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屍の街のあかり
戸山ヒロシ
ホラー怪談
2024年10月09日
公開日
29,033文字
連載中
死んだように生きる孤独な会社員である僕は一変してしまった世界で一人の不幸な少女と出会う。

荒廃した街で直面する恐怖、困惑、焦燥、絶望、そして希望……

僕は彼女との生き残りの生活を通じて初めて自分と向き合う。
そして生きたいと強く思い始める。

第1話

 それが起きた時、僕は病の床に臥せっていた。



 遅ればせながら新型コロナに罹患してしまったのだ。

 会社をほとんど休んだことのない僕であったが、発熱外来での陽性の結果を上司に電話で伝えると10日の自宅療養を指示された。


 ことさらにブラックな職場というわけではないが、この頃は朝の8時に家を出て帰宅するのが22時過ぎということが常態化しており土日もたいていどちらかは出勤している。

 10月の初旬にもなった今でも夏季休暇はまだ取れておらず、そんな僕に上司は多少負い目があったのであろうか、またちょうど大きな仕事の節目でもあったため若干長めの休みをいただくことになったのだ。



 療養7日目の朝。

 近所で工事か引っ越しでもしているのか、なにやらガタガタと響く音と振動で僕は目を覚ました。

 枕元の時計は8時12分を指している。

 この3日間は特に熱と咳の症状が酷く、アパートの部屋から一歩も出られずにただひたすらベッドで横になって眠り、軽く食事をとってはまた眠るといった風にほぼ寝たきりで過ごしていた。

 この調子ではいずれにせよ長期の病気休暇を申請し直さざるを得なかったかもしれない。

 猛威を振るっていた時期よりはだいぶ弱毒化したと聞いていたが、こんなにもきついものなのかと改めてこの新型コロナの怖さを認識させられた。


 ようやく症状も落ち着いてきたようだが体もすっかり固まってしまっており、立ち上がった際に軽く眩暈がした。

 ミネラルウォーターで乾ききった喉を潤しトイレで用を足す間に少しだけ体がほぐれてきたような気がするが足取りはまだふらついている。


「あれ?」


 とつい口に出てしまった。

 流したトイレのタンクに水が流れこんでいない。寝ている間に断水でもあったのだろうか。考えてみると照明を点けたはずのトイレや部屋も薄暗いままだ。カチカチとスイッチを入れ直してみるが、やはり点かない。断水の上に停電にもなっているようだ。


 光熱費が引き落とされる銀行口座には十分な額が入っているはずだが……などと考えながら部屋へ戻り、3日間充電器に挿しっぱなしのスマートフォンを手に取る。

 充電量は22%しか残っていない。減り具合からしてちょうど3日ほど電気が来ていなかったことになる。冷蔵庫の中は確認したくもない。

 またスマートフォンの電波は通話とインターネット通信の両方ともが不通になっている。

 基地局までダメになっているらしいということは、僕の部屋だけではなくかなり大規模な停電なのかもしれない。


 「まいったな……」


 3日間寝て過ごしていた間に何があったのだろう。

 部屋の中を見る限りこの地域が大きな地震に見舞われたわけでもなさそうであるし、かなり内陸の土地なのでさすがに津波も届かないだろう。あるいは猛烈な台風でも襲来したのだろうか。

 恐る恐るベランダから外の様子をうかがうことにする。


 2階建てアパートの角部屋のベランダから眺める風景は一見いつもと変わらない。

 澄んだ秋空の下、銀杏並木の続く片側2車線の幹線道路を挟んでアパートやいくつかの戸建ての家屋、遠くに歩道橋やコンビニエンスストアーの看板が見える。

 電線が切れていたり屋根が吹き飛ばされている様子はなく、銀杏の枝や葉が大げさに散乱していたりもせず、いたって普通の街並みだ。


 だが何か変だ。

 朝の8時だというのに、普段なら絶え間ない交通量のある道路には見渡す限り一台も車が走行しておらず、自転車や徒歩で通行している人の姿も見当たらないのだ。

 遠くからかすかに聞こえるであろうはずの車の走行音や喧噪すらなく、ただわずかに風のそよぐ音だけが聞こえていた。


 事件、事故、テロや戦争……。そういったものが頭をよぎってしまう。

 この辺り一帯の住人は皆家に閉じこもっているのか、それとも皆僕を残してどこかへ避難してしまったとでもいうのだろうか。

 だとしたらいくら3日間ずっと寝込んでいたとしてもなんとも間抜けな話だ。



 どうしたものかとしばらく呆然としてそのまま通りを眺めていると、ふと向かいの車線側の路地からよろよろと歩き出てくる人影が目に入った。ここから直線で50メートルほどの距離だ。

 まだ残っている人がいるようで助かった。

 どこかへ行ってしまう前に今の状況を教えてもらわねばと思い呼び止めようとしたが、僕はその人影の様子がおかしいことに気づいて喉から出かかったおーいという声をぐっと飲み込んだ。


 上下にジャージを着こんだその男は何者かから逃げているかのように酷く慌てた様子でしきりに後ろに振り返り、そしてついには足がもつれて倒れこんでしまった。

 するとぞろぞろと路地から4~5人の集団が続いて出てくる。

 倒れた男は何かしらの理由であの集団に追わているのだろうか、僕はとっさにベランダの隅に身を屈めた。現状が何も分からない状況でトラブルに巻き込まれるのはご免だ。


「ワアアアアア!」


 大きな叫び声が響き渡る。

 僕は驚いてベランダの格子部分からそっと半分顔を覗かせて様子を見てみると、集団が倒れた男を次々と覆いかぶさるように取り押さえていた。

 ただ事ではないと僕は震える手でポケットのスマートフォンを取り出し110番を試みるがやはり電波は届いておらず無駄に終わってしまった。

 どうすべきか逡巡している間にも男の叫びは続いていた。


「~~~~~~!!」


 ひときわ大きな声にならない悲鳴があがって僕が再び男に目をやると、彼の倒れている地面には大きな血だまりが広がっていた。

 刃物で刺されでもしたのだろうか、この距離からはっきりと血だまりが確認できるくらいではまず助かるまい。

 異常な事態だ。寄ってたかって捕まえられるだけでは済まず、男は僕からわずか数十メートル先で暴徒たちに殺害されたのだ。

 いくら非常事態だとしてもこの国でそのようなことが起こるのはにわかに信じられないことだった。

 もう男の声は聞こえない。


 呼びかけるのを止めて身を隠したのは正解だった。僕がここにいることを気づかれてはならない。何が起きているかはまるで飲み込めていないが慎重に行動すべきだ。

 すぐにでも部屋に逃げ込みたい気持ちを抑え、こちら側を見ている人影が居ないことを確認して後ろ手で開けっ放しにしていたカーテンと掃き出し窓を音を立てないようにゆっくりと閉める。窓が開いていることも見られたら危ない気がした。

 目を背けたい光景だが、自らの安全のためにもしっかりこの状況を理解したかった。


 息を殺して成り行きを見ていると、男の悲鳴に引かれたのか辺りの建物や路地から続々と人影が現れ出した。ここからは死角になっているアパートの塀側にも居たらしい。彼らが暴徒の仲間であるなら危なかった。僕のすぐ近くにも潜んでいたのだ。

 そして既に事切れたと思われる男の姿はみるみるうちに10名ほどの暴徒に埋もれていった。これ以上何をするというのか。暴徒たちはしゃがみ込み男の体に何かしているようだ。

 ここからだと肉眼では少々遠くてよく見えない。僕は充電量の心もとないスマートフォンの望遠カメラを起動して用心深く画面を覗き込んだ。


 画面に映された映像を見て僕は唖然とした。


「食っているのか……人を……」


 階下のどこかの部屋からガタガタと音が聞こえる。

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