何か言いたげな雅をよそに欄と菫の視線は真っ直ぐに千尋に向かっている。その視線はまるで千尋を品定めでもするかのようだった。
鈴が何か言おうと口を開きかけたその時、菫がまだポカンとしている蘭の袖を引っ張った。
「蘭、行くわよ」
「ま、待って! もう少しだけいいでしょう? 鈴ちゃんに久しぶりに会えたんですもの!」
「蘭! 今日はあんたが言い出してわざわざ皆でデパートに来たんでしょ? いつまで父さま達を待たせるの?」
「そうだったわ……仕方ないわね。鈴ちゃん、それじゃあまたね。またお手紙を書くわ」
「うん。ありがとう」
「鈴、あんたこのまま嫁ぐかもしれないんだから、ちゃんとしなさいよ」
「う、うん、ありがとう菫ちゃん」
菫の厳しい口調に思わず鈴が縮こまると、そんな鈴を見て菫は呆れたように息をついて千尋を見上げた。
「至らない所もあるとは思いますが、妹をどうぞよろしくお願いします。蘭、行くわよ」
それだけ言って菫はスタスタと蘭を置いて歩きだした。そんな菫に困ったように蘭は肩を竦めて言う。
「あ! 菫ってばちょっと待ってちょうだい! もう、あの子ったら! 申し訳ありません、お見苦しい所をお見せしました。鈴は不肖の娘なので何かご迷惑をおかけしていないか心配ですが、何かありましたらすぐにご連絡ください。それでは失礼致します」
「ええ、お気をつけて」
千尋がにっこりと微笑むと、蘭も微笑んでようやく菫の元へと歩き出した。そんな二人の後ろ姿を、鈴は懐かしい気持ちで見ていた。
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「菫さんははっきりした性格ですね」
千尋はずっと睨みつけてきていた菫を思い出して苦笑いを浮かべた。
「はい、菫ちゃんはとてもハッキリしているんです。天邪鬼で素直ではないのですが、そういう所がとても可愛らしいのですよ! でも驚きました。まさかこんな所で蘭ちゃんと菫ちゃんに会うとは思ってもいませんでした」
「全くだよ! なんだい、あの失礼な娘たちは! 千尋、鈴を追い出した佐伯家の当主に心から感謝しな! 一歩間違えたらあの二人のどっちかが来てたんだから」
そう言って雅は目の前のフルーツの盛り合わせをバクバクと食べている。
「雅、食べている間ぐらいは忘れたらどうです? そもそも何をそんなに怒っているのですか?」
「あの娘! 菫! あいつ、今日の鈴を見てみっともないって言ったんだ! こんなお人形さんみたいに可愛いってのに! どっかに目玉落っことしてきたんじゃないのか!?」
「雅さん……落ち着いてください。怒りながら食べると胃を壊しますよ?」
「あんたはもっと怒っていいんだよ!」
「私は雅さんが代わりに怒ってくれたので勝手にスッキリしてしまいました」
そんな事を言って微笑む鈴を見て雅は毒気が抜かれたかのようにフンと鼻を鳴らして、今度はゆっくりとフルーツを味わいながら食べだした。
鈴は千尋が言うのも何だが本当に温厚だ。そういう意味では、さっきも雅が言った通り佐伯家の当主に感謝しなければならない。
「鈴さん、蘭さんとはどんな方なのですか?」
「蘭ちゃんですか? 蘭ちゃんは学校でもとても優秀な成績を納めていたと聞いてます。こんな私にも優しくしてくれましたし、この縁談が来た前日なんて、チョコレートケーキを持ってきてくれたんです」
「そうですか」
千尋はそれだけ言ってフルーツを丁寧に切り分けた。そんな千尋に鈴も雅も首を傾げている。
「あの子がどうかしたのかい?」
「いえ、少し思う所があって。でも些細な事ですよ。さあ、食べましょう」
「はい。頂きます」
鈴はそう言ってフルーツを前に手を合わせて静かに食べだした。千尋が何気なく店内に視線を走らせると、いくつかのテーブルの男性と目が合う。
確かに今日の鈴はまるで西洋の人形のようだ。朝から雅は鈴の飾り付けをするのに勤しんでいた。その成果があったというものだろう。
千尋は誰かの容姿を気にする事など普段は一切しないけれど、最近の鈴は美しいと思う。それは彼女の心がとても清らかだからだ。それが外見にまで現れると、鈴はこんなにも輝く。
「沢山食べてくださいね、鈴さん」
「は、はい。頑張ります」
「頑張るってあんた、食事は頑張るんじゃなくて楽しむもんだよ」
呆れたような雅に鈴は笑って頷いた。
それにしても菫と蘭は鈴に聞いていたよりもイメージが随分と違った。気になるのは、あの二人の鈴に対する態度だ。
「そう言えば千尋さま、さっき蘭ちゃんが言っていたのですが、神森家の当主は随分年上ってどういう意味なのでしょう?」
首を傾げてそんな事を尋ねてくる鈴に、千尋は思わず鈴を凝視してしまった。ふと見ると雅も驚いたような顔をして鈴を見ている。
「ちょっと待ってくれ、鈴。あんた佐伯家から何も聞かされずに嫁いできたのかい?」
「はい。ただ、神森家に嫁げ、と」
「それは……何というか、災難でしたね」
自分で言うのも何だが、最近は神森家の評判は悪すぎて地に落ちている。そのうえ何も聞かされずに嫁いできたのであれば、それほど可哀想な事はない。
「うちはまず見合いの話を持ち込む時に大まかな選定をするんです」
「選定、ですか?」
「ええ。うちは侯爵家で爵位はそこそこ高くて資産もありますが、その分評判はあまり良くありません」
「あ……はい、そうですね……すみません」
申し訳無さそうに頭を下げた鈴に、千尋は笑って言った。
「いえ、わざと流しているので気にしなくていいんですよ」
「わざと、なのですか?」
「はい、わざと、です。それに加えて私の年齢は34という事になっています」
「34!」
「大体男性の初婚の平均は25ぐらいでしょうから、あえて34に設定しているんですよ。そうする事で地位や金銭と私の年齢や悪評を天秤にかけた時、どちらを選ぶのかというのを選定しています」
「そ、それで何が分かるのですか?」
「一言で言うと、覚悟でしょうか。私の実年齢はそれはもう34どころの騒ぎではありませんからね。まず年齢で引っかかるような人はその時点でうちには嫁げません。それに金銭目的で来られる方たちは後腐れが無いので楽なのですよ」
とはいえ、そういう人たちは結局欲に負けて血が濁るので今まで全て断ってきた千尋である。そういう意味では鈴は本当に異例中の異例だ。
「……確かにそうですね……」
「ていうか、あんたよく何の情報も無い状態で嫁いできたねぇ。いや、逆に年齢を聞いていなかったからか?」
「どうでしょう? 私は年齢を聞いていたとしても多分、嫁いでいたと思います。さっき菫ちゃんも言ってたように、私にはもう帰る場所も無いですし、神森家へ来る前は佐伯家に少しでも恩返しが出来れば、と思っていたので」
「あんな家に恩返しねぇ。そんな恩に感じるような生活をあんたは送ってきたのかい?」
「衣食住があるだけでありがたい事ですよ、雅さん」
「それは最低限じゃないか」
「それはそうなんですけど」
鈴は困ったように笑ってどんどんヒートアップしそうな雅を落ち着かせようとしているが、それに関しては千尋も雅と同じ気持ちだ。