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第6話

 バートはキャシーの事が落ち着いたからか、今は畑に居た。腕を組んで仁王立ちをして、目の前の小麦畑を睨みつけている。


「バート、どうしたの?」

「ん? アリスお嬢。いやね、最近どうも小麦の調子が悪いんですよ。何が原因かも分からないから困ってんです」

「小麦が? これ、食べてもいい?」

「は?」


 言うが早いか、アリスは小麦の穂から実を少量取って口に放り込んだ。それを見て慌てたのはバートだ。


「ア、アリスお嬢⁉ な、何やってんですか!」


 叫び声にも近いバートの声を聞きつけてノアとキリが慌てて走ってきた。


「バート? どうしたの?」

「ノ、ノア坊ちゃん! ア、アリスお嬢が生麦食うんです!」

「は? ちょ、アリス! 駄目だよ生麦は! 早くぺっしなさい! ぺっ!」


 バートの叫びにノアとキリはギョッとしてアリスの顔を押さえてアリスに麦を吐き出させようとしてくるが、当のアリスはと言えば口の中で生麦の味を確かめるのに必死だった。


 モグモグと口の中で生麦を転がしていたアリスは、やがて生麦を飲み込むと自信満々な顔でバートに告げる。


「日光不足だよ! あと、水に何か混ざってるよ」

「へ? に、日光?」

「うん。あと水」


 自信満々なアリスとは打って変わって、ノアもキリもバートも変な顔をしている。


「アリス? そんな事が……生麦食べて分かるの?」

「わかる! ねえ兄さま、植物にも魔法、効くかな?」

「んん? んー……どうかなぁ……」


 もしも植物にも魔法が効くのなら、元気になる魔法をかけてやればいいのではないか? そう思ったアリスは目の前の畑を見つめてイメージする。


 推しのイベントに行ってグッズ戦争の列に並んでいた時のイメージだ。


 そう、負けてはいけない。少々日光が足りないからと言って、腑抜けてはいけない!

 両手を空に向けて目をカッと見開くと、畑にキラキラと光が降りそそいだ。


「お、おお!」 


 バートはその光を見て何やら興奮しているが、残念ながら特に変わった事は何も起こらない。


「やっぱり駄目かぁ……」


 シュンと落ち込んだアリスの肩を慰めるようにノアが叩いた。


「植物はすぐには結果は出ないと思うな。それよりも、水に何か混ざってるって?」

「うん。ちょっと変な味がしてた。生臭い感じ」


 それを聞いたバートがハッとした顔をしてこちらを見る。


「そう言えば一週間前の豪雨で、畑に引いてる川が氾濫したんですが、そん時に川に何かあったのかも……特に水量は減らなかったんで誰も見に行かなかったんですが……」

「見に行こう」


 ノアの号令を合図に四人は川の上流目指して登っていく。


 ちなみに今朝アリスが野菜を冷やしていた小川は、この川の源泉から直接引いてきている。


 どれぐらい歩いただろう。ふと、バートが何かに気付いた。


「あれ? ここ、確か右から水が流れてたはずなんだが……」


 首を傾げたバートの言葉を裏付けるように、もう少し進んだ所でキリが何かに気付いた。


「バートさん、あれ、肥溜めですよね? 何か土砂が中身を押し出してるように見えるんですけど、もしかして流れが変わった水に中身が混ざってるんじゃ?」


 キリの指さす遥か先には確かに筒のような何かがある。そしてキリの言う通り、上側から土砂がその筒の中に流れ込んでいた。


「う、うおぉぉ! て、てぇへんだ!」


 バートは現場に駆け寄って鼻を塞ぎながら肥溜めの中を覗き込んで、そのあたりを見て回っていたが、やがて予想が当たっていたのか慌てて戻ってくるなり、アリスの手を取ったかと思うと力強く上下に揺さぶった。


「アリスお嬢! お嬢のおかげです! ありがとう! すぐに皆連れてきて土砂どけねぇと!」

「川の流れも戻しておいた方がいいと思うよ、バート」

「あ! そうですね! ノア坊ちゃんもキリ坊もありがとう! それじゃ!」


 そう言ってバートは三人をその場に残して物凄いスピードで村に戻って行った。


「さて、僕達も帰ろっか。それにしても凄いね。こんなのよく分かったね、アリス。キャシーも大丈夫だったし、畑が大惨事にならなかったのはアリスのおかげだよ。君が居なきゃキャシーは助からなかったかもしれないし、作物は駄目になっていたかも。それどころかあの水を生活用水に使ってる家も多いから、何か疫病が発生していたかもしれない。アリスは未然にそれを防いだんだ。凄いことだよ」

「そうですね。お嬢様にあんな特技があるとは思いませんでした。ただの高燃費食欲お化けでは無かったのですね」

「言い方!」

「ははは! 上手い事言うね、キリは」

「兄さまも! 笑いごとではなくてっ」


 ぐぅぅ、きゅるるる……。


 突然の何とも言えない気の抜けた音がして、アリスはお腹に手を当てて無言で空を見上げた。


 今日も空は高い。高燃費アリスにしてはよく持った方だ。自分にそう言い聞かせる。


 隣でノアも、あのキリでさえ肩を震わせている。


「帰ったらじきに夕食です。その前に牛の涎を落としておいてください、お嬢様」

「だってさ、アリス。帰ろ」

「うん!」


 ご飯と聞けばアリスの機嫌はすぐに直る。そんな現金なアリスにノアもキリも肩をすくめた。


 屋敷に戻るとすでにハンナがお風呂の用意をしてくれていた。牛の涎でズルズルになったアリスを見て、大きなため息を落としている。


「ノア坊ちゃんまでそんなに汚れて……一体何をしてらしたんです?」

「ごめんね、ハンナ」


 天使のような笑顔を振りまいたノアを見て、ハンナはもう一度ため息を落として諦めたようにその場を後にした。


「アリス、先に入っておいで。僕は父さんにさっきの話をしてくるよ」

「うん! じゃあ兄さま、また後で」


 そう言って二人は別々の方に歩き出す。もしかしたら、アリスはフォスタースクールに編入する事になるかもしれない。


 今までのアリスならきっと喜んだのかもしれない。けれど、今のアリスの想いはただ一つだ。


「フォスタースクールの食事事情をしっかり兄さまに聞いとかなきゃ!」


 どこまでも食い意地第一のアリスである。


 それからの数日はめまぐるしく過ぎた。


 まずノアがアーサーを説得して、ノアがスクールに戻るのに合わせてアリスのスクールへの入学が決まった。ちなみにアリスについてくるのは何故かキリで、お互い顔を見合わせてうんざりしたような顔をしたのは内緒だ。


 そしてアリスがでたらめに気合いを入れた畑の小麦が、あれから何故かずっとピカピカしていると言う。夜にもピカピカしているので、今では近所のちょっとした観光スポットになっているらしい。


 一番心配だったキャシーは皆が驚くほどのスピードで怪我を克服し、あれから毎日アリスに新鮮なミルクをご馳走してくれている。スクールに入る事自体はアリスも楽しみなのだが、キャシーのミルクが毎日飲めなくなるのは辛い。それをバートに伝えると、バートは定期的にスクールにチーズを送ってくれると約束してくれた。


 そしてやってきた月末。明日はいよいよスクールに編入する日だ。


 アリスとノア、キリの三人は荷物の準備を終えると、自然とアリスの部屋に集まった。


「さてアリス。明日からいよいよスクールなんだけど、もう心の準備は出来てる?」

「もちろん! 早く食堂のご飯が食べたい!」

「うん、いつも通りで安心した。でね、アリス。僕は昨日この本を改めて読み返してたんだけど、攻略対象にはこの事を話しておいた方がいいんじゃないかな」

「えっ⁉ に、兄さま、本気?」

(そ、それは転生系ストーリーの禁じ手なのでは⁉)

「本気だよ。もちろん、すぐに話したって信じてくれないだろうから様子見つつだけど」

「で、でも……転生ストーリーはそんな事したら物語が破綻しちゃうんじゃ……」


 モゴモゴいうアリスに、キリが隣からきっぱりと言った。


「お嬢様、お嬢様にとってはここはゲームの世界かもしれませんが、私達には現実です。それに、琴子嬢の時ならいざ知らず、あなたも今は立派なこの世界の人間なんですよ。いつまでもこのループの中にいるのはお嬢様も嫌でしょう?」

「!」


 頭をガツンと殴られた気がした。キリの言う通りだ。琴子の人生は既に終わっているのだ。記憶を受け継いでいるかもしれないが、今はここがアリスの現実である。いつまでもキリを攻略対象……とはもうこれっぽっちも思っていないが、この世界の人達をただのキャラクターだと思うべきではないのだ。


「……そうだね。キリの言う通りだよね。ごめんなさい」


 殊勝な態度で頭を下げたアリスを見て、キリは何故か大きなため息を落とす。


「お嬢様は本当にチョロいですね。もっともらしい事を言われるとすぐこれだ。この調子だとやっぱり色々心配でしかありませんね、ノア様」

「う、うーん。まあ、今のはキリが全面的に正しかったから何とも言えないけど……まあ、心配ではあるね。キリ、アリスの周りの人間はしっかりチェックしておいてね。もちろん報告も忘れないで」

「はい」

「ねえ、ねえねえ、二人とも何のお話ししてるの?」


 結局謝ったアリスは間違いだったのか? 不思議そうな顔をするアリスを見てキリとノアは不安そうな顔をしている。


「ああ、アリスと双子だったらずっと一緒に居られたのに!」

「大丈夫です。お嬢様の手綱はしっかり握っておきます」

「任せたよ、キリ。さて話を戻そうか。それでね、攻略対象の他にももう一人、絶対仲間に入れておいた方がいい人がいるんだ」


 不安そうな顔から一変、ノアが真剣な顔をした。アリスは神妙に頷いて次の言葉を待つ。


「キャロライン・オーグ。彼女も自分の運命を知っておくべきだ」

「えっ⁉ ま、まさかの悪役令嬢にもネタバレするの⁉」


 予想もしていなかった名前にアリスが目を白黒させていると、キリが少し考えて頷いた。


「確かに、公爵家の力は大きいし仲間に引き入れるのは得策ですね」

「そう。公爵家の力ももちろんだけど、彼女にはカリスマ性がある。あれを使わない手は無い」

「兄さまもキャロライン様の事知ってるの?」


 純粋なアリスの質問にノアは頷いた。


「知ってるも何も、同じクラスだからもちろん知ってるよ。ついでに言うと、ルイスもカインも同じクラスだよ」

「え……ええぇぇ⁉ は、初耳だよ⁉」


 驚きを隠せないアリスを見て、ノアが申し訳なさそうに笑った。


「そう言えば言ってなかったかもね。ごめんごめん、スクールに着いたらちゃんと皆にアリスの事、紹介するから」

「もう! 他には隠してない⁉」


 怖い顔を作って詰め寄ったアリスに、ノアは両手を挙げて降参のポーズをとる。


「ないない! クラスメイトと言っても、僕は男爵家、向こうは王家と公爵家だよ? そんなに話すこともないよ」

「それもそっか……」


 この世界は未だに格差社会だ。家柄がモノを言う。だからキャロラインが断罪されても島流しとか辺境に爵位を取り上げられて追いやられたりだったが、アリスの断罪では有無を言わさず処刑だった。それぐらい爵位が何よりも重要なのだ。


「そうそう。落ちぶれた男爵家の息子なんて、誰も気になんてしやしないよ」

「兄さまってば。お父様が聞いたら泣いちゃうよ」


 クスクスと笑うアリスを見てノアも楽しそうに笑った。そんな兄妹水入らずに水を差したのはキリだ。


「お嬢様、ノア様、明日は早いので今日はこの辺にしておいたらどうです?」

「ああ、そうだね。それじゃあアリス、キリ、おやすみ」

「うん、おやすみなさい。キリもおやすみ」

「はい。おやすみなさいませ」


 そう言ってキリとノアは部屋を出て行ってしまった。アリスは忘れないようにノアが置いて行った本と大量のメモを鞄に詰め込み、厳重に鍵をかける。



 その夜、アリスは夢を見た。夢の中でアリスは宙に浮いた状態で断頭台の上に晒された過去の自分を見下ろしていた。


 うつ伏せに伏せられているから顔は見えないが、声だけはしっかり聞こえてくる。


『私じゃない! 私は何もしてない!』


 どれだけ叫んでいたのか、声はかすれて時折混じる咳が喉の限界を告げていた。思わず耳を塞ごうとした今アリスだったが、不意に過去アリスの声がふっと掻き消えた。それと同時に別の誰かの声が聞こえてきたのだが、どうやらそれは誰にも聞こえなかったらしい。過去アリスと今アリス以外には……。


『可愛いアリス。可哀相なアリス。愛しいアリス。私のアリス――』


 その声にハッとしたように顔を上げた過去アリスの顔は、何故か笑顔だった。花が綻んだような笑みに、薄く開いた唇から漏れた最後の言葉は――『シャルル』


「ひやぁぁぁぁぁぁ!」


 汗びっしょりで飛び起きたアリスは思わず自分の首を確認する。


「ついてる……ちゃんとくっついてる……」


 ゆっくり深呼吸をして額の汗を拳で拭っていると、ノックの音も無しにキリが顔を出した。


「また寝ぼけてるんですか、お嬢様」

「キ、キリ……良かった……ちゃんと居る……」


 フラフラと何かを求めるように両手を伸ばしてキリに触れようとすると、その手をペチンとキリによって叩き落された。


「な、な、な!」

「汗拭いた手で触らないでください」

「ひ、ひど!」

(ねえ、ほんとにこの人攻略対象なの? 何かの間違いなんじゃないの?)


 一瞬そんな考えが頭を過ったが、昨夜もうそんな風に皆を見るのを止めようと決意したのを思い出して、アリスはため息を落とす。


 まあ、たとえ今も攻略対象だとしてもキリはない。コイツだけは絶対ない! 


 アリスの心は酷く傷ついた。


「もうじき朝食ですよ。着替えてさっさと席についてください」

「朝ごはん⁉ すぐ行く!」


 ぱぁぁ、と顔を輝かせたアリスはいそいそと支度を始めだした。それを見てキリも部屋を出て行く。


 前言撤回。おそらくアリスの心はとても頑丈な鉄で出来ている。


 朝食をかき込むように食べたアリスは、キリに急かされるようにノアの待つ馬車に乗り込んだ。昨日のうちに父と屋敷の皆には挨拶を済ましておいて正解だったかもしれない。


「おはよう、お寝坊アリス」

「おはよう、兄さま! そうだ! 聞いて!」


 アリスは挨拶もそこそこにすぐに今朝見た夢の話をノアに告げた。


 ほんの少しも我慢できないアリスである。


「出たね、シャルル」

「うん。どうして声が聞こえたんだろう?」

「うーん……それだけでは何とも言えないけど、それを聞いた過去アリスは笑ったんだよね? もしかしたら十四回目のアリスもシャルルに会えてたのかな……それにしても、朝から随分嫌な思いをしたね。大丈夫?」


 優しく問いかけてくるノアに、アリスはコクリと頷いた。あんな夢を見たのに思ったよりもアリスは冷静だった。朝食を食べている間は夢の事なんて忘れていたほどだ。ただ一つ思ったのは、断罪アリスの最後の顔が、苦痛に歪んだものではなくて良かった、という事だった。


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