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第41話

 アリスは一瞬ノアを呼びに行こうと思ったのだが、呼びに行ってる間にシャルルを見失っては困る。そう思い直して姿勢を低くしたアリスは音を立てないようにそっとシャルルの後をつけた。

 シャルルはたった一人で森の中にどんどん入っていく。まるで目的の物がある場所を知っているかのように、その足取りに迷いはない。

 ただシャルルの後をつけていたアリスだったが、ふとここである事に気付いた。周辺から硫黄の匂いがしてきたのだ。振り返ると、後方にはドンを拾った洞穴がある。どうやらここはちょうどあの洞穴の裏側らしいという事に気付いたアリスは、さらにシャルルの後を追った。

 どんどん硫黄の匂いが強くなってきて、やがて霧のような湯気が周りに立ち込め始めた頃、シャルルは足を止めた。

「気配はしたのに……」

「……」

 しばらく湯気の中をじっと見つめていたシャルルが、それだけ呟いてクルリと振り返った。マズイ! と思った時にはシャルルは目の前に来ていて、じっと金色の目でアリスを見つめてくる。

「おや、アリス」

「お、お久しぶりです」

「ずっとつけて来てたんですか?」

 薄く笑ったシャルルは、琴子が好きだったアリスとはかけ離れすぎている。

「だって、気になるじゃない。こんな所に居るはずのない人が居たら」

「それもそうですね。ところでアリス、この世界はどうですか?」

「!」

「まあ、今回はあなたには味方が沢山ついているので、いい所までいくかもしれません。ですが、恐らく今回が最後ですよ。貴方達が記憶を持ったままループ出来るのは」

「どういう意味?」

「そのまんまの意味ですよ。この世界にもとうとう介入者がやってきてしまった。思ったよりも早かったですね」

「……」

 どうしよう! 言ってる意味が全く分からない!

「ふふ。分からなければいいんです。ではアリス、ごきげんよう」

 そう言ってシャルルの姿はアリスの目の前から掻き消えて、一羽の蝶が空へと舞いあがった。

 アリスは走った。とにかくこの事を皆に知らせなくては! そう思うのに、頭の中ではグルグル同じことを考えている。

 シャルルの言っていた言葉の意味は全く分からない。分からないが、何か不穏な事を言っているのだけは理解出来た。そもそもどうしてシャルルはここに居たのだ?

 ようやく見えてきた小屋の前には皆の姿があった。なかなか戻らないアリスを心配して出て来たのだろう。キリと何かを話していたノアが、ふと顔を上げた。

「アリス!」

「兄さま」

 声を掛けた訳でもないのに自分に気付いたノアに驚いていると、ノアは物凄いスピードで駆け寄って来て、正面からアリスを抱きしめて来る。

「に、兄さま、く、苦しい」

「どこ行ってたの⁉ 皆心配してたんだよ!」

「ご、ごめんなさい。で、でもね! 聞いて! 今ね、森の中でシャルルに会ったんだよ!」

「どうしてシャルル?」

「泥落とそうと思って外出たら、シャルルが森の中に入ってくのが見えたの! だから追いかけてたんだ」

 どうにか名誉挽回しようとして口走ったアリスの頬に、鋭い痛みが走った。その痛みに驚いて顔を上げると、見た事もないようなノアの顔がある。

「アリス、君の破天荒な所は僕は長所だと思う。でも、もう少し周りの事を考えてよ。アリスはゲームの中の彼しか知らない。それは彼の一面にしか過ぎないんだってこと、よく覚えておいて。現実の彼は並外れた魔力を持った、今後敵になるかもしれない人物なんだって事をしっかり考えて行動していかないと、いくら僕がアリスを守りたくても守れなくなる。君には、これからも素晴らしい人生を送ってほしいんだよ」

 そう言ってノアは視線を伏せた。可愛い可愛い大切な妹。この子に何かあったらと思うと、胸が張り裂けそうになる。

「……兄さま……」

(こんなに兄さまが怒るの……初めてだ。どうしよう……)

 そして一気に怖くなる。どうしよう。嫌われる。そう思った途端、アリスの目から大粒の涙が零れおちた。

「あ……う……ご、ごめ……ごめんなさ~~~~~~ぅえぇぇぇぁぁぁぁぁぁぁあああ!」

 咆哮とも言えるアリスの泣き声(?)に、その場に居た全員の顔が引きつった。

「キ、キリ、ちょ、ど、どうしよう⁉」

「……お、お嬢様、せめてもう少し可愛らしく泣けませんか?」

 まるで怪獣の叫び声のような泣き声にノアを始め、キリまで珍しくギョッとしたような顔をしている。

 ノアはどんどんボリュームが上がるアリスの鳴き声を阻止しようと、もう一度アリスを抱きしめて狼狽えた。

 いや、泣きすぎだしこんな泣き方……可愛いすぎるじゃないか!

 どこまでも妹バカな兄である。

 一方、傍から一連の流れを見ていたリアンとライラ、そしてスミスは耳を塞ぎながら思った。今後何があってもアリスの事を泣かせてはいけない、と。

「うぇあぁぁぁぁ!」

「キリ、ちょっとタッチ。僕もう鼓膜破れそう」

「え、鼻水がつくので嫌です」

「僕だって嫌だよ! 何よりも耳が痛い!」

「二人ともひどいぃぃぃぃぇぇぁぁぁあああああ!」

「一体何事なの? 森の中から不気味な獣の雄叫びが聞こえるって苦情がきたから来てみれば」

 さらに泣き出したアリスを止めたのは、ここにはいるはずのない人だった。

「キャロライン! 助かった! はい、タッチ」

 ノアはアリスの肩を押してキャロラインの前に差し出すと、キャロラインは涙に歪んだアリスの顔を見て腰に手を当てると、大きく息を吸い込んで叫んだ。

「アリス・バセット! シャンとしなさい! お行儀が悪いわよ! 今すぐに泣き止まないと、明日から一週間ダンスの練習と歴史の勉強を毎日詰め込むわよ⁉」

「ひっ!」

 その途端、怪獣は静止した。もとい、アリスは泣き止んだ。それほど歴史とダンスが嫌いなのかと誰もが思った訳だが、今はそれよりもアリスが泣き止んだ事に誰からともなく拍手が沸き起こる。そして、この日からキャロラインにはとても不名誉なあだ名がついた。

 『猛獣使いのお姫様』誰が言い出したのかは分からないが、このあだ名は国母になっても消える事はなく、後に『猛獣使いのお妃さま』と一生呼ばれ続ける事になるのだが、このあだ名のおかげでキャロラインをただの公爵令嬢だと思っていた貴族の間には畏怖のようなモノが生まれ、逆に庶民の間では噂が先行して親しみを込めてそう呼ばれるようになるのだが、それはまた別のお話である。

「それで? 一体何事なの?」

「うん? ちょっとした兄妹喧嘩だよ」

「ていうか、あんたたちの場合痴話げんかでしょ。犬も食わないよ」

「リアン様、その通りですがそれを言ってはお終いです。ところでお嬢様、シャルルに会ったとは?」

 キリがとにかく気になるのはそこだ。怪獣の雄叫びですっかり忘れそうになっていたが、アリスは結構重要な事を言っていた気がする。

「シャルル? どういう事なの、ノア」

「分からない。とりあえず一から説明するよ。部屋に戻ろうか」

「ええ、そうね。アリス、いらっしゃい。そんな顔で学園には戻れないでしょう?」

 涙でズタボロになったアリスの顔を拭いてやるべくキャロラインが手を差し出すと、アリスがおずおずとその手を取った。そんな光景を見てライラが頬を染めている。

「お姉さま……素敵……」

「……ライラ、ちゃんと見えてる? あいつの顔酷いよ?」

「見えてるわ。見て、あのアリスの安心しきった顔……ああ、駄目よライラ! どうしよう、おかしな扉を開いてしまいそうだわ!」

 うっとりするライラを見てリアンは小さなため息を落とした。今日も世界は平和だ。

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