馬車に揺られて半日。思ったよりも早くスクールに辿り着いた。
フォスターパブリックマジックスクールは、王都から随分離れた辺鄙な場所にあった。つまり、辺鄙な場所に住んでいるアリスの家からは大変近い! ここはゲーム通りでアリスはホッとしていた。
フォスタースクールは、フォスター島と呼ばれる出島に建てられていた。
寮完備でもちろん食事は超一級。アリスには考えられないほどの予算がこの学校に惜しみなく使われているという。
フォスター島の歴史は意外にも比較的に新しい。何でも、このルーデリアには昔から質の良い魔法使いが多く生まれたので、宮廷魔法省のトップ、クラーク家の祖先が資産をほとんど投げうって出島を作り、そこにこの学校を建てたそうだ。今ではこの学校も国家事業に含まれているが、それまではクラーク家の資産だけで賄っていたというのだから恐ろしい。
通っている学生の殆どは公爵、侯爵、伯爵家で、子爵家は数える程度。男爵家はおそらく今はノアしか居ないのではないだろうか。
フォスター島に到着すると、ここで庭番兼御者のジョージとはお別れだ。
アリスはジョージにハグとキスをして別れたが、その時にしっかりとあるものを受け取っていた。そう、各種野菜の苗とキャシーのチーズだ。
「アリス……チーズはいいとして、野菜の苗なんてどうする気?」
「もちろん植えるんだよ!」
「……」
どこへ行ってもアリスはアリスである。
「お嬢様、少しは自分の荷物持ってください。どうして追加の荷物がこんなにあるんですか、全く」
大きな荷物はほとんど先に送ってしまい、今キリがフォスター島に向かう馬車に運んでいるのはほとんどが追加でアリスが詰めた荷物だった。
「アリス、そっちは僕が持つから、君はこれを持って」
「ありがとう、兄さま!」
そう言って手渡されたのは本が入った小さな鞄だ。アリスはその鞄を胸に抱えると、意気揚々と待っていた学園の馬車に乗り込んだ。
「これでしょうもない物ばっかり持ってきてたら没収しますからね」
最後に馬車に乗り込んできたキリがそんな事を言う。どこに居てもキリもキリだ。アリスは少しも緊張していないキリを見て感心したように頷く。
やがて馬車はフォスター島に向かう橋を滑るように走り出した。
窓を開けて外を覗くと橋の向こうはすぐに海だ。
「きれーい!」
「こら! あんまり乗り出すと落ちるよ、アリス」
首根っこをギュっとノアに捕まれたアリスは猫のようにシュンと大人しくなった。
「そうだ、忘れてた。寮の部屋なんだけど、伯爵家以降は二人一部屋なんだ。それでね、本来ならアリスは男爵家の女の子と同室になるはずなんだけど、男爵家が今、僕とアリスしかいないから今回は僕と同室になったって先に伝えとくね。僕達からしたら願ったり叶ったりだと思うし。あ、ちゃんと部屋は別だから安心して。それから、続きの部屋はキリの部屋になってるんだけど、キリもそれでいい?」
「もちろんです。その方が色々対策もしやすいので」
そう言ってチラリとアリスを見る目が全て物語っていた。コイツだけは絶対に野放しにはできない、と。しかしそんな視線など今更気にしない。アリスのハートは鉄のように頑丈なのだ。
「兄さまと同室か~。でも、それじゃあ兄さまの今までの同室の人は? もしかして追い出しちゃった?」
アリスが入ってきた事でノアの元々の同室の人を追い出したのだとしたら、それはとても申し訳ない気がする。
そんなアリスの心配をよそにノアは困ったように笑って首を振った。
「大丈夫、そんな人居なかったから。僕は一人部屋だったんだよ、ずっと」
「えっ⁉ も、もしかしてイジメ……?」
「いやいや! さっきも言ったけど、大体同じ爵位の子同士が部屋に入るんだ。でないと色々と厄介だからね。でも男爵家は僕しか居なかったから、一人部屋だったってだけだよ」
「なんだ、そっか~。ビックリした!」
アリスは無い胸を撫でおろしてまた窓の外に視線を移すと、前方と後方に何台もの馬車が一列にズラリと並んでいる。
そのあまりにも長い馬車の列を見ていると、途端にアリスのお腹が鳴った。
アリスはハッとしてお腹を抑えたが、もう遅い。その音はノアにもキリにもしっかり聞かれていた。
「えっと、何か食べ物あったかな」
動じることなくごそごそと食べ物を探してくれるノアとは違ってキリの視線は非常に冷たい。
「あれだけ食べて、まだ食べます?」
「あ、あったあった。良かった、一応持ってきておいて。はい、とりあえずこれで我慢しといてね、アリス」
「ありがとう兄さま!」
手渡されたのはハンナがいつも焼いてくれるクッキーだ。これは昨日、アリスも貰った。どうやらノアはこんな事もあろうかと、クッキーを全て食べてしまわずに少し残しておいたらしい。流石アリスの兄だ。妹の食い意地をよく知っている。
「ノア様、お嬢様を少し甘やかしすぎではありませんか?」
「だって、可愛いんだから仕方ないじゃないか」
そう言ってアリスの頭をヨシヨシと撫でてくれるノア。キリはそんな兄妹を白い目で見ている。
「昔はねー、兄さまのお嫁さんになるんだもん! って言ってずっと後ついて回ってて、本当に天使みたいに可愛かったんだから! もちろん今もアリスは僕の天使だけどね」
ニコニコ笑顔のノアを見てキリは諦めたように呟く。
「……ノア様は優秀なのに、どうしてそんな所だけ旦那様そっくりなんですか?」
残念だ。キリの目はそう言っていた。そして蔑むような視線をアリスに向けて来る。
「い、言いたい事があるなら言えばいいんじゃん!」
「言っていいんですか?」
真顔のキリを見てアリスは咄嗟に首をブンブン振った。
「や、やっぱ言わなくていい!」
馬車の中でそんな言い合いをしていると、ようやくアリス達の番が回ってきた。キリが荷物を必要以上に重そうに持って降りている。
「ここから全てが始まるんだね!」
本が入った鞄を握りしめて気合いを入れたアリスは、フォスタースクールの重厚な門をノアとキリと共に通り抜けた。
二年生の途中から編入をしたアリスは、やっぱりクラスの注目の的だった。ましてや男爵家。色々噂にならない訳がない。
(こんなヒロイン待遇はいらないんだけどなぁ)
クラスで新学期の挨拶を担任の先生から受けて、その後は自由行動になった。恐らく大半の人達は寮に戻って明日からの授業に向けて準備をするのだろうが、いかんせんアリスはスクールに到着した途端、待ち構えていたクラス担任のカーター・ヒックスに捕まり、そのまま教室に連れて来られた為に寮までの道が分からないのだ。
「あのぉ、すみません」
おずおずと斜め前に居た少女に声をかけてみたが、少女はチラリとこちらを見てフンと鼻を鳴らして教室を出て行ってしまった。
(まぁね、そりゃこうなるよね。過去アリスはどうやってこの空気に馴染んだんだろ……そう言えば過去アリスの話にクラスメイトとか友達の話は一切無かったっけ……)
過去アリスまさかのぼっち説にアリスが怯えていると、教室の前方のドアからアリスを呼ぶ声がした。
「アリス! 良かった、まだ居て」
「! 兄さま!」
ぼっち脱出成功である。そうだった。ここにはノアが居たのだ。
アリスが鞄を持ってノアの元に駆け寄ると、ノアの後ろにはキリも居る。そんな二人をチラチラとクラスメイトが見ていく。きっと、こんな年になって兄に迎えに来てもらうなんて、とか何とか思われているのだろう。そんな風に感じてアリスはシュンと項垂れた。
被害妄想も甚だしいアリスである。しかしアリスの鉄のハートはそれぐらいでは折れない。
クラスメイトの視線を吹っ切るように、アリスは顔を上げてノアの後ろに居るキリに声をかけた。
「キリも一緒だったの?」
「私はここの従者の仕事について説明を受けていたんです。たまたまノア様の教室の隣で」
「大丈夫だった? 難しそう?」
いくら心臓に太い毛が生えているキリとは言え、慣れない仕事は辛かろう。そう思って尋ねたのだが、キリはちらりとこちらを見て意地悪な笑みを浮かべた。
「お嬢様がご自分の事をちゃんとしてくだされば、何も難しい事はないですよ」
「……」
どうやら暗に、お前の世話が一番めんどくせぇんだよ、と言われているようだ。
けれどおかしい。それはノアにも言えるのではないのか。
アリスのそんな視線に気づいたのか、間髪入れずにキリは言う。
「ノア様はずっと一人でここに通ってらしたんですから何の心配もないです。ノア様は」
「ぐぬぅ」
グゥの音も出ないとはこの事だ。アリスは苦虫を潰したような顔をしてフンと鼻を鳴らすと、ノアの後ろに隠れた。二人のやり取りを黙って聞いていたノアが楽しそうに笑う。
「君たちはどこに居ても本当に変わらないね。アリス、少し早いけど食堂に行こうか。昼になるといつも席が埋まってしまうから」
「うん!」
二言返事をしたアリスはノアに手を引かれて食堂への廊下を歩き出した。
「しっかり覚えるんだよ、アリス。毎日僕と食べる訳にはいかないだろうから」
「分かった。がんばる」
アリスの居た校舎は第二校舎だった。食堂は第一校舎にあり、四年生から第一校舎に移る。
フォスタースクールは十三歳からの六年制で、十四歳のアリスは再来年、第一校舎に移れるようだ。ちなみに、ノアはアリスの二つ上である。
食堂に着くと、既にアリス達と同じように考えていたであろう人達で溢れていた。ノアはキリに席を確保してくるよう伝えると、アリスに丁寧に食事の購入方法を説明してくれる。
一通り説明を聞いていたアリスは目の前の機械を見て目を丸くした。
(こ、これは券売機! 食券制度なんだ! 内容は引くほど豪華だけど……何、季節の温野菜と白身魚のテリーヌって……)
一応補足しておくと、この世界の動物や食べられる植物は地球とさほど変わらない。ただ地球と大きく違うのは、地球よりはずっと魔法植物の数が多いという事だろうか。後は、食べ方だ。これが一番大きな差かもしれない。
まじまじとメニューを眺めていたアリスは、沢山あるメニューの中から気になった物をノアから受け取ったカードで注文した。
するとフォスタースクールの専属メイドが席まで持ってきてくれるらしい! なんと!
「す、すごいね、兄さま」
興奮した様子でキリが確保してくれていた席につくと、隣にノアが腰かけて笑った。
「まあ、大体がコース料理だからね。ありがとう、キリ。ちなみにキリには従者専用の食堂が隣にあるから、これを使って。それはキリ専用のだから、僕に返さなくていいよ」
そう言ってノアはキリにアリスにくれたのとは色違いのカードを手渡した。
「ありがとうございます」
「ゆっくり食べておいで」
「はい」
それだけ言ってキリは颯爽と姿を消した。心なしか足取りが軽く見えたのは、絶対に気のせいではなかったはずだ。
何だかんだ言いながら、やはりキリもここに来るのを楽しみにしていたのだろう。