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第8話

 一体何が起こった?

 僕は……倒れている!

 状況を把握しなければ。

 体、動く。

 手足は少し痛むが問題ない。

 軽く脳震盪を起こしていたらしい。

 どれくらいの間?

 分からないが早く逃げないと!

 けたたましいクラクションの音が店内に響き渡っている。

 まずい、奴らが集まってくる。

 僕は倒れた陳列棚の下敷きになっていた。

 空同然とはいえ巨大な金属の塊だ。ヘルメットをしていなければ危なかった。


 体をよじり、やっとのことで棚の下から這い出した僕は立ち上がって店内を見回す。

 コンビニの窓ガラスが割られ1台の乗用車が店内にまで飛び込んでおり、棚を押しのけて停まっていた。

 僕はこいつに巻き込まれてしまってのか。

 直接激突されていたら僕は既に死んでいただろう。

 運転手はどうなっている……?

 生きているなら救助しなければと思い車の中を覗き込むと、既にしぼんでいるエアバッグが広がるハンドルに突っ伏していた男が首をくるりとこちらに向けた。

 ゾンビ化している!?

 土気色をして血管が浮き出た顔は生気を失っており、焦点の合わない目で僕を睨んでいる。

 明らかに生者のものとは思えない。

 シートベルトに阻まれているが声にならぬ呻き声を立てながらこちらに手を伸ばしもがいている。

 運転中に発症してしまったのか、この事故で死亡してゾンビとして復活したのか。

 いずれにせよなんと間の悪い。


 くそ、クラクションが鳴りやまない。

 早くここから離れなければ。

 リュックの中身は無事だ。

 僕は衝突の際に落としてしまったダンベルを拾い上げ、急ぎコンビニを出る。

 駐車場にはもう10体以上のゾンビが群がっており、一斉に僕の方に向き直る。

 道路の向こう側からも続々と奴らが集まってきているのが見える。

 最悪の状況だ。

 どうする、正面突破するか?

 抜けられたとしてもそのままアパートまで戻ったら奴らは着いてきてしまうだろう。

 それは絶対に避けなければならない。

 奴らの一部でもアパートの近くまで着いてきてしまったら、僕とあかりが大人しく身を潜めていても田中さんの出す騒音に引き留められてずっと取り囲まれ続けてしまうかもしれない。彼をそのままにしていたことが仇となった。

 一度奴らを撒いて隠れれば奴らはこの鳴り響くクラクションの方に気を取られてくれるかもしれない。

 それに賭ける。


 もう考えてる余裕はない。まずはこの窮地を切り抜ける。

 僕はゾンビの薄い駐車場の右端に向けて走り出そうとした。

 が、踏み込んだ右足がガクンと沈む。

 麻痺していた痛みが今になって遅れてやってきた。

 右足首を捻挫している……!

 陳列棚の下敷きになった時捻っていたのか!

 まずい。

 食い殺されたジャージの男の姿がよぎる。

 すんでのところで転びそうになったところを何とか耐えた。

 堪えてくれ。後でどれだけ痛んでもいい。

 奴らはぎこちない足取りだが早足くらいの速度でどんどん距離を詰めてくる。

 取り囲まれたら一巻の終わりだ。

 この足でいけるか?いくしかない。


 僕は迫りくるゾンビの第一波をなんとか躱し、右足を引き摺りながら駐車場の出口へ向かう。

 いいぞ、この足でもまだ僕の方が早く動ける。

 だがすぐまた左前方からゾンビが間近まで迫ってきている。

 このままでは避けきれないかもしれない。

 縋りつかれたら今の足では振りほどくのは無理だ。

 近づくゾンビの顔を見る。運転手と同様に土気色で血管が浮き出ている。顔はこちらを向いているが目はそれぞれ明後日の方向に向いている。

 やるしかない……。躊躇うな!

 彼らはただの憐れな病人に過ぎないのかもしれない。だとしても正当防衛だ。

 許されるはずだ。許してくれ。

 僕は追い縋るゾンビの脳天に思い切りダンベルを振り下ろす。

 ゴツリという鈍い音が鳴り、嫌な感触が僕の右手に伝わる。

 両手を突き出してきていたゾンビはそのまま前のめりに、地面に突っ伏した。

 これで奴は活動を停止したのか、どうなったのか確認してる余裕はない。

 少なくとも差し迫った脅威は排除した。

 今はその結果だけでいい。


 駐車場から歩道に躍り出ると、コンビニのフェンスが途切れ開けた視界の中改めて周りの道路上を確認する。

 10……20……もっとだ。

 静寂に包まれていた街へ響き渡るクラクションは遥か遠く、四方八方からゾンビたちをおびき寄せている。

 しかし僕を生きた餌として認識できる距離まで近くに寄ってきている奴らはまだそう多くないはずだ。

 このまま道路の反対車線側に渡り、道路沿いの建物の裏手に回ればそこから僕のアパートのすぐ近くまで畑が広がっている。一部の休耕地には背丈ほどに伸びたススキやブタクサが生え放題の広い藪になっている。そこで着いてくる奴らを撒こう。

 道路の分離帯の植え込みを越え反対車線へ渡る。

 正面には中古自動車販売の店舗。

 身を低くして車の陰に隠れるようにジグザグに移動する。

 これで少しは奴らを攪乱できたかもしれない。

 そのまま屈んだ姿勢で店舗の裏へ抜ける。

 畑に足を踏み入れた。

 デコボコの地面が痛んだ足に堪える。

 後ろを振り返ると数体のゾンビがまだ着いてきている。これくらいは想定の範囲内だ。

 後続が多くないことを祈りつつ、がむしゃらに突き進む。

 あかりの待つ僕のアパートが見えるが、こいつらを撒くまで戻るわけにはいかない。


 あと少しで荒れ果てた休耕地だ。

 そう安堵しかけた僕の目に入ってきた光景は、あまりにも無情で愕然とするようなものだった。

 畑の向こうから、ゾンビの大群が押し寄せてきているのだった。

 その数は遠目にも優に50体は超えている。

 なぜだ!?

 こちら側は畑の他にまばらな家と細い田舎道が続く地域だ。

 なぜこんなにも大量のゾンビがそれもひと塊で出てくるんだ!?

 ……数日前の盗難防止ブザー騒ぎで集まった奴らか!

 思えばベランダから見た奴らの行進が向かった方角と一致する。

 そこに集まり停滞していた奴らが今度はこのクラクションを聞きつけ移動を始めたのだ。

 うかつだった。

 引き返すにはもう遅い。後ろからも数体がもう僕の近くまで迫ってきており、更に後続もあるかもしれない。

 休耕地に逃げ込むしかない。大群はまだ僕を生者と認識していないはずだ。

 藪の陰で大群をやり過ごし、着いてきた数体を各個撃破すればいい。


 ガサガサと音をたて、僕は藪に飛び込む。

 藪の広さは体育館ほどはある。

 出来るだけ奥の方へ、あまり草を踏み倒さないように手でかき分け進み身を低くして息を殺す。

 少し上がった息を必死で整える。

 どうだ? 背丈ほど伸びる密集した草は奴らの認知能力からしたら壁に等しいのではないか?

 しかしこちらの視界も遮られている。

 ここからは音だけが頼りだ。

 ……

 …………

 ………………

 ガサッ。

 コンビニから響くクラクションに交じり、草を踏み分ける音が聞こえる。

 僕に着いてきた奴だろうか?

 藪にまで入り込んできてしまったか?

 確認したい気持ちを抑え屈んだままじっと待つ。

 動くにしても今ではない。

 確実に大群をやり過ごすまでは。

 少し離れた位置からパキパキと硬くなった草の茎の爆ぜる音がする。

 音は次第に数を増し、大勢の通り過ぎる地響きにも似た感触が地面からも感じられる。

 大群がすぐ近くを通りすぎているのだ。

 ガサガサッ。

 僕を探しているのか惰性で彷徨っているだけなのかは分からないが着いてきた奴も茂みの中、僕の近くまで来ている。

 不意にクラクションが鳴り止んだ。

 くそ、このタイミングでか!

 大群の行進はどうなる?

 しばらくはコンビニの方に向かってくれるか?



 街は再び静寂に戻ったが、より鮮明に僕の近くには藪をかき分ける音、そして少し離れて大群が雑草の生えた畑を踏み荒らす音や呻き声の合唱が聞こえる。

 右足の痛みは徐々に強く、鼓動とともにズキンズキンと響いている。

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