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第30話

 ノアが部屋に戻った時には既にキリのお説教は終わっていた。床にはアリスとドンがうつ伏せに倒れていて、その様子からどれほど二人がキリにこってり絞られたのかが見て取れた。

「アリス、川に飛び込もうとしたんだって?」

 ノアの言葉にアリスは驚いて顔を上げた。

「どうして知ってるの⁉」

「キャロラインに手紙を送ったでしょ? さっきそこで会ったよ。もう二度と川に飛び込まないようにって。お風呂を使いたいなら、部屋にいらっしゃいだって」

「心配……してた?」

「まあ、寝間着で出て来た挙句、カーラー取り忘れるぐらいには心配してた」

 貴族令嬢とは思えないような恰好で部屋を飛び出してきたキャロラインを思い出してノアは笑みを浮かべた。

「そら見た事か、ですよ。お嬢様」

「……うん。もうしない」

 ドンを拭き終わったタオルを干していたキリがソファに腰を下ろして床で倒れているアリスを冷たい目で見下ろした。

「どうしたの?」

「キリがね、あんな事言ったらキャロライン様は絶対ビックリするって。無駄な心配と仕事を増やしてやるな、って」

 まさか、と思ったが、キリの言う通りだったようだ。アリスは床の絨毯に額をこすり付けて深く反省した。自分の常識と他人の常識は違う。ずっと言い聞かされていたはずなのに、嬉しくてついはしゃいでしまった。

「反省しましたか?」

「うん」

「では、時間はもう大丈夫でしょうから、お嬢様もお風呂に入ってきてください。部屋が磯臭いです」

「……行ってきます」

 アリスはそう言って床から体を引きはがすと渋々お風呂の用意をしだした。

「そうだ! どうせもう誰も居ないし、ドンちゃんも一緒にお風呂行く⁉」

「駄目です。その後は使用人が入るんですよ?」

「……そっか」

「行ってらっしゃいませ」

 トボトボと部屋を出て行くアリスを見送って、キリはノアのお茶を用意した。

 ノアの膝の上にはすっかり綺麗になったドンが居座っている。そもそもドンは既にアリスと違ってお風呂は済んでいるのだ。その証拠にドンはラベンダーの良い香りがしている。

「キリ、ちょっと早いけど今日はもう業務終了でいいよ。お疲れ様」

 ノアの言葉にキリはコクリと頷いて自分のお茶の準備をしだした。業務が終了したらここからは使用人と主人ではない。アリスを守る友人としての立場になるのだ。

「色々考えてたんだけどね、今のペースじゃ恐らくゲーム開始するまで色々間に合わないと思うんだよ」

「そうですね。メインストーリーは来年の夏からでしたか?」

「そう。本当は来年の夏からアリスはこの学園に入学してくるんだ。それまでに僕たちはシャルルを大公に仕立て上げなくちゃならない」

「難しいですね。この学園内にいる限りは」

 今現在、フォルス公国の大公はシャルルの父レンギルだ。まだ健在で一向に代替わりしそうな雰囲気はない。

「そうなんだ。どういう経緯でゲーム内のシャルルが大公になったのかが分からないから手の打ちようがないんだけど、まさか暗殺する訳にもいかないしねぇ」

 ため息をついたノアがお茶をすすると、膝で丸まっていたドンが起きた。お茶を飲むノアとキリを見て、自分も真似したいのかキリの足によじ登り始める。

「ココアでいいですか?」

「キュ!」

 何となくドンの言いたい事が分かってきたキリは、まだ温かいヤカンのお湯でココアを入れてドンの前に置くと、ドンは満足したように机に上ってココアを飲みだした。

 そんな光景を見ていたノアはドンの尻尾をいじりながらもう一度ため息を落とす。

「この子の事も気になるし、何から手をつければいいのやら」

「全くですね。とりあえずフォルス公国には誰かをやって情報を仕入れるしかないですね」

「そうだね。誰か居ないかな……」

 こういう時にフットワークの軽い学園外の友人が欲しいものである。

 そこまで考えた時、ふとある事を思い出してノアは『花冠2』の攻略対象が書かれたメモを見て呟いた。

「キリ、この商人って使えないかな?」

「え?」

 ノアの示した先にはダニエル・チャップマンと書かれている。

 備考欄の所には『職業 商人』とあり、爵位は伯爵のようだ。年齢からして恐らくまだ家業の仕事にはついていないだろうが、見習いとしては既に働いているかもしれない。学園には入らず実家の仕事をしているとアリスに聞いたが、これは使えるのではないだろうか? 商人であれば、他国に行く事も比較的簡単だ。

「そう言えばこのチャップマンという苗字ですが、お嬢様の隣のクラスに居ますね。爵位は子爵でした。もしかしたら何か繋がりがあるのでしょうか?」

「分からない。後でアリスに聞いてみようか。もしかしたら何かわかるかもしれない」

「すみません。もっと早く気づいておくべきでした」

「いや、気づいても苗字だけじゃ分からないよ。もし彼がダニエルの血縁者なら、仲間に引き入れるべきだと思う?」

「それは『花冠2』のヒロインもまだ登場していないので難しいのでは?」

 まだ2のヒロインであるエマは学園には来ていない。彼女が学園にやってくるのは三年後なのだ。それにエマにも前世の記憶はあるのだろうか? それもかなり重要だ。

「だよね。じゃあ、やっぱり普通に仲良くなるのがベストだね」

 本当はそんな事をアリスにさせたくはないが、ノアが直々にチャップマンと仲良くするのは接点が無さすぎて無理がある。そもそも普通にアリスがチャップマンと仲良くなれるかも謎である。キリもどうやらその考えに至ったようで、二人して頭を抱えていると、鼻歌を歌いながらアリスが戻ってきた。

「あー! なんか美味しいもの飲んでる~。私も淹れよっと。ドンちゃん何飲んでるの?」

「キュキュキュ」

「ふんふん、ココアね。じゃ、私もそうしよ」

 ルンルン言いながらヤカンを火にかけだしたアリスを見て、ノアとキリは互いに顔を見合わせてガックリと項垂れる。

「やっぱり無理じゃない?」

「俺も今そう思いました」

 ボサボサ頭でタオルを首に巻いてヤカンに火をかける令嬢と、誰が仲良くしてくれるのだろう。はっきり言って無謀である。挙句の果てにドラゴンと会話をしてしまうのでは、救いようがない。

 ココアを淹れ終えたアリスが当然のようにノアの隣に腰かけると、フーフーしながらココアに口をつけた。そんなアリスを見てノアは苦笑いを浮かべる。

「僕は好きだけどねぇ」

「それはノア様の趣味が特殊だからでは……」

「うーん、やっぱそうだよね。アリス、ココア飲む前に髪乾かそうか」

「あ、待って! ちょっとだけ! もう一口だけ!」

 慌ててココアに口をつけたアリスは案の定、舌を火傷する訳だが、そこまでがテンプレートである。結局キリに冷たい水を用意してもらって舌を冷やしている間にノアが髪を乾かしてくれる。アリスの至福の時間である。

「ねえアリス、隣のクラスのチャップマンって知ってる? 子爵家の」

「ううん、知らない。誰?」

「ほら、『花冠2』の攻略対象のダニエル・チャップマンって居るじゃない?」

「ああ、商人の! え? まだ出て来ないよ?」

「うん、そうなんだけど。でも、もしかしたら何か関係ある人かもしれないじゃない?」

 例えば兄弟とか従妹とか。そう付け加えたノアにアリスは素直に頷いた。

「明日聞いてみる! 子爵家だったらもしかしたらライラが知ってるかも」

「そっか。じゃあお願いしてもいい?」

「いいよ。でも、何で?」

 どうしてまだ出て来ても無いダニエルとの接点なんて探すのだろう? 不思議に思ったアリスが首を傾げると、ノアが先程キリと話していた内容を丁寧に説明してくれた。

「なるほど。確かに私達じゃフォルス公国行けないもんね……」

「そうなんだ。でもシャルルが登場してくれないとどうにもならないじゃない?」

「そうだね! 分かった。チャップマンにもゲームの事話す?」

「いや、それはまだ。エマも出て来てないし、突然言っても信じないよ。宝珠がある訳でもないしね」

「そっか。じゃあとりあえず明日はチャップマンとダニエルの繋がりを調べてくるね!」

 任せておいて! そう言って胸を叩いたアリスだったが、ノアとキリは苦笑いを浮かべただけだった。二人ともアリスが張り切れば張り切るほど事態は悪化するという事を今までの経験でよく知っているのだ。

「普通でいいよ。出来るだけ自然にね。ていうか、ライラちゃんに聞くだけでいいからね。わざわざ隣のクラスに乗り込んだりしないようにね?」

 勢いあまって隣のクラスに突撃するアリスを容易に想像する事が出来てしまったノアが釘を刺すが、もうアリスには聞こえていない。自分のやるべきことが見つかった事で、アリスの目は輝いていた。

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