「いや、今は犬はどうでもいい。率直な感想を言っていいか?」
「うん?」
「お前の魔法はかなり危ない。今まで人にかけた事あるか?」
さっきまでの全力疾走を思い出したイーサンはゴクリと息を飲んだ。あまりにもアリスが間抜けな顔をしてこちらを見上げてくるので、そんな危険な魔法には全く思えないが、これは危ない。ここに連れて来たノアに感謝である。
「無いよ。兄さまにやっちゃ駄目って言われてるもん」
「そうか。あのな、アリス。魔法には危険度レベルってのがある。五段階評価なんだが、お前のはぶっちぎりで五だ。いや、むしろ五でも足りない。試しに軽い魔法をあいつらにこっからかけてみな?」
そう言ってイーサンが指さしたのは他の生徒たちだ。その数、五十人程。
「いいの?」
「ああ。そうだな、誰でも出来そうな……スキップでもさせてみるか」
「分かった」
アリスは両手を前に突き出して推しのグッズを買った帰り道を思い描く。嬉しくて仕方なくて、胸に抱きかかえてスキップしながら駅から家に帰った、いい思い出だ。
「開封式~~!」
目を開けると、グラウンド全体に白い光が舞い、皆にふりかかる。あまりにも細かい光だった為に誰も気づいていなかったが、そのうち一人が突然その場でスキップしだした。それに続いて続々と意味もなくその場でスキップをしだす生徒たち。
多少のズレはあるものの、気づけば皆何だか楽しそうにスキップしている。
その楽しそうな様がイーサンには恐怖でしかなかった。背中にさっきとは種類の違う汗が流れ落ちる。
「……前言撤回だ。お前の魔法レベルは十だ……」
誰も苦痛を感じていない。その行為がおかしいとも感じていない。その様子がもうおかしい。
これはマズイぞ。非常にマズイ。これは『魅了』か? 『魅了』でこんな事が出来るのか?
この様子だとアリスが例えば全員に崖から飛び降りろと命じれば飛び降りるのではないか?
確かノアは言っていた。アリスの魔法は痛みや恐怖なども取り払ってしまう、と。
おそらく痛覚がなくなる訳ではないのだ。痛いと感じる気持ちを丸ごと取り去ってしまうのだ。つまり、アリスは物理でどうにかする訳ではない。人の感情をコントロールする、という事なのだろう。そう考えれば確かに『魅了』ではあるのだが、これは――。
楽し気にスキップしていた生徒たちは、やがて我に返ったようにその場に立ち尽くした。
けれど、嫌な気持ちは全くない。何かを成し遂げたかのような妙な達成感がある。誰からともなくそんな自分達を笑い出した。あちこちから何でスキップ? なんて声が聞こえてくる。スキップが出来ない子も居たがそれっぽい事をしていたので、どうやら個人の力量には全く関係がないようだ。
イーサンは呻くようにアリスの肩を掴んだ。
「ノアに感謝しろよ、アリス。もしこれを知らずに誰かにかけていたら、すぐさま絞首刑だったぞ」
「え!」
そう言われてアリスは納得した。あの絞首刑エンドだ。ノアが言っていた。アリスは魔女になったのだろう、と。あれはこういう事か。何かに納得したアリスはイーサンの言葉に神妙な顔をして頷いた。
「お前は制御も大体出来ているし、課題はどうやって止めるか、だな。あとは――掛け声が変だな?」
なんだ、開封式って。売り切れるぞ! と言って走り出した自分もだが、そうとう恥ずかしい掛け声である。
「ぶー」
「次の授業では魔法の持続力の勉強をしようか。あと、カッコいい掛け声な」
そう言ってイーサンはアリスの頭を軽く撫でた。ついでにアリスの魔力の計測もしなければならない。学園の入学者は毎年身体測定の時に一緒に魔力を計測されるが、アリスは編入してきたのでまだ身体測定を一度も受けていない。
しかしノアの妹だという事を考慮すると、恐らく凄い数値を叩き出しそうだとイーサンは考えている。
「先生、兄さまは危険度レベルどれぐらい?」
「ノアか? あいつも五だよ。全く、バセット家は一体どうなってんだ?」
「そっか~良かった! 兄さまとお揃いだ~」
「……お前は一生それぐらいお気楽でいろよ。それが何よりも長生きする秘訣だ。そら、授業終わるから皆の所に行け」
「は~い! ブリッジ、ドンちゃん皆の所まで勝負だ~!」
「キュ!」
「ウォゥ!」
そう言ってアリスは一目散に駆けだした。その後ろからブリッジと名付けられた犬と、その背中に乗るドラゴンが追いかけて行く。
自分の受け持った生徒から魔の者は出したくない。イーサンはそんな事を考えながら元気に走り去るアリスの背中を眺めながらゆっくりと歩きだした。
「ライラ~! リーく~ん!」
「アリス! と、え? その犬どうしたの?」
「なんかね、ドンちゃんと意気投合したみたいだから一緒に連れてきた! ブリッジだよ!」
「意気投合っていうか、乗り物扱いされてない? その犬」
アリスの足元を嬉しそうに駆けまわるブリッジとドンに目をやったリアンがボソリと呟いた。
リアンの言う通り、よく見るとドンはブリッジに跨って巧に行きたい方の耳を引っ張って指示を出している。
「仲良しだよね~?」
「ウォウ!」
「ギュ!」
「ドンちゃんのギュ! いただきました! この鳴き方する時は最上級に嬉し楽しい時です!」
「ほんとかなぁ?」
半信半疑なリアンと手を組んで目を輝かせているライラ。未だにキャロラインはドンに慣れないが、ライラは大分耐性がついてきたようだ。そして今では生徒や従者関係なくどこへ行ってもドンを誰かが構ってくれている。
その証拠に今もブリッジに乗ったドンはわざとゆっくり皆の足元を歩き、方々から称賛の声を浴びて誇らしげだ。
「お~い、お前たち。鐘はまだだが今日の魔法練習は終わりだ。着替える時間があるだろうからさっさと教室戻れ~」
イーサンの声に生徒は皆喜んで歩き出す。