翌朝、というよりもまだ深夜。アリスとノアとドンは出来るだけ物音を立てないようにこっそりと部屋を出た。大荷物を持って泥棒よろしく歩くさまは、まるで夜逃げである。
荷物が多いであろうキャロラインの部屋にはキリを先に派遣しておいた。
皆との待ち合わせ場所は学園の門の所だ。そこで学園の外に居住を構えるザカリーと落ち合う事になっている。
「ザカリーさーん! スタンリーさーん!」
「おはようございます。今日はありがとうございます」
「おう、お嬢に坊ちゃん、あーあとドン?」
「何でドンだけ半信半疑なんスか?」
釣りなど! と言っていたスタンリーもちゃっかり参加している。
全員揃ったのを確認したザカリーが地面に置いてあった荷物を持って歩き出そうとすると、ノアがそれを止めた。
「あ、ちょっと待ってください。あれから参加者が増えまして。あ、来ましたね」
ノアが向こうから歩いてくる三人に手をあげると、三人もそれぞれ返事をしてくれた。
まだかなり距離はあるが、こちらに向かって歩いてくる三人を見たザカリーが、持ち上げた荷物をドサっと地面に落とす。
「ま、待て。なあ、おい、誰誘った? お前ら、誰誘ったんだよぉぉ!」
「ザ、ザカリーさん? どうしたんスか?」
「お、お前、誰か分かんねぇのか?」
「いや、逆によくこの距離で誰か分かるっスね? で、誰っスか?」
「どう見ても王子と次期宰相と王子の嫁さん候補だろうがよぉぉぉ!」
「……は? え、マジで?」
よーく目を凝らしたスタンリーは、真ん中を歩く人物の美しすぎる金髪を認めて膝から崩れ落ちた。
「大丈夫ですか? スタンリーさん!」
「……」
心配そうに顔を覗き込んでくるアリスは可愛い。顔は。しかし今は最早その顔は悪魔のように見える。ああそうだった。この娘は骨は食べるし生ごみは持って行くし、ケロっとした顔でドラゴンを拾ってくるような娘だった。それを思い出したスタンリーは頭を地面にゴンとつけて涙を零した。
「俺、俺マジで……再来年には結婚しようって思ってて……こっちに彼女呼ぼうって……」
「それ以上言うな、スタンリー! 独り身の俺の前でそんな話はさせんぞ! お嬢お前だな⁉ 誘ったのお前だな⁉」
「えー? 兄さまかもしれないじゃ~ん」
「いいや、違う。絶対お前だ! 兄貴の方もちょいちょいおかしいが、お前程じゃあない!」
「ザカリーさん、付き合いが短い割にお嬢様の事をよく理解してらっしゃいますね」
大荷物を持って突然現れたキリに、ザカリーは泣きついた。
「キリ坊~~~~~」
「男に抱き着かれるのは趣味ではありません。あと、鼻水が汚いです」
容赦なく泣きついてきたザカリーを突き放したキリは、キャロラインの荷物とアリスの荷物を呼んでいた馬車に積み込み始めた。
「大勢の方が楽しいですよ!」
「そういう事言ってんじゃねぇんだよぉ! このバカチンはよぉぉ! お前男爵家だろぉ⁉ 何で大人しく同じ爵位同士で仲良くしねぇんだよぉ……」
「爵位なんて関係ないですよ! 人間なんて皆、骨と肉と皮で出来てるんですから! ね!」
「そのとんでも理論どうにかなんねぇのかよぉ⁉」
「無理だよ。諦めて、ザカリーさん」
ノアがザカリーの肩をポンと叩くと、ザカリーもその場に崩れ落ちた。こいつらには何を言っても無駄なのだと悟った瞬間だった。
「おはよう! いや、まだ夜中だな。最初はどうなるかと思ったが、実際に深夜に出歩くのは新鮮で楽しいな!」
「ルイスはさー、いつも始める前は何でも二の足踏むんだよね。昔っからそう。そのくせ誰よりも一番楽しむんだよ。あ、皆おはよう」
「おはよう、アリス、ノア。キリを貸してくれてありがとう。おかげで助かったわ。それから、
こちらがザカリーさんとスタンリーさんね? あら、どうしたの? 具合が悪いの?」
地面にひれ伏している二人を見てキャロラインが心配そうに言うと、ザカリーとスタンリーはまるでバネが仕込んであるかのように勢いよく立ち上がって、直角にお辞儀をした。
「おはようございます! 学園でコック長を務めさせていただいているザカリーと申します!」
「おはようございます! 同じく学園で副コックを務めさせていただいているスタンリーです!」
深夜三時。可哀想なコック達の声が辺りに響き渡った。
「あら、ご丁寧にありがとうございます。私はキャロライン・オーグと申します。今日は無理を言ってごめんなさい。どうぞご指導の程、よろしくお願いいたします」
「ザカリーとスタンリーか。ルイス・キングストンだ。いつも食事をありがとう。今日はよろしく頼む!」
「よろしくね~。俺はカイン・ライト。カインでいいよ」
そう言ってスッと手を差し出したカインにザカリーが目を丸くした。あれ? もしかしてよく似た同姓同名の別人? と思ったのは内緒である。
「え……めっちゃいい人達……」
「……だな」
一体どんな人達を想像していたのか、拍子抜けしたような顔をしたザカリーとスタンリーにカインが笑った。
「先に言っとくと、貴族は皆が皆この二人みたいな訳じゃないから。この二人は特殊だから」
「で、ですよね~! 良かった……皆こんなのかと……」
「っス」
チラリと横目でアリスとノアを見ると、アリスは納得いかないとばかりに頬を膨らませているし、ノアは相変わらず楽しそうに笑っている。
「ねえねえ、ザカリーさんもスタンリーさんも私の時と態度違いすぎない?」
「しゃらくせぇ! ったりめぇだ! このバカチン!」
「それな、っス」
「ひどい~~~」
アリスの頭をげんこつでグリグリすると、アリスはザカリーにポカポカと殴り掛かった。その光景はまるでお父さんと娘だ。
何だかんだ言いながらも仲のいいアリスとコック達である。
「さて、それじゃあ皆揃った所で馬車に乗ってね。早くしないと朝になっちゃうよ」
ノアの一言に皆がそれぞれの馬車に乗り込んでいく。
「そうだった、そうだった。キリ坊、これも頼む」
「はい」
ザカリーから釣り竿を預かったキリは荷物ばかりを積んだ馬車にそのまま乗り込んだ。
「お、俺達も一緒に乗っていいか?」
「俺もそっちがいいっス」
「構いませんが、狭いですよ?」
「構わん! 後生だから!」
「狭いとこ落ち着くっス! 大好きっス!」
あの面子の馬車に乗り込む勇気などない。ザカリーとスタンリーは無理やりキリの乗った馬車に乗り込むと、馬車は発車した。
馬車に揺られる事三十分。学園に来た時渡った橋までやってくると、そこから浜辺に降りる階段があった。男子たちは従者と共に荷物を運び、女子は夜の海にキャッキャとはしゃぐ。
「うわぁ、海~! 磯臭~い!」
「アリス、私、そんな喜び方初めて聞いたわ」
「アリス様は喜び方が独特ですね。ところでドンちゃん、素敵なネックレスですね!」
どう考えても磯臭いは誉め言葉じゃないし、喜びを表す言葉でもない。呆れたキャロラインとは違ってミアの興味はいつでもドンだ。
「キュキュ」
ミアにネックレスを褒められたドンはモジモジと両足をすり合わせて恥じらっている。
「じ・つ・は! じゃじゃーん! お揃いなんです!」
アリスは服の下から取り出したネックレスをミアに見せると、ミアは目を輝かせた。
「わぁ! わぁぁ! いいですね! 可愛いですねぇ!」
「でしょでしょ? 良かったらミアさんもお揃いしちゃいます⁉ 何とコレ、銀貨一枚だったんですーー!」
安ければ安いほど嬉しいアリスである。可愛くて安くて嬉しくない訳がない。
この世界では銅貨が百枚で銀貨一枚。銀貨が十枚で金貨一枚の価値がある。銅貨の下にもまだ細かい貨幣はあるが、今は割愛しておこう。
ちなみに、キリの給料は毎月銀貨三枚が支払われている。おそらく、公爵家のメイドのミアならもっと貰っているだろう。
「え⁉ い、いいんですか⁉」
「もちろんだよ! ね? ドンちゃん」
「キュウ!」
ネックレスを見せびらかすように体を左右に揺らしたドンを見て、ミアは思わず鼻と口を押えた。
「あ、後でお店の名前教えてください!」
「うん! お休みの日に一緒に買いに行こ! キャロライン様も!」
「私も?」
「あったりまえですよ~。ねえミアさん?」
「あ、はい……その、お嬢様さえ嫌じゃなければ……つ、つけなくても! 持っていてくれるだけでその、嬉しいっていうか……その……」
珍しくしどろもどろなミアにキャロラインは目を細めると言った。
「そんなの嬉しいに決まっているわ! 公の場では付けられなくても、普段付けているにはちょうど良さそうだもの。楽しみだわ」
キャロラインは嬉しかった。公爵令嬢が付けるものを真似する人達は沢山居る。
けれど、一緒にお揃いにしようと誘われたのは初めてだ。それが例え銀貨一枚の安物だろうと関係ない。お揃いだという事に価値があるのだ。
「お嬢さんたち、荷物運び終わりましたよ~」
からかうようなカインの声が岩場から聞こえてきて、三人と一匹は顔を見合わせて笑った。