教室に戻って手早く着替えたアリスは、ライラとリアンを誘って従者教室に移動した。
キリを誘って、ついでにたまにはノアを迎えに行こうと思ったのだ。
「今日はお昼ごはん何食べよっかな~」
「アリスは朝からお昼の話ししてたものね」
「どうせ昼ご飯食べたらすぐに夜ご飯の話しだすんでしょ?」
既に大分アリスの事が分かってきたリアンは、呆れたような顔をしてアリスを見る。
「へへへ」
「へへへ、ではありません、お嬢様。またどこからともなく犬なんて拾ってきて」
「キリ! 私じゃないよ! 連れてきたのドンちゃんだもん! 名前はブリッジ!」
「連れて来たっていうか、乗ってきたんだけどね」
胸を張ってブリッジにまたがるドンを見てキリはため息を落とす。まあ、もう犬の一匹や二匹驚かない。またドラゴンを拾ってきたら流石にブチ切れたかもしれないが。
「しかしまた足の短い犬ですね。ブリッジ、寮に戻ったらお風呂ですよ」
「ウォウ?」
「キュキュキュ。キュキュ~!」
「ウォウォウ」
何となく話が通じるのか、ブリッジは尻尾を振って喜んでいる。何とも微笑ましい光景だ。
第一校舎に入った四人は、そこで別れた。リアンとライラは先に食堂で場所を取っておいてくれるそうだ。
「本当に行くんですか?」
「行く!」
いつもはノアが迎えに来てくれるが、たまにはアリスからも迎えに行きたい。そう言うとキリは渋い顔をした。その理由は、その後すぐに分かる事になる。
ノアの教室では魔法史の授業をしていた。そっと後ろのドアから覗き込むと、ノアは机に突っ伏して眠っている。
「兄さま寝てる」
「ノア様は大体あんな感じです」
寝ているノアを見て、教師は腹を立てた様子でノアを当てた。
「バセット! 次、答えなさい」
「月の輪二十七年」
「……正解」
突然当てられたノアはむくりと顔を上げて答えた。アリスに対する時とは態度も声も全然違う。つまらなさそうだし、何だか投げやりだ。
ノアはしばらく頬杖をついて外を見ていたが、大きなため息を落として教科書をペラペラと捲っている。
「兄さまって不真面目なの?」
「まあ、真面目ではないですね。いいですか? お嬢様は絶対に真似しないように。ノア様はあんな態度でも結果は出せるから咎められないだけですよ!」
ノアの授業態度は悪い。でも勉強は出来る。だから教師たちは嫌な顔をしても注意出来ないのだ。はっきり言って一番嫌なタイプである。
その点、同じクラスのルイスもカインもキャロラインもとても真面目にノートを取って授業を聞いている。
「あれ? キリ君、アリス様」
「オスカーさん。お迎えですか?」
「はい――っっっ!」
いつものように頭を下げようと俯いた所で、ふとオスカーの視界に入った犬に乗るドン。
「可愛いでしょ~?」
「こ、これは一体……何事……」
息も途切れ途切れに口元を抑えたオスカーに次いで、後ろでドサリという音が聞こえてきた。
アリスとキリが振り返ると、そこには膝から崩れ落ちたミアが居る。
「……大丈夫ですか、ミアさん」
「ど、ど、ど、ど!」
「人間の言葉を話してください。ドンが拾ってきたそうですよ」
「ド、ドンちゃん……が?」
「はい。ドンはまだ飛べないので、苦肉の策なのでしょう。最近は重くなってきて流石に肩に乗せるのは辛くなってきたので」
キリは座り込んで動けないミアに手を差し伸べると、ミアはその手を取って立ち上がった。
「か、可愛いと可愛いのタッグ……これは夢ですか?」
「現実です。オスカーさんも、鼻血を拭いてください」
そう言ってキリがティッシュを差し出したのと同時に授業終了の鐘が鳴った。
ガラリとドアが開いて、一番に廊下に姿を現したのはルイスだ。
「なんだ、お前たち。お迎えか?」
「うん! 兄さま迎えに来ました!」
アリスが声を発した途端、教室の中でガタン! と何かが倒れるような音がして、次の瞬間アリスの体は宙に浮いていた。
「アリス! 迎えに来てくれたの⁉ よく迷わなかったね!」
ノアはアリスを抱き上げてグルグル回して抱きしめる。
「キリも一緒だもん、迷わないよ」
「そっか! ん? どうしたの、キリ、変な顔してるけど」
「お嬢様がまたやらかしました。これ」
そう言ってキリが指さした先にはブリッジに跨ったドンが居る。
それを見て瞬時に色んな事を理解したノアは頷いた。
「ドンは凄いね。乗り物ゲットしてきたの? この子の名前は?」
「キュ! キュキュッキュ!」
「うん、分からない。アリス」
「ブリッジだよ!」
「ま、最後までちゃんと面倒見るんならいいんじゃない? どうせすぐ乗れなくなると思うけど。それでも一度拾ったら、最後まで面倒見るんだよ?」
「キュウ~」
ドンのとてもいい返事を聞いたノアはしゃがみ込んでブリッジを撫でた。そして言う。
「ブリッジ、部屋に戻ったらすぐにお風呂だからね」
「ウォウ!」
廊下から聞こえる突然の犬の声に皆がゾロゾロと廊下に出て来る。
「お、おぉぉぉ! ちょ、おま! なん⁉ え? 何に乗ってんの⁉」
「カイン様まで人語を……おいたわしい……」
さりげなく失礼な事を言ったのは、ルイスを迎えに来たトーマスだ。トーマスはしゃがみこんでブリッジとドンの頭を無言で撫でると、立ち上がった。
「これ以上騒いでいたら苦情が来そうです。移動しましょう」
「ですね。ドン、ブリッジ、行きますよ」
キリの後にお尻をフリフリしながら短い足の犬が追いかけていく。その後ろ姿にとうとうカインまでもその場に崩れ落ちた。
「か、可愛いは……正義……」
「よし。カインとオスカーは置いて行こう」
床に崩れ落ちているカインとオスカーを見たルイスが言う。それに頷いたノアとアリスはルイスの後に従った。キャロラインも足をガクガクさせたミアを支えながらついてくる。
「だ、大丈夫? ミア」
「ええ。すみません、お嬢様。あまりにも可愛くて意識を失う所でした……」
「そ、そう? 無理は駄目よ」
ミアをはじめ、キャロラインの周りには動物好きが多すぎる。動物が苦手なキャロラインは大変肩身が狭いのである。何だか動物を苦手だと言うと、酷い人! みたいなレッテルを貼られるが、そこは仕方ないだろう⁉ 誰にだって苦手なものの一つや二つはあるのだ! とは思うのだが、それはなかなか言えないのが世間という奴である。
「ごめんね、キャロライン。また生き物増えちゃって」
そう言ってキャロラインの顔を覗き込んできたノアの顔には一片の申し訳なさもない。
「あなた、せめて少しぐらい言葉と表情を一致させたらどうなの?」
「無理だね~だって、面白いじゃない。生き物嫌いの聖女さまなんて、なかなか斬新でいいと思うよ。それに、何か一つぐらい無理な事ないとね。ただの嫌味な人になっちゃうでしょ?」
公爵家の令嬢で王妃候補で才女で美人で性格も良いだなんて、誰が愛してくれるものか。
「兄さま、間違ってる! キャロライン様は十分面白い人だから大丈夫だよ!」
「な⁉ わ、私のどこがおもしろいというの⁉」
今まで至極真っ当に生きて来た。なんなら面白みのない人間だと自負しているというのに!
「えー、だって、何かたまにお母さんみたいになるもん。そこが面白い!」
「あ、あなたのせいでしょ⁉」
アリスに会わなければこんな自分など知らなかった。まあ、最近はもうそれでもいいかと思えるから不思議だ。
食堂に行くと従者食堂のように各爵位のカードが箱に入っていた。
意外な事によく借りられているのは伯爵位のもので、量が丁度良いのだ。現にルイスもキャロラインも最近はもっぱら伯爵位のものを食べている。ちなみにカインは子爵家のものがお気に入りらしい。アランは日替わりだそうだ。
こんな具合に、あの日の改正案は着実に学園に根付きつつあった。
お風呂も今までは爵位ごとに時間が指定されていたが、それが無くなった事で時間を逃して入れない、という生徒が居なくなった。何なら従者と入るという者もいるぐらいだ。従者たちは従者たちで仲が良いので、その繋がりで階級を超えて仲良くなる者もいる。
以前よりも学園全体のギスギスした感じが薄れ、アットホームな雰囲気になってきた。
「些細な事なのにな」
以前よりもずっと賑やかになった食堂や中庭を見るたびにルイスは目を細める。
「学園は小さな国……か」
こんな風に皆が平等になれば民は全員笑えるのだろうか? それをノアに問うと、ノアは軽く笑った。
「はは、無理に決まってるじゃない。これだからボンボンは。どうしたって全員を笑顔には出来ないよ。世界って、そうなってるから」
「では、どうすればいいんだ!」
「どうしようもないよ。人間には欲がある。それがある限りは無理。だから王が民にしてやれるのは、誰も殺さない事。これに尽きるね」
「ど、どういう意味だ?」
「そのまんまだよ。飢えを防ぎ、貧富の差を少しでも縮める。後は本人次第」
「……そんな事か?」
「それが一番、難しいんだよ」
「……そうか」
ニッコリ笑ったノアが、随分大人びて見えた。
やはりノアにはこれからもルイスの指針になってほしいと思うが、それは嫌がるのだろうな。
ルイスは笑顔でアリスに手を振るノアを見ながら、小さなため息を落とした。