目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報
第6話

 籠城5日目の朝。

 目を覚ますとあかりはベッドで上半身を起こして窓の方を眺めていた。


「おはよう、あかりちゃん」


 あかりは少しびくりと肩を震わせたが、すぐ安心した様子でこちらへ向き直る。


「おはよう……ございます」


「そんなかしこまらなくていいよ。食事を用意するから君はこれに着替えておいてくれるかな? ちょっと大きいかもしれないけど」


 僕は別の部屋で見つけてきた女性用の下着とパーカー、ジャージのパンツをあかりに手渡した。赤の他人の物だが僕やあの母親の物よりずっとましだろう。


 あかりの顔色は昨日よりはずいぶん血色良く見えるがさすがにまだ立てる程にはなっていないらしい。

 キッチンに立った僕の背後であかりは布団の中でもぞもぞと着替えているようだった。

 昨日の収穫と合わせ悩んだ結果、彼女にはパンをパスタソースに付けて食べてもらうことにして、飲み物にはペットボトルの甘い清涼飲料水を用意していくつかサプリを添えた。僕もパンと水をいただくことにする。


「あの……服あったかい。ご飯も……ありがとう」


「どういたしまして。これでも人の世話をするのは慣れてるんだ。」


 食事をしながら僕はあかりに自分の生い立ちや、今外で起こっていることについて話をした。

 外や103号室で暴れているのは病人ということにして、人を食い殺したことは伏せておく。

 あかりもぽつりぽつりとこれまでのことを話してくれた。


 3年前から学校には通っていないこと――――。

 本当なら今年中学生になっていたはずだったこと――――。

 母親は2週間くらい前に風邪で苦しんでいたあかりを残して家を出てから帰ってこないこと――――。

 しばらくは家に残っていたお菓子やカップラーメンで食いつないでいたこと――――。

 水道が止まってしまい食べ物も尽きてついには動けなくなってしまったこと――――。

 父親のことは何も知らないこと――――。

 母親にはよくぶたれていたが、家に学校の教師や市の職員が来て以来ぶたれることはなくなったこと――――。

 その代わりに今度は私物をみんな捨てられてまともな食事も与えられず外に出ることを禁じられたこと――――。

 そしてまたぶたれるのが怖くて母親の言うことを聞き助けを求めることもできなかったこと――――。


 概ね僕が想像した通りであった。

 想像していたとはいえ、あかり自身の口から聞かされると胸が張り裂ける思いだ。

 彼女は中学1年生なる歳だという割にはだいぶ小柄で、小学校の低学年に見られてもおかしくない。

 成長期にこんな悲惨な生活を強いられていたのでは当然の結果だろう。



 食事を終えると僕はあかりにトイレのルールと昼間はカーテンを開けないこと、絶対に外へ出てはいけないことを伝えた。

 結局また彼女を部屋に閉じ込めてしまっていることについて申し訳なく思う。


「君がもう少し元気になったらきっと広くて安全なところへ連れて行ってあげるから」


「うん、ごめんなさい……大丈夫。」


 健気な子だ。

 まだ体も自由に動かせないだろうし不安もあるだろう。

 それでも彼女は精一杯強がって見せた。


 さて、僕ももうやぶれかぶれになることは許されない身となったのだ。

 出来るだけのことをやろう。



 あかりの話を思い返すと気になる点があった。

 母親が最後に部屋を出ていったとき、あかりが風邪を引いていたということだ。

 そしてゾンビの感染爆発がこの国を襲ったであろう時期に僕もコロナにかかっていたがゾンビ化は免れていた。

 複数のウイルス感染症は同時に発症しにくいという話題をテレビで観たことがある。

 もしかしたら僕らが今こうして人間でいられるのはコロナが干渉したおかげだったのかもしれない。

 それが真実だったとして僕に何ができるというわけでもないのだが、やはりゾンビ化はウイルス感染の類だという疑いは強まった。

 約3日間で世界中へ広まったウイルスに付け焼刃の感染対策が効くかは疑問ではあるが準備しておくことにした。


 僕は2階の部屋を改めて物色して何か使えるものがないか探し、時折ベランダから外の様子を観察して過ごした。

 寝ているだけでは退屈だろうし気もまぎれると思い、あかりには僕の部屋にある漫画本や文庫本を読んでいてもらうことにした。


 気が進まないが、あかりの部屋にも再度足を踏み入れる。

 使えそうな物といえばいくらかのゴミ袋や化粧水くらいだった。タオルやキッチンペーパーに含ませて体を拭くくらいには使えるだろう。

 クローゼットを探ると『早月里美様』宛ての郵便物の束が見つかった。あかりの母親の名前だろう。

 その傍に今度は『早月せつ子様』という送り先だけが書かれた封筒が目に入った。中身は白紙の便箋が1枚。

 あかりの親類だろうか。住所は同じ県内だがここからはだいぶ遠いようだ。

 彼女の身元を示すものとして一応郵便物の1つとその封筒を拾っておいた。


 昼は部屋にもどり、あかりと一緒に食事をとった。

 日が暮れはじめたら僕は軽く筋トレをし、またあかりと一緒に食事をとる。

 夕食の後は暗い部屋で彼女が昼間に読んだ本の難しかったところを教えてあげたり、感想を聞いてあげたりもした。

 祖母の具合がいいとき僕によくそうしてくれていたことを思い出す。そういうときの祖母はとても機嫌がよかったように思う。

 なるほど、悪い気はしない。

 散々読んだはずなのにあかりの目を通した作品には新しい発見があり驚かされる。

 僕が好きだった作品を彼女も好きになってくれたことが嬉しかったし、小さかった彼女の世界が次第に広がっていくのを見ていると僕の世界も広がるような気がした。


 人とコミュニケーションをとるということは、こういうことでよかったのか。

 それが分かっていたなら僕はもう少し器用に生きてこられたのかもしれない。

 外には人食いの化け物が闊歩しているというのに、僕は今が生きてきた中で最も穏やかで安らかな時間のように思う。

 しかしそれはあくまでも時間制限付きであり、リミットは確実に近づいている。



 ――――――――


 そうこうしているうちに1日が過ぎ、2日が過ぎ、3日が過ぎていった。

 あかりは初めのうちは僕が抱えていってあげてたトイレも今では自分で歩いていけるくらいには回復した。

 外のゾンビたちや田中さんの様子は相変わらずだ。

 パンデミックが起きてからもう1週間以上経つ。

 飲めず食わず寝ずなら普通の人間はとっくに身動きできなくなっていてもおかしくないが、奴らはそんなことお構いなしだ。持久戦では分が悪い。

 そして飲み水の残りがわずかだ。そろそろ覚悟を決めねばならない。



 もうベランダから眺めているだけではいられない。

 奴らの世界に直接対峙しなければならない時が来たのだ。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?