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第18話

 鈴は雅に急かされるままパウンドケーキを人数分に切り分けると、一つずつお皿に乗せていく。


「一番おっきいのはこれだな! あたしはこれにする」

「どれも同じ大きさですよ、姉さん。自分もいいんですか?」

「もちろんです。今から休憩ですよね? これを弥七さんにも持って行ってあげてください」


 そう言って鈴は喜兵衛に弥七の分のパウンドケーキを持たせると、自分も2つの皿を持った。


「それじゃあ私は千尋さまにお渡ししてきます。美味しく出来ているといいのですが」

「大丈夫、絶対に美味い匂いがしてる。ちなみに千尋はこの時間は中庭の四阿にいるよ。毎日このぐらいの時間になるとどっかにフラっと居なくなって、気付いたらそこに居るんだ」

「そうですか。それじゃあ行ってきます」


 鈴はそう言って2つの皿を持って四阿に向かった。


 神森家の敷地は広い。庭も広大で、和と洋が入り混じっていて散策するだけでも楽しい庭だ。この広い庭には2つの四阿が作られていた。


 鈴も時間がある時はたまにその四阿でこっそり歌を歌っていたりしたが、もう既にバレてしまったので最近はもうここまで歌を歌いにはやってこない。最近はもっぱら四阿で本を読むのがお気に入りだ。


 1つ目の四阿には残念ながら千尋は居なかったので、仕方なく鈴がもう一つの四阿に向かう途中で池を覗き込む千尋を発見した。


 声をかけようと千尋に近寄った鈴だったが、何だか千尋の横顔があまりにも冷たくて声をかけるのを躊躇ってしまう。


 声をかけようかどうしようかしばらく迷ったものの、やはり止めておこうと踵を返したその時、枯れ枝を踏んでしまってパキリと小さな音がシンとした庭に響いた。


「誰ですか?」


 凛とした千尋の声に思わず鈴は背筋を伸ばすと、すぐに頭を下げる。


「お邪魔をしてしまい、申し訳ありません」

「鈴さんでしたか。そんな格好でこんな所まで……風邪を引きますよ?」


 そう言って千尋は近寄ってきて自分が羽織っていた上掛けをそっと鈴の肩にかけてくれる。


「私は頑丈なので大丈夫です。千尋さまが風邪を引かれる方が大変です」


 思わず上掛けを返そうとした鈴の手を千尋が止めた。


「私は龍ですよ? 風邪などそもそも引きません。いいから着ていてください」

「……はい。ありがとうございます」


 鈴は今度は素直に千尋の言う事を聞いてケーキの乗った皿を欄干に置くと、大人しく羽織に袖を通した。千尋は鈴よりも頭一つと半分ほど大きい。羽織の裾をしっかりたくし上げないと引きずりそうだ。


 そんな鈴を見て千尋が微笑んだ。


「鈴さんは小さいですね」

「私は標準ぐらいかと……龍人は皆さん背が高いのですか?」


 少しだけ見栄を張った鈴が千尋に尋ねると、千尋は小さく微笑んで答える。


「そうですね。私など低い方ですよ。龍は男女共に背が高いんです」

「そうなんですか。少し羨ましいです。背が高いと見える景色も違いますか?」

「景色ですか? どうでしょうね。試してみますか? 少し失礼しますね」


 そう言って千尋は何を思ったか軽々鈴を抱き上げた。鈴は突然の事に驚きすぎて言葉を失う。


「どうですか?」

「え? は、はい、とても、その……良い景色です……」


 しどろもどろにどうにかそれだけ言った鈴は、カチンコチンに固まってしまう。


 そんな鈴に気づいているのかいないのか、千尋が鈴を抱き上げたまま言う。


「ところで先程から何か甘い匂いがするのですが、それは何ですか?」

「あ! あれはパウンドケーキと言って……あの、その前に下ろしていただけると、その……」

「ああ、すみません」


 鈴の言葉に千尋はすぐさま下ろしてくれたが、抱き上げていた事など忘れていたかのような千尋に鈴は苦笑いを浮かべ、皿を一つ千尋に手渡した。


「おやつにと思って焼いたんです。千尋さまも良かったら召し上がってみてください」

「これはこれは、ありがとうございます。ケーキと名のつく物を前に一度だけ買ってきたのですが、どうにも評判が悪かったんですよ。それきり一度も食べていないのですが、これはとても良い香りがします。あちらの四阿へ行きましょう」

「はい」


 喜んでくれるといいな。鈴はそんな事を考えながら千尋の後を追った。


 四阿に到着すると、千尋は丁寧にフォークでパウンドケーキを切り、躊躇うこと無く口に運ぶ。


「うん、これは美味しいですね。柔らかすぎず硬すぎず、ちょうど良いです。バターの香りも素晴らしい」


 目を細めてパクパクと食べる千尋を見て鈴は微笑んだ。


「お口に合ったようで良かったです。今日、喜兵衛さんがとても良いバターと小麦を仕入れてきてくれたんです。レシピを喜兵衛さんにお渡ししたので、良かったらまた作ってもらってくださいね」


 何気なく鈴が言うと、千尋は不思議そうな顔をして首を傾げた。


「なぜ喜兵衛に作ってもらうのです? あなたはもう作ってはくれないのですか?」

「え? だって私は……」


 もうじき追い出されるのでは? そんな言葉を飲み込むと、千尋はさらに首を傾げた。


「もしかして何か誤解をしていますか?」

「誤解、ですか?」

「ええ。私が今までの方たちとの縁談を破談にしてきたのは、龍の力を宿す為の適正が無かったからです。神森家に代々と言う概念はありません。何故なら、神森家の当主は今も昔もずっと私ただ一人なのですから――」


 千尋はそれから神森家や龍神の役割、そして婚姻について話してくれる。


 全てを聞き終えた鈴は、まるで長いおとぎ話を聞いたような気分になっていた。


「そうだったのですか」

「はい。だから私の神通力を通わせる事が出来る方とでなければ婚姻は結べないのです」

「それは何か資格のようなものがいるという事でしょうか?」

「まぁ、平たく言えばそうですね。私の意思はそこにはなく、全ては血が決めます」

「だから最初に私の血統を聞いて来られたのですか」

「ええ。血統ももちろんですが、何よりも大事なのはどれほど美しい血の流れをしているかです。それは普段食べているものや健康状態、生活態度や精神状態が血に現れるのです。私達龍神は相手の血の流れを見ることが出来ます。だからあなたがどれほど自分を卑下しても、私には本来のあなたが全て見えている。あなたの血の流れはとても美しいんですよ、鈴さん」

「……ありがとう……ございます」


 そんな事誰からも言われた事が無くて思わず鈴は俯いてしまった。きっと耳まで赤くなってしまっているに違いない。たとえ社交辞令だったとしても、今の千尋の言葉はとても嬉しかった。


「ただ、一つだけ懸念している事があります。その答えが出るまで、どうかもう少しだけ私に時間をくださいね」

「はい。もちろんです」


 鈴は今度はしっかりと頷いて真っ直ぐに千尋を見たが、何故か千尋には視線を逸らされてしまった。



 千尋は地上に下りて初めて自分の口から龍神の役目や、自分が今まで行ってきた事を説明した。いつもはこの役目は雅がしてきたが、鈴のこの柔らかい雰囲気にどうにも絆されてしまう。

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