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第19話

 その中で千尋は少しだけ嘘をついた。鈴の血はたしかに美しいけれど、健康状態は大分改善されはしたものの、相変わらず栄養失調気味だし今抱き上げてみてもやはり軽い。龍の力を宿すには体力が必要だ。このままでは鈴との縁談も断らなければならないだろう。


 でも何故かそうはしたくなかった。今まで候補としてやってきた人たちに一ヶ月以上の時間をかけようと思った事などない。


 もう少し時間が欲しいと言った千尋の目を真っ直ぐに見つめて鈴は頷いた。最初の頃は目が合うことも無かったというのに、ここにも大分慣れてきたのだろうか。


 最初の頃に比べると鈴はとても明るくなったように思う。それと同時にとても美しくなった。きっと今の鈴であれば千尋との縁談が断ち消えてもすぐに次の縁談が舞い込むのだろう。


「それは少し……寂しいですね」


 ポツリと呟いた千尋の言葉は鈴には聞こえなかったようだが、何故そんな事を思ってしまったのか、千尋自身にもよく分からなかった。


「そう言えば千尋さま」

「はい? 何でしょう」

「千尋さまに頂いた少女小説を全部読み終えました」

「もうですか? 知らない漢字などもあったでしょう?」

「はい。その都度調べながら読んだのですが、どうやら少女小説はまだ私には早かったようです」

「おや。それはまたどうして?」

「その……恋愛感情というものが分からなさすぎて、誰に感情移入をすれば良いのか分からなかったのです」


 そう言って恥ずかしそうに俯いた鈴を見て、思わず千尋は微笑んだ。


「そうですか。大抵の方は主人公に感情移入をして、出てくる相手の男性に言われたセリフなどでときめくようですが、ときめきませんでしたか?」

「ときめき……よく分からないです。それに男性の方も千尋さまの方が素敵なような気がします……」

「……それは……とても光栄ですね」


 突然の鈴の発言に思わず千尋は言葉を詰まらせてしまう。まだ鈴がやってきて一ヶ月程だが、鈴はやはり幼い頃を異国で過ごしたからか、こういう感情の伝え方はとてもストレートだ。


「はい。だから余計に感情移入出来なかったのかもしれません。男性の行動や言動をついつい千尋さまと比べてしまって。いけませんね」

「いけない事などありません。それは好みの問題ですから。どうやら今回の本は鈴さんの好みではなかったようですね。次はもっと違うタイプの男性が出てくるものにしましょう」


 千尋が言うと、鈴は嬉しそうに頷いた。


「では、次は千尋さまみたいな方の本にしてください。そうしたらもしかしたら私にもときめきが分かるかもしれません」

「っ、分かりました。探してみます」

「はい!」


 ここまでストレートに感情を表現されると淡白だと言われ続けた流石の千尋も面食らってしまうが、満面の笑みでそんな事を言われては悪い気がしない。


「千尋さまは今まで沢山の方と婚姻を結ばれてきたのですよね?」

「ええ、そうですね」

「その方たちは素敵な方たちでしたか?」

「それは……どうでしょうね。大人しい方もいれば激しい方もいましたが、あまり深く関わりを持った事はないのですよ」

「え!? そ、そうなんですか?」

「はい。こんな風に歴代の方と話した事などありません。私はあくまでも龍神で、特に昔は崇められる対象でしたから。彼女たちは皆人身御供のつもりでここへ嫁いで来た気持ちだったのだと思いますよ。実を言うと、それを無くすために神森家が出来たのです」

「どういう意味ですか?」

「昔、ここは大きな社でした。龍を祀るお社だったんです。まだ私への信仰があった時代はあちらから輿入れだと言って嫁いできました。今とは逆ですね。今は神森家という怪しい侯爵家から指名を受けてここにやって来て、後から私が龍神だと知る。それを聞いてもなお、あなたのように自然に接してくれる方が居なかった。だからこの150年ほど私には花嫁が居なかったんですよ」

「150年も!」

「はい。私が龍神だと聞いてだんだん欲で血が濁る。それでは私の神通力は通りませんから、ここでの記憶を消して帰ってもらっていたんです」

「そう……だったんですね」

「はい。この家が怪しいのはだから、そういう理由なんですよ」


 千尋の言葉に鈴は何かを考えるように黙り込んだ。


「どうかしましたか?」

「私……もしかしたら私の血もいずれ濁るかもしれません……」

「どうしてです?」

「だってここは……過ごしやすすぎます……」


 ポツリとそれだけ言って俯いた鈴を見て千尋は苦笑いを浮かべた。やっぱり鈴は今までの候補達とは違う。


「それは良いことではありませんか。私があなたに住みやすい環境を提供するのは当然の事ですよ」

「で、ですが、皆さん本当に良くしてくれるので、決心が揺らいでしまいそうです」

「決心?」

「はい。実を言うと、私はここを追い出されたらもう帰る場所はありません。佐伯家にも戻れない。だからどこかで一人で強く生きていこうと考えていましたが、あまりにもここが過ごしやすくて破談になったとしてもここで働かせてもらえないだろうか、などと厚かましい事を考えてしまって……申し訳ありません」


 そう言って鈴は小さな体をさらに小さく縮こまらせた。


「何を言い出すのかと思えば! 何も厚かましくなどありませんよ。そうですね。あなたが行くあてが無いというのであれば、ここがあなたの奉公先になるよう手配しましょう」


 突然の鈴からの申し出に千尋は思わず笑ってしまった。千尋にとってもそれは願っても無い事だ。たとえ血の選定で鈴を花嫁に迎える事が出来なくても、鈴をここに置いておく理由が出来るのだから。


「え!?」

「何も問題は無いでしょう? あなたは行く所がなくてここに残りたい。私はあなたの手料理をもっと食べたい。ああ、歌も聞きたいです。それにこのお菓子も」


 そう言ってすっかり空になった皿を見せると、鈴ははにかんだように笑う。


「ありがとうございます、千尋さま。そのお言葉だけでもう十分すぎるほどです」

「冗談ではありませんよ? なので、選定が終わったらどちらにしても契約を交わしましょう。きっと雅達も喜びます」

「……はい」


 口元を綻ばせてそっと視線を伏せた鈴を見て千尋の中で何かが音を立てたような気がしたが、それは本当に一瞬の事だった。


「大丈夫です。あなたはどれほど長い年月をここで過ごしても、きっと血が濁る事は無いと思いますよ」


 千尋はそう言って、鈴に釣られたように微笑んだ。



 神森家に来て一ヶ月。こんなにも千尋と話をしたのは初めてだった。


 何だかそれが嬉しくて空になった皿を抱えて炊事場に戻ると、そこには喜兵衛と雅が何やら喧嘩をしている。


「どうかされたんですか?」

「鈴! 聞いてくれるかい!? こいつ、私のパウンドケーキと自分のパウンドケーキを入れ替えたんだよ!」

「だから誤解ですってば! 間違えただけですし、ちゃんと戻しましたよ!」

「いいや、戻してない! あんたの方が大きかったじゃないか!」

「元々あのサイズですよ! それは典型的な他人のが良く見えるって奴です!」

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