食堂に行くとノアが既に厨房付近の通路の前で待っていた。足元にはどこから借りて来たのか台車が置いてある。
「アリス! こっちこっち」
「兄さま!」
「キュキュ!」
キリの腕から飛び出したドンは走り出したアリスの肩に飛び移って、ノアの胸に飛びついた。アリスよりも先に。どれだけノアが好きなのだ、このドラゴンは。
「はは、元気だね、二人とも。用事は済ませたの?」
「うん! 苗も植えたしエビも取った!」
「キュウキュウキュキュキュ!」
ノアの質問にアリスとドンが一斉に話し出す。その光景にノアは目を細めて二人の頭を撫でたが、これではアリスが二人増えたようだ。そんな事を考えながらちらりとキリを見ると、キリは明らかにげんなりしたような顔をしているので、きっと彼の気苦労はさらに増したに違いない。次に屋敷に戻ったら、キリの給料を上げてやるよう父に進言しよう。
「これ、ザカリーさんから貰ってきておいたよ」
「ありがとう、兄さま!」
「キュキュ~!」
そう言ってその場で食べようとしたドンをノアは止めて、台車に置かれたバケツをそのまま従者食堂まで運んだ。
ドンとバケツを運び終えて立ち去ろうとしたノアの足にドンが慌ててしがみつく。そんなドンを抱き上げたノアは、優しく言った。
「ドン、よく聞いてね。僕達も本当は一緒に食べたいけど、この学園にはとても複雑で面倒な決まり事が沢山あるんだ。だから、君はこれから学園では食事はここでキリと食べるんだよ。 ちゃんとキリの言う事を聞いてね。いい子に出来るって約束できるなら、君にぴったりのアクセサリーを買ってあげる。キラキラの綺麗なやつ。そうだ! アリスとお揃いにしようか。明日は僕もお休みだから、一緒に町に行って探しに行こう。ね?」
優しいノアの声にドンはしばらく考え込んでコクリと頷いた。
「いい子だね、ドン」
「キュゥ」
「お嬢様よりもききわけがいいですね」
「酷い!」
「本当の事でしょう? さて、ドン行きましょう。台車に乗ってバケツを押さえてください」
「キュ!」
嬉しそうに台車に飛び乗ったドンはバケツが倒れないように尻尾と手を使って器用に押さえると、翼をパタパタ動かして、そのままキリと共に従者食堂に入って行く。
ノアとアリスはそんな二人を見送り食堂に入ると、後ろから声がかけられた。
「よ! ノア、アリスちゃん」
「あ、ごきげんよう、カイン様」
「カイン。もしかして待ってた?」
「まぁね。ドンが来るかなーって思ったんだけど、やっぱ向こう?」
「うん。こっちじゃ色々面倒だな、って。今朝見た限り、向こうの方がドンに優しくしてくれそうだしね」
そう言ってノアが食堂を見渡すと、何人かの貴族たちがサッと視線を逸らした。どうやら既にアリスの拾ったドラゴンの話は学園内に広まっているようだ。それに気づいたカインは眉を顰めてノアに自分のカードを差し出してくる。
「それは言えてる。オスカーがすっごい喜んでそうだな。ほら、二人とも何にすんの?」
「え⁉ カ、カイン様も貸してくれるんですか⁉」
差し出されたカードをマジマジ見つめてそんな事を言うアリスに、カインは頷いた。
「もちろん。でも、そっちのカードも貸して。俺も男爵家の食べてみたい」
純粋に興味があるのはもちろんだが、あれだけの啖呵を切っておいて先陣を切らないのでは皆に申し訳が立たない。今の所、従者達とは違って貴族の間でカードの貸し借りをしているのは自分達しか居ないのだ。
「お! カインにノア、アリス!」
「ごきげんよう、カイン、ノア、アリス」
食券機の前で列に並んでいたら後ろの方から声がして振り返ると、そこにはちゃんと順番を守るルイスと、列の順番を譲ってくれるという貴族に丁寧に断っているキャロラインが居た。
アリスはそんな二人に手を振ると、カインを指さしてから貸してくれたカードを見せた。それを見てルイスとキャロラインは一瞬驚いたような顔をして微笑む。
「いちいち報告しなくていいよ」
照れたようにそっぽを向いたカインにアリスはクスリと笑いかけると、改めてお礼を言う。
「カイン様、ありがとうございます!」
「いいよ、別にそれぐらい。ところで、アリスちゃんの男爵家オススメメニューは何?」
「私のオススメですか? そうですね。シェフ一押しセットですね。副コックのスタンリーさんが、今はすでに返上したそうですが元々男爵家出身で、自分の家で出てたメニューを採用しているらしいんです。それでね、このスタンリーさんの所のシェフ、何と! 東の大国で修行してきた人だったらしいんです。だからちょっと珍しい食事が出るのでオススメですよ!」
「へぇ~東の大国の料理か。それはちょっと気になる。てか、よく知ってんね?」
「あ、はい! ドンちゃん関係で最近すごく仲良しなんです。明後日はコック長のザカリーさんと釣りに行くんです!」
胸を張ってそんな事を言うアリスを見てカインは目を丸くしている。
「釣り⁉ え? コック長と? 何でまたそんな事に……」
「あ、はい。刺身が食べたいな、って思いまして」
「刺身?」
「はい。お魚を生で食べるれっきとしたお料理なんですが」
アリスが言い終わらない内にカインが目を剥いた。
「生⁉ 正気⁉ お腹壊すよ⁉」
「お腹壊さないようにわざわざ釣ってくるんです。刺身は新鮮でないと出来ないので! でも、一度食べたら病みつきですよ」
ニッコリ笑ったアリスを見てカインは顔を引きつらせてノアを見た。一体どうなってるんだ、この家は。ノアも変わってる変わってるとは思っていたが、このアリスはその更に上を行く。
「だ、大丈夫なの? ノア」
「大丈夫大丈夫。アリスはこう見えて食べ物に当たったのは毒草とか毒キノコ食べた時だけだから。食べられる物には何故かアリスは当たらないんだよね。家族皆が食中毒で倒れた時も一人だけケロっとしてたよね? おかわりまでしてさー」
「や、止めてよ兄さま! 恥ずかしいでしょ!」
「いや、恥ずかしいとかそんな次元じゃ……分かった。その釣り、俺も行く」
「へ?」
「万が一何かあったら困るし、もうほんとアリスちゃん、色んな意味で心配」
何とも言えない視線を向けてくるカインにノアはコクリと頷いた。
カインの本心は休日にもドンに会いたい、というものなのだが、ノアの思惑は違う。
これを機にアリスの盾を増やしておくのもいい。これに尽きる。決して攻略対象にはさせないが。
「じゃあザカリーさんに伝えておくよ。そうだアリス、明日の買い物で自分の釣り竿買う?」
「いいの⁉」
「だって、どうせ一回行ったらアリスの事だからまた行くってなるだろうし、その度にザカリーさん頼るのも悪いでしょ?」
学園に入る時に家から持ってきたお小遣いに、アリスもノアもほとんど手を付けていなかった。その後も定期的にお小遣いと言って少量の金貨が送られてはくるが、それもそのまま手付かずで残っているのだ。
多くの貴族はそのお小遣いでアクセサリーや服、お菓子などを買い込むようだが、アリスもノアも、服やアクセサリーを買ったりするタイプではない。お菓子は領地の皆が送ってきてくれるからそれで十分だし、服もちょっとした綻びならキリが直してくれる。とにかくアリスはよく動くのでドレスなども一切買わないし、落とすといけないのでアクセサリー類も買わない。
そんなものを買うぐらいならもっと実用的な物が欲しいと思っているだろうという事をノアも知っている。
「やったぁ! 後でザカリーさんにどんな竿がいいのか聞いてこなくちゃ!」
ワクワクしながら席についたアリスを見てカインが苦笑いを浮かべた。
「釣り竿でこんな喜ぶ?」
「アリスはね。可愛いでしょ?」
「ノアはアリスちゃんが何したって可愛いんでしょ? それにしても釣りか。なんでまた釣り?」
「ああ、それは飢餓エンド回避の為ですよ!」
「飢餓エンド? ああ、あれか」
「はい! キャロライン様も言ってましたが、出来る事は自分で出来るようになっておいた方がいいと思ったんです。とりあえず手始めは釣りです!」
「なるほど? でもアリスちゃん一人がその志を持ってても無意味じゃない?」
言ってる事は正しいような気はするが、たった一人で釣りが出来た所で何が変わるというのだろう。
「だからです! 貴族である自分達は何もしなくていいっていう意識を変えたいんですよ」
アリスの読んだ飢餓エンドはそれはもう悲惨だった。
悪天候と虫害のせいで小麦やその他の食糧が収穫できずに高騰し、税金と食料の値段が跳ね上がったのだ。作物が取れないのに税金や値段ばかりが上がるので、色んな所で平民や農家による横暴な領主への暴動が起こった。いわゆる百姓一揆だ。この時にさっさと国庫を開けば良かったものを、王族はそれを渋った。このことで地方の領主達が今度は王家に対して暴動を起こしだしたのだ。
この時、ほとんどの領地で貴族と平民との間に大きな溝が出来ていた。いや、元々あった溝が元に戻れないぐらい深くなってしまっていた。
いくら納めても納めきれない税金。そしてそれはいつまで経っても還元される事がない。既に飢えて死ぬ者も出ているのに国は動かない。機能しなくなった領主や王族など居ても居なくても同じことだ。平民は税金を納めるのを止め、自分達でどうにかしようと考えたのだ。しかし取りまとめる者が居ない中、結局起こるのは揉め事ばかり。最終的に貯蓄していた食料が底をつき、多くの民が飢えて死んでいった。
こうなった一番の原因は、領主や貴族と平民達の間にあった大きな溝だ。普段からお高く留まるだけで、税を納めた平民にとっての報酬が何も用意されなかったからだ。どんなものでも良かった。それこそ正しく税金を民に還元さえしていれば、あんな事にはならなかった。
もちろん全ての領地がそうだった訳ではない。現にバセット領ではどうにか死者は最低限で済んだのだから。
けれど、アリスはハンナとキリをあの時亡くした。頼りのノアも居なかったし、アリスも極限までやせ細った。少しでも領地の皆に食料を、と走り回りそれこそ草の根まで齧ったと書かれていた。
「あれは酷かった……本当に酷かった……貴族の人達と平民との間の亀裂は修復が不可能でした。でも、そうなってしまった原因はやっぱり無茶な取り立てや自分達の私腹を肥やし続けた結果だと思ったんです。結局そういう貴族たちは真っ先に領民に追い立てられてしまいましたが、そういう意識をまずはどうにかしていなかないと、何も変わらないと思うんです」
「……そうだね。今も父から聞く限り領主が贅沢ばかりして民からの嘆願書が止まらない領地が結構あるみたいだから、そこは頭の痛い所だよ」
領主の横暴さを嘆く民からの嘆願書は毎日至る所から届く。領地を表向きに収めているのは領主だが、実際に領地を支えているのはそこに住む領民なのだ。その意見に耳を傾けようにも王も領主もなかなか首を縦に振らないのだ、とカインの父であり現宰相でもあるロビンも頭を抱えていた。
「だからこそ、私が! 身をもって色々実行していこうかと思いまして!」
上も下もない。全て平等で何が悪い! アリスは超が付くほどの平和主義者なのだ! というのは建前で、実際は美味しいものが食べたい。そしたらそれを皆にも知って欲しい。ただそれだけの事なのだが、カインは納得したように頷いた。
「いい案かもしれないね。この国は幸いな事に海に囲まれている訳だし、海産物の新しい食べ方が分かればそれを目当てに来る観光が増えて港がない地域の収益も増える」
「はい!」
港がない海沿いの地域は他国からの侵入に備えて軍などが配置されているが、それこそ目ぼしいものが何もなくて、収益がなかなか上がらない。海産物を干して他所に売っているだけではどうにもならないのだ。それぞれの場所にそこの特性を生かした目玉と呼ばれるものがあるべきだ。
「何やら難しい話をしているな。座っても構わないか?」
アリスとカインが頭を突き合わせて話している所に、ルイスとキャロラインがやってきた。
「ごきげんよう。アリスはまたAコースなの? ほんとに好きね」
「ごきげんよう、ルイス様、キャロライン様。はい、毎日メニューが変わるのでお得なんです!」
アリスの大好きな単語の一つ。お得。これが書いてあるだけで心が躍る。それをキャロラインに伝えると、キャロラインは呆れたような顔をしてアリスを見る。
「それで? 一体なんの話をしていたの?」
「明後日ね、コック長のザカリーさんとカイン様と釣りに行くんです!」
嬉々としてそれを伝えると、ルイスとキャロラインはギョっとした顔をして無言でカインを凝視した。
「あーまあ、そういう事。楽しそうだし、今後役に立ちそうじゃん? やっておいてもいいかなって思って」
本当は休日にもドンに会いたいという理由なのだが、そんなカインにルイスもキャロラインも頷く。
「なるほどな。俺も行く」
「ル、ルイスも行くの?」
「だって、楽しそうじゃないか。釣りなんてこの先一生する機会がないかもしれないぞ。キャロもどうだ? ところでなにを釣るんだ?」
「色々です! もちろん釣った魚は私が責任もって調理します!」
刺身はもちろん、から揚げや天ぷら、煮つけもいい。胸をドンと叩いたアリスにノアは嬉しそうに頷いた。
「久しぶりのアリスの手料理楽しみだな。色々用意しておかなきゃね」
「うん! 鍋でしょ? まな板でしょ? 兄さま、包丁も買っていい⁉」
「構わないよ。ついでだから夕食はどこかでバーベキューしようか」
「さんせーい!」
「ま、待ちなさい!」
どんどん盛り上がる二人にキャロラインが慌てて止めに入った。
「あなた達、一体何をしようとしてるの? それは危険じゃないわよね? ていうかアリス、あなた料理なんて出来るの⁉」
そんな事は初耳だが。
「できますよ~! ていうか、料理しか出来ません! えへん!」
決して自慢は出来ないが、家に居た頃はコック達に混じって料理をしていたのだ。何故なら、バセット家には使用人がほとんど居ないから。
「そうだよ。アリスはサバイバル得意だからね。もちろん料理だって自分でしちゃうよ。与えられたものだけを受け入れる人達とは違うんだよ」
そう言うノアもまたサバイバルは得意である。当然キリも。
「それは嫌味かしら? ノア」
「嫌味ではないけど、自分が普段食べてるものがどうやって獲られて、どうやって調理されてるのかぐらい知ってる方がいいと思うよ」
ノアの一言にキャロラインは黙り込んだ。そして一言。
「私も行くわ。なにを用意すればいいの?」
「それでこそキャロライン様! えっとね、まだ日差しが強いので日傘はもってきてくださいね! 多分かなり長期戦になると思うので、疲れにくい服装の方がいいと思います。それから、当日は早朝三時には出発しますので、前日は早目に休んでくださいね! あ、ご飯は大丈夫です。食事は現地で調達するので!」
「三時⁉」
アリスの言葉にルイス、カイン、キャロラインは同時に叫んだ。まさかそんな朝早くから出発するとは思っていなかったのだ。
「はい! 魚は明け方が一番活発に動くんです。だから、狙うなら四時から五時の間。それまでに色々準備があるので、出発は三時です!」
「アリスと僕は既に学園に許可貰ってるけど、三人もちゃんと手続き済ましておいてね」
そんな早朝に学園を出るとなれば、外出許可を貰っておかないと大騒動になってしまう。幸いな事(?)にノアとアリスはとんでもない事をしでかす常習犯なので、こういった許可はすぐに下りるのだ。学園側の極力巻き込まれたくないという思いが透けて見える。
「えらいことに首を突っ込んでしまったな」
既に及び腰のルイスにカインは笑った。
「なんで? そんな時間から外出るなんてさ、ワクワクしない?」
「カイン、お前ノア達に毒されてきたんじゃないか?」
はっきり言ってカインもかなりの温室育ちな訳だが、意外とこういう事は大好きなようだ。
既に楽しそうなカインと違い、ルイスとキャロラインはどこまでも不安そうなままだった。