屋敷に戻ると、リビングに既に全員が集まっていた。
「お帰り。随分早かったな」
手を上げたルイスを見てダニエルは訝し気に首を傾げた。
今回の帰省にはリアンが友人を連れて来るとは聞いていたが、まだ居たのか。そう思いながら異様にキラキラした空気を纏うルイスとカインにダニエルは珍しくたじろいだ。何となく、本能がこの二人には逆らってはいけないと囁くのだ。
「ダニエル、紹介するよ。こっちが王子でこっちが次期宰相、以上」
「簡単すぎやしないか⁉ リー君はどんどん俺達の扱いが雑になるな!」
「そこがリー君の良い所なんだけどさぁ~もうちょっとさ~」
ブーブー不平を言うルイスとカインを無視してリアンはドレスを着替えに部屋に戻ってしまった。取り残されたダニエルはその場に立ち尽くして唖然としている。
「ま、待ってくれ……ラ、ライラ、ちょっと……」
頭が真っ白になるというのはこういう事だろう。王子? 次期宰相? いや、リアンの嘘か?
でもリアンはそんなすぐにバレるような嘘をつくような人間ではない。それにこの家では一番の権力者であるはずのリトが、何故か一番隅っこの席で小さく縮こまっている。
ダニエルはライラの袖を引っ張って真実を聞こうとしたのだが、それを誰かが邪魔をした。アリスだ。
「ライラに触んな! この変態!」
「ア、アリス!」
「おっまえ! 誰が変態だ!」
大抵の女子はダニエルを見たら頬を染める。それなのにどうだ、この女ときたらさっきからずっとダニエルを睨んでくる。
「まぁまぁ、アリス。その雰囲気だと上手くいったのか?」
「さすがノアだね~。で、今どういう状況?」
アリスとダニエルの仲の悪さを目の当たりにしたルイスとカインがおかしそうに言う。
「ライラちゃんと無事に婚約破棄したよ。それで、そのままリー君とライラちゃんが婚約する事になりました」
そう言ってリトに目を向けたノアを見て、リトは驚いたような顔をしてライラを見て涙ぐむ。
「そ、そうか!……楽しみだなぁ」
何かに思いを馳せるようにしみじみと呟いたリトに、ライラも涙ぐんだ。
リトとライラの父、ジョンソンは大親友だ。いつもリアンを連れて遊びに来ては酔っぱらっている楽しいおじさんで、小さい頃からライラの事を本当の娘のように可愛がってくれていた。もう少ししたら、リトの事を本当にお義父さんと呼べる。そう思うと感慨深い。
そこへリアンが着替えて戻ってきた。まだ状況を飲み込めないダニエルにお茶を出してとりあえず席に座らせたリアンは、涙ぐんでいるリトを見て察した。
「あー……とりあえず、そういう事だから」
「リアン~! お前、そんな事一言も言わなかったじゃないか!」
ライラが好きなら好きだと言っておいてくれても!
「そんな事言われても、分かんなかったんだから仕方ないでしょ。あ、それからチャップマン商会ね、ダニエルと共同で動かす事になったから、その書面をマリオおじさんと作っておいてくれる?」
「……は?」
思わぬ言葉にリトは首を傾げた。どういう事だ? ダニエルを見ると、ダニエルはバツが悪そうに肩をすくめている。
「それでいいんだよね? ダニエル」
「ああ。コイツの言う通り、俺だけじゃ会社潰しちまう。ややこしい話はリアンに任せる」
「そうして。あんたはその代わり、しっかり広告塔になってよ」
なんだかんだで従弟同士である。お互いの性格は嫌という程分かっているし、ダニエルには表舞台の方が向いている。
「……」
何がどうなっているのか分からない。目を白黒させるリトにルイスが言った。
「リー君が共同経営者なら、チャップマン商会は安泰だな! よし、俺もしっかり宣伝しておこう!」
「まぁ、コネがヤバいもんね。面白い商品取り扱ってよ。うちの兄貴の店のとか」
からかい交じりにそんな事を言うルイスとカインにリアンは頷いた。それを見てリトもダニエルも歓喜するよりも先に青ざめた。もしかしたら、チャップマン商会は自分達が思っているよりもずっと、大きな会社になるかもしれない……。
リトは出そうとした手紙に慌ててその旨を付け加えた。手紙を受け取ったジョンソンとマリオが着の身着のまま慌ててやって来たのは、それからしばらくしての事だった。
かくしてチャップマン家の事は一旦片付いた。思ったよりもうまく行ったな! そう言って皆で(もちろんダニエルも交えて)祝杯をあげたのはその日の夕食の時だった。
一つ、皆重大な事を忘れていた。そう、それは深夜に起こった。
「ぎゃぁぁぁぁ!」
突如、屋敷内にシェフのカーラの悲鳴が響き渡った。
深夜四時。皆が深い眠りについている頃、久しぶりの大所帯にカーラが朝食も腕を振るおうといつもよりも早起きして食堂に入ったのだが、そこで違和感を感じた。
食堂の明かりは落ちたままだ。それなのに、つい今しがたまで火が入ってたかのように暖かかったのだ。恐る恐るカーラが明かりを点けると、そこには作った覚えのないスープが並んでいる。ご丁寧に使用人分も含めて全員分のスープだ。冷めても美味しく食べられるようにとの配慮からか、ビシソワーズスープになっているのがにくい。
「な、な、な……」
それだけでも十分恐怖体験なのだが、これはまだほんの恐怖の序章に過ぎなかった。
カーラは慌てて食糧庫を確認すると、そこにあったはずの食材の一部が消えていた。その代わりと言わんばかりに金貨と銀貨が数枚、林檎が入っていたはずの籠に置かれている。
冬の間は結構な量の食材をこの倉庫に貯蓄しておく。それは、厳しい冬を乗り切るためだ。それなのに何故? 冬を越せそうなギリギリの食材は残しつつ、消えた食材――。
「ぎ……ぎゃぁぁぁぁぁぁ!」
こんなにも大声が出せたのかと自分でも思う程カーラの叫び声はシンと寒い夜に響き渡った。
その声に一番に反応したのはキリとノアだ。
ノアの部屋を主寝室に、両隣がキリとアリスに割り当てられた部屋だった。
深夜の悲鳴に飛び起きたノアとキリはお互い顔を見合わせてアリスの部屋を覗く。
「……忘れてた。キリ、まだ帰ってないみたい。上着持って。ブリッジ、ドン、行くよ」
「はい」
二人は急いで着替えると、アリス緊急対策用セットが入った小型のリュックをドンに背負わせた。ドンはリュックを背負いブリッジに飛び乗って、すっかり準備万端だ。
アリスの上着をキリがひっつかんだのを確認すると、ノア達は部屋を飛び出した。
そう、アリスは寝室には居なかった。やってきてしまったのだ、アリスの秋が。
「一体なにごとぉ?」
眠い目を擦りながら部屋から出て来たのはリアンだ。まだ寝ぼけ眼なのだろう。いつもはきっちりしているのに、髪に寝ぐせがついている。
「暴食アリスが出たんだ。まだ帰ってないみたいだから捕まえてくる。あ、アリスが作った料理は食べても全然大丈夫だからね」
「……は⁉ ちょ、待って! 僕もすぐ用意する! 先行ってて!」
まだ夢の中と現実をウロウロしていたリアンだったが、ノアの言葉を聞いて完全に目が覚めた。血相を変えて走り去るノアとキリとペット達を見送ったリアンが部屋に戻ろうとすると、他の皆もゾロゾロと起きだしてくる。
「なんなんだ。大丈夫なのか? 凄い悲鳴だったが」
「ん? リー君、なんでそんな慌ててんの?」
「暴食アリスが出たって。ノア様とキリが捕まえに行った。僕も用意して行ってくる!」
土地勘のない二人にだけは任せておけない。その言葉にカインが頷いた。
「オスカー、俺達は空から探そう」
「うん。リーンを連れてくる」
リーンとは、ドンの飛行訓練を行っている鷹だ。彼女なら夜でも空からアリスを探す事は難しくない。
オスカーが鷹を取りに行っている間に、ルイスはアリス捜索隊のメンバーを見回して言った。
「いいか、アリスを見つけたら、すぐにノアかキリに知らせてくれ。絶対に自分で対処しようとするな。いいな?」
ルイスがそう言ってから一時間と少し。空は薄っすらと白み始めている。
皆欠伸を噛み殺しながら屋敷に到着すると、エントランスではライラとリトが心配そうに待っていてくれた。