週末、アリス達はキャロラインの部屋に早目に行くと、その部屋の豪華さに感嘆の声を漏らした。
「す、すご! 公爵家の部屋すごっ!」
キョロキョロと辺りを見渡すアリスの頭を、キリが後ろからグッと掴んだ。
「お嬢様、はしたないです」
「い、いだい! 首もげる!」
一体どんな力でアリスの頭を掴んでいるのか、首はビクともしない。
「あなた達、どこに行ってもそんな調子なのね」
呆れたキャロラインの声にアリスはきょとんとしてキリは無言で頷く。
「まあ大体こんな感じだよ、この二人は」
「そうなの。あなたも苦労するわね」
間に挟まれるノアも大変だろうと思うのに、ノアはにっこり笑って首を振る。どうやらこの二人のやりとりはノアも見ていて楽しいらしい。とんだ鬼畜だ。
「アリスはもちろん大事な妹だけど、キリだって僕にとっては可愛い弟みたいなものだからね。妹と弟が仲良いのは僕にとっては嬉しいよ」
「何だかあなた達ってやっぱり兄妹なのね」
誰とでも分け隔てなく付き合う事が出来るのは、バセット家の特徴なのかもしれない。
「私を弟のようだと言い切るノア様も相当ですが、牛を母だと言い切るお嬢様も相当なので、キャロライン様も早く慣れた方が身の為です」
「牛を母? アリス、どういう事?」
「え? 毎日私に世界一美味しいミルクを飲ませてくれていたキャシーという牛がいるのですが、私はキャシーを母のように慕っているんです。キャシーはそれはそれは美人で、ミルクは最高だし性格も良いしスタイルも良くて……あんな人に私もなりたい……」
「ねえ、牛の話なのよね?」
うっとりした顔で牛を語るアリスに薄ら寒いものを覚えながら確認を取ると、キリが無言で頷いた。
「アリスにとっては人類どころか生き物全て家族! みたいな所があるから。まあ、そこが一番可愛い所なんだけど」
「へ、へえ」
とうとう何も言えなくなったキャロラインにキリが、諦めろと言わんばかりに首を振る。
「あ、そうだ! キャロライン様、はい! お茶持ってきました! 皆で飲みましょう」
躊躇う事なく白茶を差し出したアリスに、キャロラインは躊躇いながら受け取った。
「本当にいいの? とても貴重なお茶なのよ?」
「だからですよ! 滅多に飲めないお茶なんて、皆で飲んで語った方が楽しいじゃないですか!」
誤解のないよう言っておくと、決してアリスの懐が深い訳ではない。むしろどちらかと言えばケチな方だと自負している。
ただ、好きなモノは皆と語りたいというただのオタクなのだ。琴子時代、同担と夜が明けるまで語り合った日々を思い出してアリスは目を細めた。あれほど濃密で楽しい時間はない。それは食べ物も然りだ。
言い切ったアリスを見て、キャロラインは初めてアリスに向かって柔らかく笑ってくれた。
「あなたは少しおバカだけれど、とても良い子ね」
こんな事なら、もっと早くにアリスとじっくり話をしておけば良かった。本人に確認もせずに周囲の意見だけでこういう子だと決めつけてしまったばっかりに、ずっと誤解をしていた。
何だか感慨深くて泣きそうになったキャロラインに、冷めた目をしたキリが言う。
「キャロライン様が今後、お嬢様をうっかり誤解しないよう言っておきますが、お嬢様の頭はお花畑なんです。本当に、ただのお花畑なのであまり期待をしてはいけません。どうか騙される事の無きよう」
「酷いね⁉ 相変わらず酷いね‼」
この言われ様。そして言い返せない自分が辛い。
「何と言うか……そうね、あなた達はとてもいいコンビなのね、きっと。私ならこんな事言われたら三日は寝込むわ」
メンタルが強すぎるアリスに感心していると、扉の方から声がした。
「俺でもへこむな。凄いな、ノア。これは得難い家臣だ」
「いや、ここまで言われてケロっとしてるアリスちゃんも凄くない?」
「ルイス様。出迎えもせず申し訳ありません。カインもいらっしゃい。どうぞ座ってちょうだい。アランはどうしたのです?」
「ん? アランは先に到着していると思うんだが――うわ!」
「?」
ルイスの視線を追うと、そこにはいつの間にか真っ黒なローブを頭から被った背の高い男が立っていた。
「あ、ご、ごめんなさい。ずっとここに居たけど、だ、誰も気づいてくれなくて、その……」
しどろもどろと話すアランに皆驚いた。こんな普段はなよなよしていて煮え切らないアランだが、フードを取ると一変、とても頼りになる魔法使いに変身する。
「構わないわ。アランも早く座りなさいな」
「は、はい。し、失礼します」
アランは小刻みに震えながらカインの隣に腰を下ろしてホッと息をついている。
「お待たせいたしました」
お茶の準備が整ったのか、キャロラインのメイドのミアが大きなワゴンを押しながらゆっくりと入室してきた。
「お手伝いいたします」
キリはそう言ってミアからワゴンを受け取るとミアはギクリと体を強張らせ、ペコリとお辞儀をしてそそくさとお菓子の準備を始める。
「ごめんなさいね、キリ。ミア、どうしたの?」
「いえ……申し訳ありません、キリさん」
そうは言うものの、ミアのキリを見る目は険しい。まるで威嚇している小さな子猫のようだ。
「ミア?」
心配そうにミアの顔を覗き込んだキャロラインにミアは慌てて頭を下げて、キャロラインの後ろにメイドらしく立った。
「まあいいわ。さて、では始めましょうか」
キャロラインの言葉を合図に、運命のお茶会が幕を開けた。
とりあえずは現状の説明をしよう。そう言いだしたのはノアだ。ノアはキャロラインに説明した話と全く同じ話を、誰にも口が挟めないようなスピードで話終えた。
それに次いでアリスの前世の話もした。ゲームの話から始まり、攻略対象の話、それから設定集の話もだ。
ノアとアリスの話が終わり皆の顔を見渡すと、皆の表情はバラバラだった。
ルイスは大きなため息を落としてお茶を飲んでいる。信じるべきか信じないかを決めかねているようだ。
カインは鼻で笑っていた。そもそも、前世だのゲームだのループだの言われても、証明するものが何もないのでは話にもならない。ただ一つ安心したのは、ノアとアリスが自分達に魔法をかけようとしていた訳ではなかったのだという事に一番安堵していた。
さて、アランはというと、目に見えて可哀相になりそうなほど震えていた。お茶でも飲んで落ち着こうとしたのか、手に持ったカップから中身がさっきから飛び出している。
「さて、質問はいっぱいあると思うんだけど、ここで一つどうしてアリスとキャロラインが急に仲良くなったのかを知りたいよね?」
「!」
「そう、そうだ! キャロとアリスが急速に仲良くなったのは、キャロがこの話を信じたからなんだろう⁉ 何故だ! どうしてすぐに信じる事が出来たんだ!」
途方もない話だった。自分たちが生きている世界は物語だと言われ、挙句の果てにはルイスは何度もアリスを選んだ? ありえない! そしてそんな荒唐無稽な話を何故キャロラインはあっさりと信じたのだ⁉
睨むようなルイスの視線からキャロラインは逃げなかった。あまりにも真っすぐ見つめてこられるので、ルイスから視線を外してしまったぐらいだ。
「簡単です、ルイス様。私にもそのループの記憶があるから、です」
「……は?」
「え……?」
「……」
攻略対象達はそれぞれの反応を返した。それを見てキャロラインはノアにアリスの手記を皆に見せるよう指示した。
「これはアリスがループする度に書き残した手記だよ。それからこっちがキャロラインが記憶を辿って書き出したメモ。アリスは合計二十三回、キャロラインは十五回それぞれループをしている。分かりやすいように付箋をつけておいたから、順番に目を通してみて」
皆がボロボロの手記を読み進める間にさらに追い打ちをかけるべく、攻略対象者の設定をかき出したノートを用意したノアは、それぞれの前に置いた。
「話だけでは信じられないのは当然だわ。私が最初に信じたのは何度もループを繰り返している、という事だけだった。だって、それは私も同じ体験をしているのだから当然よね。だから最初は私もループは信じてもこの世界が物語の中での出来事なのだという事は信じられなかった。でも、このノートを読んで私は信じざるを得なくなったの。これは全てアリスが書き出したものよ。そう、決められた私達の設定というものらしいわ」
キャロラインの手には自分自身の事が書かれたノートが握られていた。
そのノートを見て皆がゴクリと息を飲む。
手記を真っ先に読み終えたルイスが恐る恐るノートに手を伸ばして中をパラパラとめくる。
「なっ! こ、これは……何故、こんな事を知って……」
ルイスは背筋に何か冷たいものが流れ落ちるのを感じていた。手記を読んでいた時はさほど思わなかったが、誰も知らないであろう幼少期の事件やつい最近興味を持ち始めた天体の事など、まだ誰も知らないはずだ。それを何故アリスが知っている? いや、知っているのではない。知っていたんだ。それが――設定だから。
「こんなもの、どうやって知ったの? アリスちゃん」
震える手でかろうじてページをめくるが、おそらく顔面は真っ青であろうカインは、それでもいつも通りにふるまうよう努力した。
「知ったんじゃなくて、知ってたんですよ、カイン様。だって、そこに書いてあるのは全部、前世の私が持ってた設定集から書き出した事ですから」
これぐらいの意趣返しは許されるだろう。カインには散々な目に遭わされたのだ。
わざと意地悪く言ったアリスの言葉に、とうとうカインの顔からいつもの余裕の表情が消えた。
(ヤベ、やり過ぎた!)
「へえ、そうなんだ。じゃあ俺達はずっとこの物語の中で同じところをグルグルしてたって事? それが予め決められてた事だって何も知らずにさぁ、辛くて、苦しくて、毎日泣きそうになりながらルイスの側に居てさぁ、ノアやキャロライン、君の事が羨ましくて仕方なかったのだって、全部設定だったからって言っちゃうんだぁ?」
自分で選んだ道なんて何も無かった。生まれた時から全て決められていた。物語の中だと知らなかった時からずっとだ。挙句の果てにそれすらも設定として決められていただと? この苦しみも悲しみも、全部設定なのか?
(だったら、ここに居る俺は誰だ⁉ どこの誰なんだ!)
思わずアリスを睨みつけたが、そんなカインにノアがまるで悪魔みたいな笑顔を浮かべて言った。
「言っておくけど、設定があったのは君だけじゃない。キャロラインもアリスにさえ設定はあるんだよ。アリスとキャロラインは途中でループに気付いたから必死であがいて今の二人が居る。それがどんな地獄だったか君に想像できる? 特にアリスなんて十四回目のエンドで君の手で皆の目の前で処刑されてる。君は全く覚えてないんだろうけど、その時のアリスがどんな目で君を見てただろうね? 君たちは未だにループに気付かず決められた設定に則って誰かを妬んだり羨ましがったりしてるけど、それは本当に自分で選んだもの?」
「……」
そうだ。何も自分で選んでない。次期宰相なんて肩書、本当はずっと要らなかった。だからノアが妬ましくてアリスが羨ましかった。
けれどそんな自分を嫌だと思いながらも何もしなかったのは、ただ理由が漠然としていたからだ。やりたいやりたくないで決めて良い事ではないと分かっていたからだ。
でも、ずっとそういう設定だったからだというのなら、カインも変われるかもしれない。設定から抜け出したいというはっきりとした理由があれば、変わってもいいのかもしれない。
「変われる……かな。アリスちゃんは今も、俺を恨んでる?」
「君次第なんじゃない。少なくとも、アリスはもう君の事を恨んだりしてないと思うよ。ねえ、アリス?」
「へぁ? わわわ!」
両手に持ったお菓子を口に詰め込もうとした所でノアに問いかけられ、思わず片方を落としそうになったアリスは、はしたない! とキリに後頭部を打たれた。
「いだい! えーカイン様ですか? 恨むとか嫌いとかよりも、まあ、断罪エンドは確かに酷かったですけど、カイン様がルイス様命なのは知ってる訳ですし、もう十四回目にもなったら色々慣れちゃってたと思いますよ、私も」
「……ルイス命……俺が?」
「そうですよー。ちゃんと手記読みました? 私を断罪した理由はルイス様への侮辱罪ですよ。ちょっとルイス様の事タイプじゃないって言っただけでそれですもん。どんだけルイス様の事好きなんですか、って話ですよ! ねえ、キャロライン様?」
「そうね。それについてはアリスと同意見よ。設定だけでは済まされないルイス様への忠誠心は重すぎてゾッとした事も一度や二度じゃなくてよ。それを今更どうこう言わないわ」
「でもそれは設定で……だから……」
「面倒ですねぇ、カイン様は。設定だろうが何だろうが別にいいじゃないですか。全てが設定だったと聞かされて、じゃあこれからルイス様とどうなりたいかが重要なんじゃないですか?」
いつまでも煮え切らないカインを横目にアリスはため息を落とした。ついでにお菓子を齧る。
美味しい。大変美味しすぎる。さすが公爵家だ。アリスの普段のおやつ、オートミールパサパサクッキーとは全く違う。
「少しよろしいでしょうか、カイン様」
「なに? えっと君はノアの所の……従者?」
「いえ、執事見習いです。失礼を承知で言わせていただきますが、設定はあくまでも設定です。名前、爵位、身長、体重、今までの過去、隠された趣味、大まかな性格、それぐらいの事しか書かれていません。それの何が問題ですか? それほど悩むような事でしょうか? この世界が作り物であったとしても、その中で生きている私たちには現実です。先はまだ長いというのに、あなたの悩みなど些細な事。それよりも重要なのは、ここからどう抜け出すか、ではないですか?」
「キリ、私と違ってカイン様には優しくない⁉」
「当然です。もしもこれがお嬢様なら、お嬢様は馬鹿ですか? から入ります。お嬢様のしょうもないちっぽけでどうでもいい悩みの為に、いちいち話の腰を折るなと言いたいですし、そういうのはおいおい自分一人で勝手に悩んでもらえますか? って言いたいですね。時間は有限なのですから」
「私には酷い! でも今回は私じゃないからセーフ!」
「……」
まるで鈍器で頭でも殴られたかのような衝撃にカインは目を見開いてキリを見上げた。キリは冷めた目でこちらを見下ろしていて、何だか酷く自分が間抜けな気さえしてくる。
どうでもいいちっぽけな悩み。ばっさりと言われて初めて気が付いた。他人から見ればそうだろう。別に大した悩みじゃない。自分の考えが設定からの産物だと知ってヘコんだだけ。だからアリスの言う様にこれからの事を考えればいい。
ちらりとルイスを見ると、ルイスは怯えたような顔をしてキリを見ていて、何だかそれがおかしかった。
まだ立場や礼儀なんて何も知らなかった子供の頃、怖がりなルイスはいつもカインの後ろに隠れていた。あの時は忠誠心なんてものはなくて、ただルイスを守らなくては! なんて単純に思っていたのだ。それはまるで弱い弟を守りたいと願う兄のような気持ちでいたのではなかったか。それを思い出した途端、何かが吹っ切れた気がした。
ルイスの手を引いて歩いていた子供時代を思い出したカインは、大きく伸びをする。
「はぁーあ、あほらし。何だかな。俺、何やってたのかな~。ルイス、俺もうお前の事、主君だからとか考えるの止めるわ。てか、土台無理な話だろ。だって、怖がりルイスは俺が居ないとなんもできないんだもん。何でこんな事忘れてたんだかな~」
突然のカインの言葉にルイスは怯えるのを止めてキョトンとした顔をしている。
「なんだ突然。お前、今まで主君だから俺の側に居たのか? だとしたらそれほど酷い裏切りはないぞ! 俺はお前の事をずっと家族のように想っていたというのに! ハッ! まさかアランもそんな事を考えているじゃないだろうな⁉ ここに居る者は皆、気心の知れた俺の大切な家族なんだ! 今更止めたとかは聞かないぞ! 家族だからもう縁も切れないんだからな!」
自信満々に立ち上がってまで宣言したルイスを白い目で見つめていたノアが口を開いた。
「ルイス、その縁の中から僕とアリスとキリは抜いておいてね。後の人達の事はどうしてくれてもいいから」
「ノアーお前さ、ほんっとに何なの? てか、忠誠心とかそういうの置いといてさ、アリスちゃん以外に関心なさすぎじゃない?」
「それは仕方ないでしょ。小さい時から僕が面倒見て来たんだよ。ポッと出の君達とは違うに決まってる。ねえ、続き話したいんだけど、いいかな? その前にアラン、震えすぎてカップの中身無くなってる事に気付いてる?」
ノアの指摘にアランはビクリと体を震わせた。
「あ、す、すみません、すみません」
「何がすみません? 言わなきゃ分かんないんだけど?」
アランのローブはお茶でびしょびしょに濡れている。キリから受け取ったふきんでローブを拭いてやりながら問うと、アランはさらに申し訳なさそうに縮こまる。
「あ、あの、ぼ、僕、その……」
長い前髪の間からこっそりとアリスを盗み見たアランは視線を伏せた。
可愛い。アリス可愛い。やっぱりアリスはどのループの中に居ても可愛い。
そんな空気が漏れ出ていたのか、不意にノアの手が止まり、無理やりグイっと顔を持ち上げられた。
「アラン、もしかして君もループに気付いてた?」