都や地上に手を出されないとは言い切れない。


 地上に手を出されて以前のように判断が遅れるより、都に留まって監視している方が確実だ。


「仕事の方はどうにかするけど、あの二人の動きは確かに楽観視出来ないよね。王が退陣したらそれこそ一気に仕掛けてくるだろうから、その時に千尋が都に居ないのはまずいか」


 顎に手を当ててそんな事を言う羽鳥に千尋は頷いた。


「ですが、流石に2,3日の猶予は欲しいですね。この先、何年会えなくなるのか分からないので」

「それはもちろん。あとさ、楽どうする? 連れてくる?」

「そうなんですよね……個人的には楽にはもう少し地上に居て欲しいのですが、羽鳥、新しく出来た新部署、龍神課の進捗はどうですか?」

「普通に進んでるけど?」

「そうですか。では新しい龍神が降りるまでの間、楽をその枠に入れておいてもらえませんか? これは私からの委任状です」


 そう言って千尋は羽鳥に一通の封筒を手渡した。


「もしかしてこれの為に龍神課を作ったの?」


 呆れたような顔をして封筒を受け取った羽鳥に千尋は肩を竦めて見せる。


「楽は私の元で龍神の仕事を学んでいました。適任でしょう?」

「それはそうなんだけどね。まぁ皆まだ半信半疑だから丁度良いかもしれない。分かった。明日出してくるよ」

「ありがとうございます」


 味気ない屋台の食事を食べ終えた千尋は席を立ち部屋へ戻ると、寝台に腰掛けて飾ってある鈴の羽織を見上げる。

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