目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第20話

「えっと……サイズで喧嘩をしているのですか?」


 一体何事から思ったら、まさかのケーキのサイズで喧嘩をしていたと知って、鈴は思わず笑ってしまった。そしてハッとして口を両手で抑える。


「ほら! 姉さんのせいで笑われちゃったじゃないですか!」

「あんたのせいだろ! 鈴、笑う時は我慢しないでいっそ大声で笑ってくれ。でないと返って恥ずかしいじゃないか」


 流石に子供っぽすぎると思ったのか、雅は恥ずかしそうにそっぽを向いてしまう。そんな仕草がまたおかしくて震えてしまう。


「す、すみません……えっと、また作りますから、喧嘩しないでください、お二人共」

「本当かい!? 約束だよ!」

「良かったですね、姉さん。鈴さん、自分も楽しみにしてます」

「はい!」


 そんなにも喜んでくれたのかと思うと嬉しくて今度は思わず含み笑いを漏らした鈴に、二人はホッとしたような恥ずかしそうな不思議な顔をする。


「はぁ、怒鳴ったらお腹減ったね。今日の夕飯はなんだい?」

「今日は五色ご飯とつみれ、それから鮭と大根の煮物と味噌汁ですよ」

「美味しそうです! 手伝ってもいいですか?」

「もちろんです。助かります」


 鈴の申し出に嫌な顔一つしない喜兵衛に鈴は嬉しそうに笑った。ここへ来てから毎日が楽しくて仕方ない。もしも千尋が言うようにここで働かせてもらえたら、それはどれほど楽しいだろう。


 だからついうっかり鈴は自分の立場を忘れて言ってしまった。


「雅さん、喜兵衛さん、もしも……もしも私が千尋さまの花嫁になれなくても、私はここに居てはいけないでしょうか?」


 思わず漏れた本音に雅と喜兵衛が凍りついた。それを見て鈴は何かを察する。


「す、すみません! 変な事を言ってしまいました!」


 鈴はそう言ってすぐさま踵を返してその場から逃げるように炊事場を飛び出した。


「あ! 鈴さん!」

「鈴!」


 背中に二人の切羽詰まった声が聞こえてきたけれど、今度は鈴が恥ずかしくてその場にいられなかったのだ。


 居心地が良いからと言って自分のワガママを通して神森家にまで迷惑をかける訳にはいかない。当主の千尋がここに居ても良いと言えばきっと皆も従うだろうけれど、そうじゃない。


 どうしてあんな事を身の程もわきまえず言ってしまったのか、鈴は急いで自室に戻ると寝台にうつ伏せた。


「昔からこう! 私はすぐに調子に乗ってしまう! どうして? どうしていっつも我慢できないの、鈴!」


 誰にでもなく自分にひとしきり怒鳴ると少しだけ頭が冷えた。それと同時にまた一つ何かを失くしたような気がする。


 涙を拭いながら寝台にしばらく突っ伏していると、いつの間にか部屋の窓から雅が猫の姿で入ってきていた。


「泣いてんのかい?」

「……泣いてません」

「嘘だ。さっきはごめん、あんたにはちゃんと言わないとって思ってさ。聞いてくれるかい? この家の話をさ」


 そう言って雅は鈴が突っ伏している顔の横にやってきて鈴の顔を覗き込んでくる。


「このお家の事ですか?」

「そうだよ。千尋の役目と神森家の事だ。それから千尋自身の事も」

「千尋さまのお役目とお家の事は千尋さまに聞きました……でも、千尋さま自身の事は……千尋さまから聞いた方が良いような気がします」


 鈴が答えると、雅は小さな肉球で鈴の頭を撫でる。猫に撫でられるのは何だか変な感じだが、悪い気はしない。


 鈴はようやく顔を上げて雅を見ると、雅はどこかしょんぼりと耳を垂れていた。


「千尋があんたに話したのかい? 珍しいね。その役目はいつもあたしの役目だったんだ。千尋は今までの嫁達と接触をしようとはしなかった。だから実を言うとあたし達は驚いてるんだ。バイオリンを持ち出したり、機嫌よくあんたが作ったお菓子を食べたりしてる千尋にさ。でも同じぐらい心配もしてる。あんたをね」

「……私を?」

「そうだよ。千尋に聞いたのなら話は早い。龍神の結婚は千尋の意思じゃない。そこにあいつの感情は一切無いんだ。あたしはだから、はっきり言ってあんたには千尋の嫁になんてなってもらいたくない。多分、それは喜兵衛も弥七もそう思ってる」


 はっきりと言う雅に鈴は一瞬息を飲んだが、あまりにも雅の顔が辛そうで何か事情があるのだろうと気付いた。もしかしたらさっき雅も喜兵衛凍りついたのも同じ理由なのかもしれない。


 鈴はきちんと座り直して真っ直ぐに雅を見つめた。そんな鈴を雅もまっすぐ見つめてくる。


「あたし達が心配してるのはあんただよ、鈴。千尋はある事情があって地上に下りてきた。龍の寿命はとても長くて、とてもじゃないがあたし達にも想像出来ないような年月をあいつらは生きるんだ。そして本来ならとても愛情深い生き物でもある。でもその愛情は、決して人には向けない」

「それは……」

「あいつは上辺だけはあんたを愛してくれるだろうさ。でも、肝心の千尋の心は決して人間には渡さない。これはあんたが嫁として選ばれた時の心配だ。あんたはいずれ傷つく。それをあたし達は黙って見てられない」

「……雅さん……」


 そうか、雅も喜兵衛も鈴を心配して凍りついたような顔をしたのか。何だか少しだけ胸のつかえが取れた気がして、鈴はじっと雅を見つめる。


「それで、もしもあんたがさっき言ったみたいに嫁に選ばれなかった場合はもっと心配だ。あんたがここに居てくれる事自体はあたし達は大歓迎だよ。何せあたし達にこんな風に接してくれる嫁なんて今まで居なかったんだから。当然じゃないか。でも気になるんだよ、千尋の態度が」

「千尋さまの態度?」

「そう。さっきも言ったけど、千尋が自分から家の事を話したり楽しそうに嫁候補とお喋りしたりするなんて事、今までに無かったんだ。それほど千尋もあんたを気に入ってる。もしもあんたが嫁に選ばれずここに居て、新しい嫁が来た時その嫁の鬱憤の矛先は間違いなくあんたに向かう。あたし達はそれが一番心配なんだよ……だから、さっきの事は誤解だよ。居てほしく無い訳がない。でも、それをするとあんたの身が危ない」

「私の身が……ですか?」

「そうだよ。あんたが思うよりもずっと人間の嫉妬は怖い。あたし達はそういう奴らを何人も見てきてる」

「もしかして雅さんも……」


 もしかしたら雅自身が過去にそういう目に遭った事があるのではないだろうか。鈴が思わず問いかけると、雅は猫のまま器用に笑った。


「まぁ長いこと生きてりゃ色んな事があるさ。ただあたしは猫だからね。いざとなりゃさっさと逃げる事が出来るけど、あんたはそうはいかないだろ? ブスっとやられて終わりだ。あたし達はそれが何より怖いんだよ」


 そう言って視線を伏せた雅を見て鈴はそっと雅を膝の上に抱き上げた。


「ありがとうございます、雅さん。そういう事情なら、私は花嫁候補から外れたら大人しくここを出ていきますね」

「……追い出したい訳じゃないんだ……ほんとだよ」

「分かっています。雅さん達はそんな人じゃありません。でも……たまにお手紙を書く事ぐらいは……許してもらえますか?」


 鈴が問いかけると、雅はコテンと首を傾げる。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?