さて、深夜。ルカは寝所で期待していた。アリスがいつ出没するのかを。隣ではステラの規則正しい寝息が聞こえてきて、つい自分もつられて眠ってしまいそうになるが、ルカはブンブンと首を振った。ところが、待てど暮らせどアリスが出たという報告はない。
「ふむ……今日は空振りか」
ベッドサイドのランプを消したルカは、面白くなさそうに呟いてベッドにもぐりこみステラを抱き寄せ、眠りについた。
早朝、庭師がいつものように庭園の花たちに水をやっていると、バラ園の隅に籠が置いてあるのに気づいた。
「誰だ~? こんな所に籠置き忘れるなんて、見つかったらとんでもねぇぞ」
そう言って籠を持ちあげると、チャリンと何かが落ちた。
「ん?」
腰をかがめて落ちたものを拾い、目を見開く。
「こ、これは……銀貨……て、てぇへんだ!」
庭師はそのまま銀貨を着服しようかとも一瞬考えた。けれど、それがバレてこの職を失う訳にはいかない。家には可愛い妻と子供達がいる。愛しい家族の顔を思い浮かべてどうにか思いとどまり、その銀貨を籠に入れなおしてすぐに王城に戻った。
王城で見つけた落とし物は、門番の衛兵に一度全て預けられる。庭師が籠を持って行くと、門番はおでこを押さえた。
「またか~」
「?」
またか? 何がだ。そう思って彼の足元を見ると、そこには既に3つの籠が置いてある。
「いくら入っていた?」
「ぎ、銀貨一枚です」
「そうか。すまなかったな。仕事に戻っていい」
「は、はい!」
一体何が起こっているのかよく分からないまま、庭師は仕事に戻った。そして今朝起こった事を朝食の時に同僚に話すと、同僚たちの何人かはその籠を運んだ者達だった。
そしてよくよく話を聞くと、どの籠にも硬貨が入ってたらしい。一体、王城で何が起こっているのか。理由はよく分からぬまま、庭師は朝食を終えたのだった。
朝、ライラは緊張のためかいつもよりも随分早くに目が覚めた。窓に視線を向けると、朝日が昇りかけている所だ。
大きく伸びをしたライラは、アリスの様子を見ようと続きの部屋をノックしてみたが、返事はない。まあ、まだ寝ているだろう。そう思ったライラは仕方なくドアを開けて、中を覗き込んだのだが。
「アリスー、ちゃんと居る……アリス?」
アリスがいない。ベッドでぐっすり寝ているだろうと思っていたライラは、ベッドにアリスが居ない事に気付いて青ざめた。どういう訳かドンブリも居ない。
「ど、ど、どうしよう! ノ、ノアさま、キリさん……リー君!」
ライラは寝間着のまま隣に居るリアンの部屋のドアを叩いた。するとすぐに中からリアンの寝ぼけた声が聞こえてくる。
「んー……? だれぇ?」
「わ、私! ライラ! リー君! ア、アリスが居ないの!」
おろおろと部屋の前で行ったり来たりしていると、扉が勢いよく開いた。中から顔を出したのはリアンと同室だったノアだ。早朝なのにすでにきちっとしている所を見ると、彼は相当に早起きなのかもしれない。
「おはよう、ライラちゃん。ドンブリは居た? 部屋に野菜は落ちてた?」
「い、いいえ! ドンブリも居ません」
「そっか。ありがと!」
それだけ言ってノアはライラの頭をよしよしと撫でると、着ていたジャケットをライラに羽織らせて、そのまま廊下を駆けて行く。
「ライラ……? ちょ! そ、その恰好何⁉」
ノアに続いて顔を出したリアンが、ライラの恰好を見てぎょっとしている。そこでライラは自分が寝間着だった事を思い出した。
「こ、これは、そ、その! ご、ごめんなさい!」
恥ずかしさのあまり逃げ出そうとしたライラの腕を掴んだリアンは、面白くなさそうにライラからノアの上着を剥ぎ取ると、代わりに着ていたガウンを貸してくれた。
「それ着て帰って。着替えたらここに集合ね」
つっけんどんにそれだけ言ったリアンは、ポカンとするライラを残して扉を閉めた。
「あ……ありがとう! リー君」
「は・や・く・い・って!」
「う、うん!」
長年の付き合いからリアンが今照れている事が手に取るように分かったライラは、熱くなる頬を押さえながら部屋に戻ると、急いで着替えた。
早朝からマラソンをする趣味などノアにもキリにもない。特にキリは趣味のレース編みの真っ最中だったのだ。そこにノアがノックも無しに飛び込んできた。
『ノ、ノアさま⁉』
珍しく驚いたキリが立ち上がると、膝から編みかけのレースがひらりと落ちた。それを拾い上げたノアは、少しだけ目を細めて感心したように頷く。
『思ってたよりずっと上手なんだね。アリスにも教えてやってよ』
キリは顔を真っ赤にしてノアからレースを奪い取ると、ごそごそと乱暴に鞄の中にレースを仕舞い込む。
『嫌です。お嬢様には向いていません』
『はは、確かに。ところでそのお嬢様なんだけどね、どうやら脱走したみたいなんだよね。まだ戻ってないみたいだから、多分どっかに落ちてると思う』
『……』
キリの目が全てを物語っている。マジか。の目である。そんなキリにノアは頷いた。
『行きましょう。ドンブリは?』
『アリスと一緒に失踪中』
『……』
アイツらまでか。の目である。ノアとキリはお互い顔を見合わせてため息をつくと、急いで部屋を後にした。
そして今に至る。
「護衛は一体何をしていたんでしょうね」
「さあね。話半分ぐらいに思ってたんじゃない?」
レース編みを邪魔されたキリの怒りは相当である。
ノアは苦笑いを浮かべつつ昨夜のルーイを思い出した。
『最近護衛達は本当にたるんでいるんですよ』
『そうなんですか?』
『ええ。反ルイス派とルイス派の派閥がありまして。普段は中立派がそれを取りまとめるんですが、今はその中立派が反ルイス派に傾いている危ない状況なんです』
『その原因はルイスの学園改革、ですか?』
『ええ、そうです。中立派だった高位貴族があれで一気に反ルイス派に流れたんです。そのせいもあって、訓練にも身が入らない者が増えてきまして。お恥ずかしい限りです』
まあ、そうなるだろうなとは思っていた。あちらを立てればこちらが立たず、である。下位貴族に目を向ければ、高位貴族からは煙たがられる。当然の道理だ。結局、自分達にも旨味がなければ人は動かない。ここもどうにかしなければ。
しかしとりあえず今はアリスを見つけて捕まえるのが先だ。
「こういう時の為に今度カインに頼んで犬笛注文しといてもらおうかな」
「名案ですね。毎回こうやってお嬢様を探すのも骨が折れます」
「ね。にしても、よくこの警備の中いったね、アリスも」
城に配置されているのは何もルイスの護衛や王の騎士団だけではない。騎士団や護衛に入れなかったものも沢山いるのだ。
しかし今回はルーイの意向で護衛達だけが配置されていた。だからこそアリスは野菜を採りに行けたのだろうが……。
「全くです。一体どこから出たのやら――ああ、あれですね」
ちょうどアリスの部屋の真下辺りまで来たキリは、アリスの部屋を見上げて指をさした。そこにはアリスの部屋の窓からシーツで作ったと思われる一本のロープがぶら下がっている。
「……一体どんな寝ぼけ方したらあんなの作れるのかな」
「お嬢様はライラさん曰く、天災のようなので。我々人間には理解できないのでは」
うんざりしたように言ったキリにノアも頷く。
一通り籠を置いた場所を見てまわってみたが、全ての籠は既に回収された後だった。これを見てノアとキリはある予測を立てた。
「今、アリスは大量に野菜を持っています。さて、どこに行くでしょうか?」
「わかりません」
「うん、だよね。野菜は綺麗なはずなんだ。という事は普通に考えたら調理しようとするはず」
ノアの意見にキリも頷いた。しかし調理場は既に朝の仕込みで忙しそうで、とてもじゃないがアリスが居るとは思えない。