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第20話

 放課後、先に部屋に戻ってきていたノアはアリスに帰ってきてからずっと気になっていた事を尋ねた。

「ねえアリス、聞いていい?」

「うん」

「それさ、何なの? どっから持ってきたの?」

 ノアの視線の先にはアリスが大事そうに抱えている黒くて大きなまん丸の石。アリスはノアの質問に嬉しそうに微笑んでノアの膝の上にドンと石を置いてきた。思ったよりも軽い。

「あのね、森の中に洞窟があってね、その奥に池があったの! そこの中に落ちてたから拾ってきたんだよ! まん丸で黒くてかっこいいでしょ?」

「へ、へえ? キリ、で、これ何なの?」

「分かりません。石にしては軽いので、何かの鉱石でしょうか?」

「鉱石にしても軽すぎない?」

 そう言ってノアは何となしに石を軽く叩いてみた。すると、急に石がブルブルと震えたではないか! ノアはもしかしたら中が空洞なのではないかと思い叩いたのだが、まさか動くとは思っていなかった。

「うわぁ! 何これ? 何これ⁉」

 珍しく狼狽えたノアは石をそっとアリスに返す。アリスもまさか石が動くとは思っていなかったようで、膝の上でまだブルブルしている石を凝視している。

「に、兄さま! う、動いてる‼」

「見りゃわかるよ! キ、キリ!」

「……割ってみますか?」

 誰よりも冷静にその光景を見ていたキリの言葉にノアとアリスは揃って首を横に振った。中から何が出て来るか分からないのに、おいそれと割るなんてとんでもない!

 ところが二人の慌てっぷりなど無視して石は大きく揺れだした。右へ左へとアリスの膝の上で振り子のように揺れている。

 そこで三人はようやく気付いた。これは石ではない。何かの卵だ、と。

「あわわわわ!」

「ア、アリス、最後までちゃんと責任はとるんだよ! 何が出て来ても!」

 バセット家の家訓、拾ってきたものは終生面倒を見る事。こんな時でもノアはノアだ。気味が悪いから捨ててこいとは決して言わない。

「わ、分かってるもん! 大事にするもん! ぎゃぁぁ!」

 アリスもアリスで怖がりながらもちゃんと覚悟はあるようだ。

 その時、とうとう石に小さな亀裂が入った。流石のキリもそれを見てゴクリと息を飲む。

「お嬢さま……お世話は一人でよろしくお願いしますね」

「キ、キリ! そんな事言わないで! 三人で! 三人で仲良く世話しようよ!」

「三人って、僕もなの⁉」

「もちろんだよ! 運命共同体だもん! いやぁぁ! 何か、何か出て来た‼」

 小さな亀裂は少しずつ大きくなっていく。そしてついに穴が開いた。そこから何かニョロリとしたものが飛び出してくる。

「……」

 アリスが飛び出してきた何かをそっと指先で突くと、くすぐったいのかニョロリとした何かはグニグニ動く。何だかその動きが面白くてさらに突いていると、とうとう卵がぱっかりと半分に割れた。

「え……なにこれ? と、とかげ?」

「にしちゃ、ちょっと大き過ぎない?」

「トカゲに髭なんてありましたっけ?」

「キュウ」

 出て来たのはトカゲによく似た何かだった。何かと表現したのは、それが見た事もない生き物だったからだ。足が二本。手が二本。足と手と別けたのは、この生き物が二本脚で立っているからだ。そして小さいが折りたたまれた翼らしきものもついている。体長は四十センチ程だろうか。大きなアーモンド形の金色の目に全身が真っ黒な被毛に覆われていて、全体的にずんぐりしている。卵から出たばかりだからか、しっとりと毛が濡れているが、乾くとおそらくビロードのような手触りだろうと思わせる程ツヤツヤだ。毛の下にはところどころに鱗のようなものが見える。

「に、兄さま、これ何だと思う? 私、すっごく嫌な予感がするんだけど」

「奇遇だね、アリス。僕もだよ。キリ、今すぐに皆を呼んできてくれる? 特にアラン」

「かしこまりました。すぐに呼んでまいります」

 そう言ってキリはいつものキリからは考えられないほどのスピードで走り去っていく。

「ねぇ? お前、もしかして……ドラゴン?」

「あ、言っちゃう? アリス、言っちゃうんだ?」

「だって、現実逃避してても仕方ないもん! 名前もつけなきゃだし……ドラゴンか……ドラゴン……ドラちゃん、は駄目だな、色々と。じゃあ……ドンちゃん!」

「そことるの? ドンちゃんって顔じゃ全然ないけど?」

「キュウゥ!」

 ドンはアリスの言葉に口をパカっと開けた。それを見てアリスは喜ぶ。

「あ、喜んでるよ! 兄さま、ドンちゃんがいいって!」

「そんな事言ってる⁉ これ喜んでるの⁉ 何か鼻から煙出てるけど⁉」

 ドンの鼻から黒い煙みたいなものが噴き出してノアは慌てた。ドラゴンは炎を吐くからだ。咄嗟に身構えたけれど、いつまで経っても火を噴かない。

 それどころかドンはヨタヨタと卵の殻から這い出して、何を思ったかノアの膝の上によじ登ってきた。

「兄さまの事が好きみたい!」

「えぇ……?」

 小さなかぎ爪を使ってどうにかよじ登ってこようとするドンを抱き上げると、しっとりと言うよりもヌルヌルしている。それに気づいた途端、ノアは真顔に戻った。

「アリス、この子とりあえず洗おう」

「う、うん」

 急に真顔になったノアの顔を見てアリスは頷いた。ノアは綺麗好きだから汚れているのは許せないらしい。アリスはノアからドンを受け取ると、洗面所にお湯を張った。

「キュィキュィー!」

「うわ! 何かめっちゃ喜んでる!」

「お湯好きなんだね」

「あ、でもそう言えばドンちゃんが落ちてた泉の水も何だか暖かかったような?」

「そうなの? 一度調べてみた方がいいかもしれないね。さ、アリス。シャンプーしてあげて。僕はタオル用意しておくから」

「うん! ほ~らドンちゃん、キレイキレイしようね~」

 わしゃわしゃと石鹸を泡立ててよく濡らしたドンに泡をくっつけていく。どうやらドンはそれすらも楽しいようで、泡でモコモコになってもまだ喜んでいた。

 何とかお風呂が終わってノアに体を拭いてもらっている間、ドンはずっと気持ちよさそうに目を細めていたのだが、急にパチリと目を開けてキョロキョロしだした。

「ドンちゃん?」

 焦ったようにオロオロするドンを見て、ふと母が出て行ってすぐの幼い頃の自分の姿と重なる。

 アリスはドンを抱きしめると、優しくその背中を撫でて声をかけた。

「ドンちゃん、大丈夫。大丈夫だよ。私達がついてるからね。ちゃんとここに居るからね。学校卒業したら、きっとドンちゃんの家族探しに行こうね。だから、それまではどうか私達と一緒にいてね。一緒にいっぱい遊ぼうね」

「キュイィ……」

 ドンの金色の目はまるで心を読むようにじっとアリスの目を見つめている。どれぐらいアリスの目を見ていたのか、しばらくするとドンはアリスの肩によじ登り頬ずりをしてきた。きっと、アリスの心が正しくドンに伝わったのだろう。

 そんな二人を見ていたノアも目を細めて微笑む。あの幼かったアリスが、こんな風に成長するなんて感慨深い。

 うんうんと頷いていたノアの膝に、アリスの肩から降りて来たドンが飛び乗ってきた。

「あ、それでもやっぱり兄さまがいいのね?」

 呆れたようなアリスの声にノアはもう苦笑いを返すしかなかった。

「お待たせしました。皆さまをお連れしました」

「ありがとう、キリ」

「いえ。で、それは……さっきの?」

「そう。洗ったらこんなになっちゃった」

 ノアの膝の上で丸くなって今にも眠りそうなドンを見てキリが目を丸くした。さっきまではツヤツヤだった毛が今は爆発して大きな黒い毛玉のようになっている。

「……ブラッシングが必要なようですね。とりあえず皆さまを中に案内しても?」

「もちろん。皆、入って」

 ノアの声に皆がゾロゾロと入って来た。もう就寝前だったからか、呼ばれて急いでやってきたのか、キャロラインなど毛先にカーラーが巻かれたままだ。

「キャロライン、それ、取り忘れ?」

「え? きゃあ! ごめんなさい!」

「あわわ! お嬢様、申し訳ありません! すぐに外します!」

 あわあわと慌てる二人を見て、一瞬で場が和む。

「ミアさんは意外とどんくさいんですね」

「し、失礼な!」

「ノア、こんな時間にどうしたのさ~」

「俺は既にベッドに入っていた訳だが……どうした? こんな時間に呼び出すなんて、急用だろう?」

「あ、あの、す、すみません、こ、こんな時間に」

 思い思いに口を開いた面々は、誰もノアの膝の上のドラゴンに気付かない。見えていない訳ではない。あまりにも毛が爆発していて、ただの黒いクッションに見えていただけだ。

 ノアはとりあえず皆に座ってもらうと、一枚の紙きれを取り出してその一部を指さした。

「これ見て。ここ」

「ん?」

 皆が紙を覗き込む。ノアの指さした箇所にはメインストーリーの最終話。シャルルと黒いドラゴンとの対決の話が書かれている。

「これがどうした? ドラゴンなんて、今や伝説上の生き物だろ?」

「そうだよノア。いくらなんでもドラゴンは攻めてこないって」

「そうよ。なんなの? それでこんな時間に呼び出したの?」

 口々にそんな事言う面々。ノアはうんうんと頷いた。つい数十分前まではノアもそう思っていた。いや、ドラゴンなどこの世に居る筈がないとさえ思っていたのだ。

 しかし、現に膝の上にいる。そして色は黒だ。これがシャルルと共に襲ってくるドラゴンかは分からないが、ドラゴンなど居ない、とは言い切れなくなってしまった。

「そのドラゴンなんだけどね、これ」

 そう言って自分の膝を指さしたノアはクッションのような黒い大きな毛玉を軽く突いた。

「は?」

「だから、これ。どう見てもドラゴンなんだよね」

 そう言ってノアは眠りにつこうとしていたドンを軽くゆすって起こした。するとドンはモヨモヨと動いたかと思うと、器用に目を擦りながらノアの膝の上で大きく伸びをして欠伸をする。

「……」

 それを見た一同は一瞬の沈黙ののち、一斉に叫んだ。

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