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第23話

 物凄く動揺する鈴が何だかおかしくなってきた千尋は、一歩鈴に近寄って言った。


「それでは意味が無いのです。私は、あなたと街に行きたいんですよ」

「な、何故……」

「何故でしょう? 何となくあなたの事をもっと知りたくなったのかもしれません」

「それこそ何故……?」

「理由は私にも分かりません。鈴さんは私と街を歩くのは嫌ですか?」

「嫌ではありません! ですが、街で千尋さまと歩く自分を想像出来ません……」


 そう言ってしょんぼりと俯いた鈴の頭を千尋はそっと撫でてみた。こんな事を誰かにするのは初めてだ。初にすらした事が無い。


 流石の鈴もそれに驚いたのか、ハッとして顔を上げて千尋を凝視してくるが、その顔は耳まで真っ赤だ。


「でしたらなおさら、行ってみませんか? それに雅が案内してくれるそうですよ」

「雅さんが?」

「ええ。あと、この間行き損ねたフルーツパーラーにも行きましょう」


 何気なく千尋が言うと、鈴はパッと顔を輝かせる。


「それは雅さんが喜びそうです!」


 鈴の言葉に千尋は小さく微笑んだ。


「雅も同じことを言ってましたよ」

「雅さんが?」

「ええ。それは鈴も喜ぶだろう、と。あなた達は互いの事を好いているのですね」


 そう言って鈴を見下ろすと、鈴は嬉しそうな恥ずかしそうな顔をして頷き言う。


「そうだと……嬉しいです」


 と。


 何だかその顔が妙に千尋の脳裏に焼き付いた。



 鈴は千尋と別れて炊事場に戻ると、心ここにあらずのまま喜兵衛から飾り切りを教わり、夕飯までを自室で過ごすことにした。


 これからまた雨が降るのか背中が少し痛む。最近は何だか雨や雪の頻度が高い。年が明ければ、きっとさらに冷え込んで痛む日が増えるだろう。


 いっそずっと雨や雪が降れば傷まないのだが、晴れたり降ったりするのが一番辛い事を鈴はよく知っていた。


「それにしても、どうして突然街なんだろう……」


 千尋からの突然の申し出を不思議に思いながら鈴は寝台に添えつけられている引き出しを開けて痛み止めの薬を取り出し水で流し込んだ。


 それから薬の入った袋を見てため息を落とす。


「もうちょっとで無くなっちゃう……どうしよう。街に同じのってあるのかな……」


 佐伯家に居た時の鈴は外に出ることを許されていなかった為、この薬はいつも蘭が届けてくれていた。


 とは言え、実際に蘭が鈴に手渡しでくれた事はない。あのおにぎり同様にいつの間にか薬が切れそうになると蔵の前に置いてあったのだ。


 なので、蘭が一体どこから薬を仕入れていたのかが分からなくて同じものを買いに行くことも出来ない。


「蘭ちゃんに手紙出して聞いてみようかな……」

「何を聞いてみるんだい?」

「雅さん! すみません、こんな格好で! っっ」


 突然窓から侵入してきた雅を見て慌てて鈴が起き上がると、背中が引き攣れるように痛む。


 思わず顔をしかめて蹲った鈴を見て、雅がすぐさま人型になって駆け寄ってきた。


「大丈夫かい!?」

「あ、すみません……大丈夫、です。もうじき収まると思う……ので」

「収まる? 一体何が――これは?」


 雅はそう言って寝台の上に置いてあった薬の袋を見て怪訝な顔をする。


「それは……薬、です」

「なんの」

「痛み止め……です」

「痛み止め? どっか痛むのかい?」

「はい……雨や雪が降る前、背中の傷が軋むみたいな感じで……黙っててすみません」


 ずっと隠し通せる訳など無いとは思っていたが、バレるにしても最悪のタイミングだ。持病という訳ではないが、定期的に薬を飲まなければいけない体だと知られたら、それだけでこの屋敷から追い出されてしまうかもしれない。


 鈴は拳を震わせながら頭を下げると、そんな鈴の頭上から雅の不思議そうな声が聞こえてくる。


「どうして謝るんだい? あんた別に何も悪いことしてないじゃないか。それに、あんたが薬を常用してたことはとっくに知ってるよ」

「え!?」

「当たり前じゃないか。千尋は龍だよ? しかもあいつは水龍だ。あんたの体内を流れる血に薬品が混ざっている事なんて、会った瞬間にお見通しだよ」

「そ、そう……だったんですか……そうとも知らず、私ってば必死になって隠そうだなんて小賢しい事をしてしまいました……」


 思わず呟いた鈴に雅は声を出して笑った。


「誰も小賢しいだなんて思っちゃいないよ! あんたが使う日本語はたまに独特だね。それにしても、ようやく謎が解けたよ。痛み止めか。しかもこれそこそこ良い漢方だ。高かったろ?」


 雅はそう言って袋の中にあった薬の種類が書いてあるメモを見て言うが、鈴はその言葉に顔を引きつらせた。


「実は私、そのお薬の値段知らないんです……」

「何でまた」

「それが――」


 そう言って鈴は屋敷での事を雅に話すと、雅は何かに納得したかのように頷く。


「なるほどね。あんたは佐伯の家で隔離はされていたかもしれないが、ちゃんと気にかけてくれる奴はいたんだね。安心したよ」

「はい。でもこのお薬、高いんですね……私のお小遣いじゃ全然足りなかったんじゃないのかな……」


 そう言って鈴は薬の袋を見て青ざめた。佐伯家から貰うお小遣いのほとんどを毎月薬代として蔵前に置いていたが、もしかしたら全然足りなかったのではないだろうか。


 急に不安になってきた鈴は雅に尋ねた。


「これ、いくらぐらいするものなんですか?」

「詳しい値段までは分からないけど、あんた小遣いをこれにつぎ込んでたのかい?」

「ええ。でも、全然足りなかったと思います。私のお小遣いなんて雀の涙でしたから」

「だろうねぇ。あんたも馬鹿だね。勝手に置いてくんだから、律儀に金なんて払わなくても良かっただろうに」

「そういう訳にはいきません! ただでさえ一人ぼっちになった私を引き取ってくれて、その事には本当に感謝しているんです。その上勝手に怪我をしてお薬までお世話になっていたのですからそれは当然かと……でも、全然足りなかったですよね……多分」


 感謝の想いも込めてなけなしのお小遣いを置いていたが、きっと二束三文だったに違いない。


 しょんぼりと落ち込む鈴の頭を雅がよしよしと慰めるように撫でてくれる。


 先程千尋にも撫でられたが、何だか雅に撫でられる方が気持ちがこもっているような気がするのが不思議だ。


「今更そんな事を嘆いても仕方ないだろ? それに、それを置いた奴はきっとあんたから金を取ろうだなんて思ってなかっただろうよ。大丈夫だよ、あんたの気持ちはきっとそいつにも伝わってるさ」

「そうでしょうか?」

「そうだよ。動物はちゃんとそういうのを受け取れるようになってんだ。もちろん、あんた達人間もだよ。どんな気持ちも相手にはちゃんと伝わる。よーく覚えときな」

「はい」


 何でもよく知ってる雅が言うのだ。きっとそれは正しいに違いない。


 素直に頷いた鈴を見て雅は笑って頷くと、鈴を支えて寝台に運んでくれた。


「あんたはもう今日はゆっくり休みな。夕食はここに持ってきてやるからさ」

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