「まず質問なんだけど、今回のアリスはいつ自分が琴子だと気付いたの?」
「今朝だよ」
「今朝?」
「うん」
自信満々に頷いたアリスを見てノアは不安そうにキリに視線を送った。
「無駄ですよ。お嬢様はこんな事を黙ってられる訳ありません。そこはアーサー様にそっくりです」
「うん、そうみたいだ」
どうやら今朝起こった出来事をすぐにゲロしてしまったアリスを見て、ノアは不安になったようだ。自分だけで解決出来そうにない事はすぐに人を頼るアリスである。基本的にアリスはいつだって他力本願なのだ。
「でも不思議だね。過去アリスはずっと自力でどうにかしようとしてたみたいなんだけど」
「それなんですよ。よく黙ってられましたね? お嬢様」
「わ、私だけど私じゃないからそれは分かんないよ! でも……」
「でも?」
何か違和感があるのだ。本の中の過去アリスと、ここに居るニューアリス。何かが違う。
「何ていうか、あんまり攻略しなきゃって思わないの。だからこの本見ててもへぇ~って思うだけっていうか……シャルルに会えたのも最初は推し! って思ったんだけど……」
実際に夢の中のルイスルートを進行していた過去アリスは、脳内でとても饒舌に『花冠』を語っていた。シャルルについても、だ。それは他の過去アリスもそうで、本を読む限り文章の端々にシャルルへの愛が溢れている。
けれど、それを読んだニューアリスの感想はと言えば、頑張ったんだなぁ~ぐらいにしか思わない。
それよりも切実に思うのは、どうにかしてこのループを終わらせなければいけないという事だった。その為にアリスは兄たちに相談した。どう考えてもアリスだけでは無理だろうから。
「なるほど。こちらの世界にアリスが馴染んできたのかもしれないね」
「私が……馴染んできた?」
「琴子、という少女の記憶が薄れてきているのではないですか?」
「そ、そうなのかな?」
キリの言ったように琴子の時の事を忘れているのだろうか? 少し思い出してみたが、そうでもない気がする。『花冠』のストーリーはやりこんだだけあって細部まで思い出せるし、ゲーム以外の事も……ん?
そこまで考えてアリスはふと思った。琴子は十六歳で死んだ。好きなものは乙ゲー、少女小説に漫画、アニメも好き。ノーマル厨で当て馬好き。んん?
「どうかした? アリス」
「う? うん。キリの言う通りなのかも。琴子の事、忘れてきてるのかも」
「忘れてるの? 本当に?」
「うん……名前と顔と趣味は思い出せるんだけど、他の事があんまり……」
部屋の間取り……は、かろうじて思い出せる。ベッドの位置も机の場所も。でも小物は無理だ。お母さんの声は覚えているのに、顔が思い出せない。学校までの通学路、一部は思い出せるけど、詳しい道順が分からない。
それをノアに伝えると、ノアは深く頷いた。
「やっぱりこちらの世界にアリスが馴染んできているのかもしれないね。だとしたら、急がないと」
「急ぐ?」
「そうだよ。もしもアリスまで完全にこの世界に馴染んでしまったら、誰がループに気付くの?」
「はっ! そっか!」
「じゃ、始めようか」
「うん!」
本を広げて一回目、二回目、とアリスが読み上げていく。それを時系列にノアがまとめた。
途中で気分の悪いエンドもいくつか出て来て、ノアの手が何度も止まった。特にアリスが断罪されて断頭台に上る事になったエンドの時には、ノアの顔色は真っ青でペンを持つ手は震えていた。
キリも顔を顰めてそれを聞いていたが、すぐにふにゃけたアリスの顔を見てホッと胸を撫でおろしている。どこまでも失礼な執事だ。
ようやく最後のループを読み終えた時、ノアが大きなため息を落とす。
「よくぞここまで、だね。これが全部その、ゲームとやらのエンディングなの?」
「ううん。実はね、ゲームのエンドは本当はこんなに無いの。だから私もビックリしてるし、過去アリスも驚いてたんだと思う」
特に断罪アリスの動揺は凄かった。どこで書いたのか分からなかったが、血文字で書かれていた後半のページは、もう気が狂っていたのかもしれない。そう思える程、支離滅裂で何を書いているのか分からなかった。
「そうなんだ。何回も出て来たエンドは?」
「それはゲームのと同じだよ。大体一回しか出てきてないエンディングは私も知らないエンディング」
「なるほど。じゃあ整理しようか。アリス、攻略対象というのはこの人達でいい?」
そう言ってノアは書き記したノートを見せてくれた。そこには線の細い綺麗な字で攻略対象達の名前が書き連ねてある。
「うん。あ、隠しキャラでキリだよ」
「分かった。キ、リ、と」
「止めて下さい! そこに俺の名前並べるのは! 不敬罪で処刑されそうです!」
さっきまで真面目に執事をしていたキリだったが、ノアが名前を書き入れた途端真っ青になった。確かに、このメンバーにいくら字とは言え並びたくはない。
「こうして見ると、実に錚々たるメンバーだね。で、この本によく出てくる推しというのは?」
推しの意味が分からないノアはアリスに尋ねてくる。
「推しって言うのは、一番好きなキャラクター……人って意味だよ。でも私の好きな人は攻略対象じゃなかったんだ」
「……へえ?」
推しの説明をするアリスを見るノアの目が一瞬冷えた気がしたが、次の瞬間にはすぐにいつもの優しいノアの顔に戻る。
「それがシャルル・フォルスだった訳だ?」
「えっ! なんで分かったの⁉」
アリスは本気で驚いたけれど、よくよく考えればあれだけ黒い本にシャルルの名前が出てくればそりゃ誰でも気づくだろう。隣からキリの呆れたような視線がバシバシ飛んでくる。
「ま、まあでもほら、どの過去アリスも結局シャルルには会えなかった訳で!」
「でも、さっき会ったんでしょ?」
「う……そ、そうだけど」
ノアの冷たい視線から逃れるようにキリを見てみたが、キリの視線も冷たくて結局アリスは俯く事しか出来なかった。
「でもよく考えたら、それも変な話ですよね。どうして今回に限ってシャルルは突然お嬢様の前に姿を現したんでしょう?」
「そうだね。これはそのゲームとやらの流れもまとめた方が良さそうだね。アリス、教えてくれる?」
「うん」
『花冠』のメインストーリーは至って単純だ。というか、王道だ。
貧しい男爵家の娘アリス・バセットは、十五歳の誕生日に国民の義務である魔法適正審査を受けに登城する。そこで白魔法の加護がある事を知ったアリスは、異例中の異例でフォスタースクールに編入することになった。そこで魔法の勉強をしながら様々な試練を乗り越えていく。そしていつしか聖女と呼ばれるようになったアリスは、強大な敵に立ち向かう事を決意する!
そこまで一息に説明したアリスの隣で頷きながらペンを走らせていたノアがふと顔を上げた。
「で、強大な敵って?」
「それは『花冠2』に続く!」
「えっ、一つじゃないんですか?」
「うん。シリーズで3まで出てたよ。ファンディスクはストーリーがあってないようなものだったから、実際のメインのお話は3で終わり」
「い、一応、3まで教えてくれる?」
「うん」
『花冠2』のヒロインはエマだ。エマはアリスの二年後輩になる。その頃のアリスは聖女として既に世界を救う事に奮闘していたので、ほとんどストーリーには絡んでこない。
「待って! え? ヒロインが変わるの?」
「うん。攻略対象も変わるよ」
「ええ?」
「……これ以上に攻略対象が増えるんですか?」
「うん!」
元気に頷いたアリスと反して、二人はうんざりしたような顔をしている。
「そっか。とりあえずアリスが絡む話は2には出てこないの?」
「う~ん……ストーリーの端々にちょっとだけ出て来るぐらいかな……国で起こる飢饉を救ったーだとか、東の洪水を堰き止めたーとか、そういうの」
「……飢饉? 洪水?」
「うん。エマが二年生になった頃かな? 西の国の王子さまが助けを求めに来るの。で、作物の出来が悪い事にエマは気付いていたんだけど、どうしようもなくて西の王子に何もできなくてごめんなさい、私の力が足りないばっかりに、みたいな事言って王子ルートに入るんだけど」
「ちょろいですねぇ、西の王子」
呆れたキリは既に執事の仕事を放棄して自分も座ってお茶を飲みだした。こんな執事見習いで本当にいいのだろうか。
ノアはペンを取ると何故かまた黒い本をめくりだした。
「兄さま?」
「うん。もしかしたら、その飢饉や洪水みたいな事がアリスの時にも起こっていないかなって思って。アリスは何か思い出す事はない? 話には直接関係なくても、大きな規模の災害とかそういうもの」
「う~ん?」
アリスは考えた。お花畑な脳みそをフル回転させて。
大きな規模の災害……火事とか? そういうのは無かった気がする。でもそう言えば、夢で見たルイスルートの最後にルイスは何か気になる事を言っていなかっただろうか?
「兄さま、そう言えばすっかり言い忘れてたんだけど、前回のアリスの記憶はキャロライン様の断罪の時に蘇ったの。だから本には何も書かれてないんだけど、内容は今朝夢で見たんだ。私、どうやらルイスルートが死ぬほど嫌で死んだふりしてルイス様とカイン様のお話を盗み聞きしてたんだけど」
「盗み聞き? それは感心しないね」
「う、ご、ごめんなさい」
シュンと項垂れたアリスを見てノアは小さく咳払いをした。
「話の腰を折ってごめん。続けて」
「うん。あのね、レンギル大公が突然崩御して、次の大公がシャルルになったって。だからルーデリアの警備を強化しなければ、ってルイス様は言ってたんだけど、これって大事な事?」
「アリス……それは聞き間違いじゃないよね?」
「うん。ちゃんと死んだふりしてたから」
ゲームの設定のシャルルは確かに3では闇落ちするが、1ではそんな事はないはずだ。ここまで考えてふとある事に気付く。
「兄さま! ゲームではシャルルは既に大公になってるの! これって、変だよね⁉」
思い出した。『花冠』の攻略本には詳しいキャラクター設定が載っていたのだが、1の時には既にシャルル・フォルス大公になっていた。
「え? ゲームの中でシャルルはいつ登場するの?」
「中盤辺りだよ。魔法の授業で私達はフォルス公国に修行に行くの。その時シャルルは既に大公として紹介されてた!」
「でもお嬢様の夢の中でルイス様は、これからシャルル様が大公になる、というような事を仰ったんですよね? それはもう殆どストーリーの終盤だったと?」
「そう! そうなの! 変でしょ⁉」
よく気付いた、アリス! 思わずドヤ顔を浮かべたアリスを見てキリがフンと鼻を鳴らす
この執事見習いは、もしかしなくてもアリスをバカだと思っているな?
「……なるほど。ゲーム通りには事が運ばなかった。だから登場しなかった。もしかしたらそういう事なのかもしれないね」
「どういう意味?」
「辻褄が合わなくなるんじゃないかな。話を円滑に進めるにはシャルルはゲーム中盤で大公になってなければならなかった。それが、決まりだったから。ねえアリス。クライマックスを迎えたら、その後はどうなるの?」
「え? その後?」
「そう。その後」
キョトンとするアリスにノアは真剣な目を向けて来る。
「その後なんてないよ? 誰かのルートをクリアした場合はその人と婚約して、大団円エンドの場合はキャロライン様が断罪されて本来の卒業パーティが始まるだけだよ。それが終わった後はエンドロール……えっと、作った人とか声を充てた人とか、絵を描いた人の名前が流れて終わり」
それが一体どうしたのだ? アリスはいよいよ首を傾げた。そんなアリスとは打って変わって、ノアの顔は至って真剣だ。
「なるほど。じゃあ、3が終わった後は?」
「3? 3は闇落ちしたシャルルがドラゴンを操って世界を滅ぼそうとするの。でもシャルルって魔力が半端じゃなく強いから、1と2と3のヒロインと攻略対象が皆揃って力を合わせて闇落ちしたシャルルとドラゴンを倒して終わり。でも、それは誰のルートも選ばなかった場合だよ。誰かのルートを選んだらシャルルは闇落ちしないどころか、出ても来ないんだもん。私は推しのシャルル見る為にそのルート何回もやったんだけどね!」
スペアリブのような胸をドンと叩いたアリスは、フンと鼻息を荒くした。そんなアリスを二人はまるでおかしな者でも見るような目をしている。
「ごめん全然関係ないんだけど、アリスなんでそんな奴が推しなの? 僕には本気で分からないんだけど……」
「失礼を承知で言いますが、お嬢様、頭大丈夫ですか? 趣味悪いにも程がありません?」
「ほんっきで失礼ね! ちょっと闇がある方がミステリアスでいいでしょ⁉」
「いや、ただのミステリアスでは世界を滅ぼそうとは思わないんじゃ……ごめん、話を戻そうか。それで、シャルルとドラゴンを倒したらどうなるの?」
「うん。空を覆っていた黒い霧が晴れて、世界に平和が戻って終わり」
「その後は?」
「ない!」
「……そう」
顔を顰めたノアはまたノートにペンを走らせた。そんなノアを見ていると心底思う。やっぱりさっさとノアとキリに話しておいて良かった、と。こんな事アリス一人では絶対に思いつかないし考えつかない。