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第15話

 キャロラインの一言で部屋の中に歓声が沸いた。そんな中、一人腕を組んで考え込んでいたカインが言う。


「ていうかさ、すごい初歩的な事聞いていい?」

「うん」

「聖女ってさ……どうやってなんの? てか、そもそも何したら聖女なの?」


 聖女の定義ってなんだ。カインの問いに盛り上がっていた仲間たちの間に沈黙が落ちた。そしてその視線はノアに集まる。


「さあ?」

「は?」

「僕だって聖女なんて会った事ないんだから知る訳ないじゃない。そもそもアリスの言うゲームの設定では、白魔法が使えたから聖女に認定されたみたいだし。そうなんでしょ? アリス」

「うん、そう。白魔法が使える事が分かったから学園に入学させられるの。アリスの設定見る?」


 口で説明するよりも実際に見た方が早い。アリスはそう思ってゲームのアリスの設定を書き出したノートを皆の前に差し出した。そんなアリスに皆がギョっとしている。


「お、お前、平気なのか?」

「なにがです?」


 慌てたルイスに首を傾げるアリス。何がいけないんだ? 別に見られて困るような事などアリスには何もない。そんな態度に感心したようにルイスとカインがアリスを見つめてくる。


 そんな目で見つめられると照れちゃう。思わず両手で頬を抑えたアリスの後ろから、キリがはっきりと言った。


「お嬢様はそもそも隠し事が性格的に出来ませんし、何でも顔に出るし口に出します。なので、ノートを見られたところで何も恥ずかしくはないのですよね? 何ならノートに書かれている事よりも恥ずかしい事をしょっちゅうしてますので、ノートの中身ぐらいどうという事はありませんよね? お嬢様」

「あ、悪意しか感じない‼」

「失礼な。誉めているんですよ。お嬢様は裏表が無くてとても扱いやすいな、と」

「やっぱり褒めて無い!」


 相変わらず厳しいキリに拳を振り上げて怒っていると、ノアが隣でおかしそうに笑った。


「うんうん、アリスは素直な所が一番可愛いよ」

「……」


 バセット家は皆、変だ。おそらくそこに居た者は皆そう思ったに違いない。どんな身分の者にも分け隔てなく付き合えるのはこの世界では珍しい。


 白魔法を使えたのが決め手になっただけで、もしかしたらアリスのこういう部分が聖女と呼ばれた所以なのかもしれない。キャロラインは拳を振り上げて、まだキリに文句を言うアリスの横顔を見ながら、そんな事を考えていた。


「なるほど。これを読む限り、アリスは最初から聖女と呼ばれていた訳ではないのだな」


 アリスから受け取った設定を読み終えたルイスは、ノートを閉じて深いため息を落とした。メインストーリーを進める為には、聖女としてあらゆる事を解決していく必要があるようだ。


「そうなんだ。聖女としての初仕事は、おそらくこの西で起こる飢饉なんだと思う。だからそれまでにキャロラインには聖女としての立場を確立しておいてもらわなくちゃならない」

「難しい事を言うわね。聖女がどんな存在かも分からないのに……」

「そんなに難しい事じゃないよ。最初は小さな事からでいいんだと思うよ。例えば、アリスにAコースを食べさせたでしょ? あれを見た人達は驚いたと思う。ねえルイス?」

「ああ。この学園は建前では生徒は爵位に関係なく、と謳ってはいるが、実際はありとあらゆる所で差別化が図られているからな。そしてそれを、俺も当たり前だと思い込んでいた。でもあの時、アリスにキャロが自分のカードを貸したと知って、食事まで爵位で分けるのはバカバカしいと聞いて少し考えが変わった」


 あの時の感情が何だったかと言われれば、おそらく驚きと感動だろう。今まで信じてきたものが足元から崩れていくような感覚に陥ったのは、あれが初めてだった。


 第一王子のルイスは生まれた時から何もしなくても周りが何でもしてくれた。それが当然だったし、この国を背負って立つのだからそれぐらいは当たり前だと思い込んでいた。だからキャロラインが従順なのも当然だったし、爵位によって部屋割りが違ったり食事の内容が違うのも当然なのだと。


 あの時のキャロラインの行動や一言に、ルイスは初めてキャロラインという人間と向き合ったような気がしたのだ。そして、この女となら、自分は賢王になれると思った。


「で、でもルイス様、あれは最初にノアから頼まれただけで私の意思では……」


 あの時、アリスにAコースを食べさせてやって欲しいとお願いしてきたのはノアだ。自分はそれを受け入れただけで、褒められるような事は何もしていない。だからルイスのキラキラした瞳を向けられても、大変居心地が悪いのだが。


 そんなキャロラインにノアが呆れた顔で言う。


「キャロラインもアリスに負けず劣らず馬鹿正直なんだから。黙ってれば分かんないのに」

「そ、そうはいかなくてよ! だって、あなたに頼まれただけで、私は何も……」


 自分から進んでアリスに食事を提供したのであれば胸を張っていられただろうが、従っただけで手放しに褒められるのは違う気がする。そんな事を考えていたキャロラインの頭をヨシヨシとアリスが撫でてきた。


「でもキャロライン様、以前のキャロライン様なら絶対、兄さまに言われたからって私にカード貸してくれませんでしたよね? 提案したのは兄さまだけど、選んだのはキャロライン様だもん! 褒められるのはキャロライン様だよ! えらいえらい!」

「……」


 無礼ね! 今までのキャロラインなら絶対にそう言ってアリスの手を振り払っていた。


 けれど、キャロラインはそれが出来ずに顔を真っ赤にして俯いただけだった。


 こんな風に誰かに頭を撫でられた記憶がなかったのだ。手放しで褒められた事もない。何かの見返りを求めて、皆キャロラインを褒めるのだ。それでも褒められるのは嬉しくて頑張ってきたつもりだ。いつしか、それが当たり前になってしまうのだという事も知らずに――。


 公爵家の娘たるもの、美しくて当たり前。勉強が出来て当たり前。礼儀正しくて当たり前。ダンスが完璧で当たり前。その仮面の下にどれほどの血の滲むような努力が隠れているのかなんて、誰も知らない。そうしていく内にいつの間にか芽生えた下級の爵位の者との差があって当然だという考え方。だって、それだけ頑張ってきたのだ。


 パーティーで他の貴族の子達が楽しそうに遊んでるのを横目に、ダンスの練習をしていた。他の子達が美味しそうなクリームたっぷりのお菓子を意地汚く頬張っているのに、体型維持の為にオートミールのクッキーを食べていた。


(私だって、甘いお菓子食べたい……皆と一緒に遊びたい……)


 そんな風に思った心はいつの間にか何処かへ追いやられ、爵位の低い人達を軽蔑するようになっていた。いつの間にこんなにも心は卑しくなっていたのだろう。立場が違うだけで、それぞれが苦労をしている。そんな事も分からずに誰かを羨んだり蔑んだりして……馬鹿みたいだ。


「ありがとう、アリス。褒められるのって、こんなにも嬉しいのね」


 花が綻んだように笑ったキャロラインを見て、アリスはおろかルイスやカイン、アランまで頬を染めて固まった。


「キャ、キャロライン様、これから色んな事しましょうね! いっぱいいっぱい遊びましょうね! お買い物行って、美味しいお菓子買って噴水の所で食べるの! 絶対、絶対美味しいよ!」

「……ええ、そうね。とても楽しそうだわ」


 やっぱり、聖女はアリスの方が向いている。そして今なら分かる。どうしてルイス達がアリスに惹かれたのかが。アリスはきっと、こんな風に何の衒いも無く闇の中から救い上げてくれたのだろう。実際にキャロラインの心は少し前の自分では考えられないほど軽い。


「約束ですよ! あ、釣りします⁉ お菓子一緒に作ります⁉ 今ね、野菜のおやつに凝ってるんですよ! 山菜取りもいいですね! あ、あと――」

「お嬢様、見事に食べ物の事ばかりですね。他に何かないのですか?」


 呆れたようなキリの声にアリスは俯いた。


 キャロラインは知らないだろうが、アリスにとってもキャロラインは初めての友達と呼べる存在なのだ。友達と何をして遊ぶのかなど知らない。そんなアリスの心を読んだようにキリが口の端を上げた。


「ああ、そうでしたね。お嬢様も大概ぼっちを極めてましたもんね。失礼しました」

「ぐぬぬぬ」


 言ってはならぬ。それは言ってはならぬ! 


 地元に同じぐらいの歳の子達が居なかった訳ではない。ただ何と言うか、地元の子達ですらアリスの野生児っぷりにドン引きされていただけだ。アリスの遊びに最後までついてこれるのは、いつもノアとキリだけだった。


「そうなんだ? 意外だねぇ。友達多そうなのに」


 本当に意外そうなカインにキリは真顔で言う。


「カイン様、野生の猿と仲良くなれますか?」

「は?」

「お嬢様は人の形をした猿です。止めなければ木なんてどこまでも登りますし、放っておけば山や川に入って夜まで出てきません。気づけばどこかの家に手伝いに行って両手いっぱいお土産を貰って帰ってきます。村の者達もお嬢様の事をあれは猿だ、とよく言っていました。愛想よく手伝いをするだけ猿よりはマシかもしれませんが。ちなみに、お嬢様が必ず持ち歩いているのはサバイバルキット。こんな令嬢に友達など居るはずもありません」

「お、おお……凄いね。いや、凄いね⁉」

「はい、凄いです。ですから私はお嬢様を野生の猿だと思うようにしています」

「そ、そうなんだ」


 従者にはっきり野生の猿だと言われる主。それはどうなのだ? と思うが、それでもキリからはちゃんとアリスへの愛情が感じられる。どんなに口が悪くても、だ。


 はっきり言ってアリスは主人としては最悪だ。どこの世界にサバイバルキットを持ち歩く令嬢が居るというのだ。それでもキリは、ちゃんとアリスの事を主と認めている。きっと、そんな面倒事よりも多くのものをアリスやノアはキリに与えてくれるのだろう。


「まあ、うちの領地の人達は大抵アリスの事を人懐っこい動物ぐらいに思ってる所あるよね」

「領地の人達までそんな風に思ってんの⁉」

「思ってるね~。何となく言葉の通じる野生の動物だと思ってるんじゃないかな~。あはは」

「兄さまもキリも酷い! 私、人間だもん!」

「うんうん、皆がアリスが何か悪さしても仕方ないなって済ましてくれるのは、皆がアリスの事を好きだからだよ。命に関わるような事は絶対にしちゃ駄目だけど、アリスのその野性味のおかげで助かった人達も多いからね」


 実際に玉ねぎ事件のような事は村でもよくあった。アリスはマナーやダンスと言った分野の勉強はからっきしだが、毒キノコや中毒など、生きていく上で必要な知識はかなりある。


 だからこそ領民たちはアリスの山登りや川遊びを咎めたりはしなかった。そういう遊びの中で得た知識だという事をよく知っているからだ。


「それで……いいのか?」

「良い悪いではありません。たまたま主が猿なだけです。ですが、私はバセット家以外では勤めたいとは思いません。そういう事です。なのでミアさん、今から覚悟しておいた方がいいですよ。お嬢様はキャロライン様を友達だと認識しているようなので、下手したらキャロライン様にもサバイバルキットを持たせたり、山に連れて行ってテントを張ったりする事を強要しだすかもしれません」


 シレっとキャロラインを猿仲間にしようとするキリをミアは睨みつけた。


「う、うちのお嬢様は猿ではありません‼」

「まあ、ミアってば」


 キャロラインのメイド、ミアは幼い頃からずっとキャロラインの側に居てくれているメイドだ。歳はキャロラインよりも一つ下だが、それはもうしっかりしている。何か悩んでいる時にはそれとなく知恵を貸してくれるし、メイドという仕事に誇りを持っているようだ。決して声を荒げたり、自分の意見を押し通したりはしない。


 それなのに今のミアはどうだ。キリを怒鳴りつけ、それこそまるで年相応な反応をしている。


「お嬢様は、お嬢様はおたくのお嬢様とは違い、ずっと努力されてきたんです! 猿仲間だなんて、私は絶対、絶対に認めません!」

「お言葉ですがミアさん、うちのお嬢様だって色々努力はされているんですよ、こう見えても。

その努力がキャロライン様とは違うというだけです。訂正してもらえますか?」

「……」


 冷たいキリの表情にミアはグッと息を飲んだ。


 苦手だ。あの食堂で感じた気持ちが不意に蘇る。主の事を猿呼ばわりするなんて、本気で信じられない。そのくせ他人にアリスの事を猿呼ばわりされると怒るのか。


 ミアの中で従者というのは、主から一歩下がって困っている時にはそっと手を貸す存在だと思っている。決して自分の意見を主にぶつけたりはしない。


 険悪な二人の雰囲気に水を差したのはノアだ。


「まあまあ二人とも。どっちも形は違えど主人思いだねって事でそろそろ本題に戻ってもいいかな?」

「失礼しました、ノア様」

「も、申し訳ありませんでした」


 ミアはもう一度キリを睨みつけると、子供のようにそっぽを向いた。そんなミアをキャロラインがどこか嬉し気に見ていたのはまた別のお話である。


「つまりね、聖女になるのに明確な資格はないと思うんだ。だからキャロラインとアリスはこれからも出来るだけ一緒に居た方がいいと思うんだけど、どうかな?」


 二人が一緒に居る事でアリスやキャロラインへの視線は大きく変わるはずだ。それに、アリスにはヒロイン補正というものが掛かるのか、どうにも昔から厄介事がアリスの周りで起こる。


 その時にキャロラインが一緒に居れば、キャロライン聖女計画への近道になるに違いない。


「そうね。この子はどうも自分からおかしな方向に首を突っ込んでいくみたいだから、その方がいいのかもしれないわ」

「それならば! 俺達も出来るだけ一緒に居た方がいいんじゃないか?」

「いや、俺達は二手に分かれた方がいいと思うな」

「どういう事だ? カイン」

「だってさ、俺達がずっとキャロラインとアリスちゃんの側に居たら、それこそキャロラインが聖女になるよりも先にあらぬ噂が立つ気がしない?」

「そうですね。今までのループでも分かる通り、アリスさんと攻略対象の位置が近づけばその時点から個別ルートに入っている気がします。それならば今後アリスさんとキャロラインが動きやすいよう、我々は我々で体制を整えていた方がいいかと思います」

「体制を整えるとは?」

「第一王子のルイスは、確実に賢王になるだろう、っていう種を蒔いておくんだよ」


 ルイスへの評価は今の所、可もなく不可もなくと言った所だ。


 しかし今後キャロラインが聖女になるとしたら、その隣に立つのはルイスでは物足りないと言い出す輩が居ないとは限らない。それならばルイスの地位を決して揺るがない所まで持っていっておいた方がいい。


「今世間のルイスへの評価は低くはないけど、高くもないよ。それを少しでも底上げしておかないと、聖女との釣り合いが取れなくなってしまう」

「カ、カイン……手厳しいな」

「言ったろ? 俺はもうお前を甘やかすのは止める。俺だって次期宰相として仕えるのなら、愚王より賢王の方がいい。その為には厳しくもするよ。それに、俺なんて随分優しい方でしょ」


 そう言ってチラリとノアを見ると、ノアはにっこりと笑っただけだった。カインがかなり甘めに評価した事が気に入らないのだろう。


「なるほど……しかし、具体的に何をすればいいんだ?」

「僕が思うに、ルイスはまだ立場的に政には手を出せないじゃない? だからこの学園を改革してみればいいんじゃないかな。皆がもっと学びやすいように、さ。学園は国の縮図だよ。色んな爵位の人が居てそれぞれ別の事を考えてる。派閥ももちろんあるし、反ルイス派だって居る。ここは王になる為の恰好の練習場所だと思うんだけど」

「そうか……そうだな。よしカイン、アラン、俺に手を貸してくれ。もちろんノアも」


 学園の事を今までそんな風に考えた事はなかった。


 けれどノアにはここが国の縮図に見えているのだという。裏を返せば、ここすら収められないような王など、無能だという事なのだろう。


 ルイスが張り切って言うと、皆も頷いてくれた。その目にはそれぞれの意思と決意がしっかりと宿っているのが見えて、ルイスは胸が熱くなるのを感じた。

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