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第1話:漂流

A.D.2145 3/12 13:38

地球―タルシスⅠ中間宙域

タルシス士官学校 訓練船



 士官学校に入ってきた当初、マリア・アステリアという少年は非常に分かりやすい性格をしていた。少なくともその時点のギデオンにはそう思えたし、恐らくその見方自体は大して間違っていなかっただろうと今でも思う。


 マリアは身の回りにいる全ての人間を見下していた。表立ってその態度を見せることは無かったが、立ち居振る舞いや言動の端々に現れる傲慢さに、メンターであるギデオンはしっかりと気付いていた。


(まあ、奴ほどになると見える景色も違うのかもしれんな)


 その日、ギデオンは訓練船の操縦席に深々と座り込んでマニュアルページをスクロールしていた。


一応目では文面を追っているが、頭のなかでは出来の良すぎる後輩の人となりについて考えていた。今頃、いつもの要領の良さと気配りの才能を活かして、脅える他の訓練生たちをなだめに行っているに違いない。



 彼らが乗り込んだ船が触雷して、すでに8時間が経過していた。



 乗船した訓練生の人数は、ギデオンとマリアを含めて30人。学年合同での実地演習であり、カリキュラムのなかでもかなり重要度の高いものだった。


 すでに操船技術については並ぶ者のいないギデオンと、三年目ながらすでに主席卒業生の地位が確定視されているマリアのコンビは、他の生徒たちから大歓迎された。二人に指示されるままに仕事をこなして、三週間の航海ののち、無事に港まで戻る。ほとんど遠足と同じだと思っている者もいた。


 よもや、タルシス軍が誤って放出した機雷がコース上に漂っているなど、ギデオンもマリアも含めて想定していなかった。


 触雷時の騒動ぶりを思い出すだけで、深々と溜息が漏れる。


 ギデオンも最初は驚いたが、即座に訓練船の現状把握とダメージコントロールの指示を飛ばした。被弾箇所が左舷スラスターと見るや、間髪入れずに切り離しを判断。分離から3秒後に推進剤が引火し、大爆発を起こした。飛び散った破片が船体のあちこちを貫通したため、その穴をふさがなければならなかった。


 それらのダメージコントロールについては、マリアがすぐにブリッジを飛び出して対処した。慌てふためき、なかには泣き叫んでいる者さえも即座に立ち直らせ、ギデオンの指示を120パーセントの完成度で達成させていった。


 結果的に死者はゼロ。重症者の処置も速やかに終わり、命に別状は無い。


 それよりも空気の方が深刻だった。二人の完璧な連携があってなお、訓練船の酸素残量はイエローラインに突入している。本来ならば被弾と同時にダメコンを行うはずだった生徒が、動揺して初動を遅らせてしまったことが原因だった。マリアの指揮統制が無ければ、今頃全員酸欠になっていたかもしれない。


 幸い救難信号は受理されており、軍の高速艦が急行していることも分かっている。とはいえ船はかなり遠いところまで進んでおり、現在も慣性飛行の真っ最中。電力も低下しており船内の照明は一部消えていた。このまま幽霊船となって隣の銀河まで大航海をする可能性もあり得るのだ。



 つまり、じたばたせずにじっと助けを待つ。それ以外にない。



 そして、宇宙での船舶事故において、そのようなシチュエーションが最も危険だということも、士官学校で繰り返し教わっていた。


 あるケースでは、コロニーから100キロも離れていない場所で電力不足により機関停止した小型船が、燃料タンクの破裂によって沈没している。パニックに陥った乗員が、すぐに港へ戻ろうと工作用のレーザートーチで燃料に点火したことが原因だった。


 話を聞いていた学生の多くは笑っていたが、ギデオンは笑えなかった。恐らくその船員には死神の鳥が憑いていたのだろう。そしてその鳥はオカルト的なものではない。むしろより現実的な因子が、より具体性を伴って現れたものなのだ。


 あとから調べてみたところ、件の船員は軽度の精神疾患を患っており、それが出るか出ないかぎりぎりのところで生活していたことが分かった。事故によって元々不安定だったメンタルが揺さぶられ、常識ではありえないような行動に走ったのである。


(人間には、そういうこともある……)


 あのケースのことを思い返すと、今のこの状況も決して安泰ではないと分かる。何しろ、見通しが立っているとはいえ緊急事態に違いは無いのだ。


 今はマリアの「魔力」によって抑えが効いているが、それが解けてしまったら再び混乱に逆戻りかもしれない。騒ぐだけでも酸素の消費は早まる。ましてや暴動のようなことが起きれば、助かるものも助からない。


 ぴっ、と指先でホロディスプレイのマニュアルを弾いた時、仮想艦橋が立ち上がって新たなウィンドウが現れた。



 とはいえ、姿を見せたのは出来が良くて性格の悪い後輩ただひとりだけだ。



『馬鹿しかいない!!』


 シートにどっかりと座り込んで、マリア・アステリアは怒鳴った。ギデオンは思わず「くくっ」と笑ってしまった。


 マリアという青年を一言で表すなら、スマート、の一語で足りてしまうだろう。


 端正で貴族的な顔立ちに、地球の海面のような深い青色の瞳、麦畑のような金色の髪。制服の着こなしはいつも完璧で、歩いているだけで軍の広報に使えそうな見栄えの良さだ。実際、士官学校のパンフレットでは常連となっている。もしタルシス軍に儀仗隊が設立されれば、その先頭で白馬にまたがっていてもおかしくない。


 そんな彼だが、言葉遣いや物腰の柔らかさも一級品である。マリアと初対面で話した人間は皆、彼に対して好意を抱く。ギデオンの観測範囲ではほぼ絶対と言って良い。士官教育にはマナーや品格を磨く意味合いも含められているはずだが、マリアに関してはそれら全て履修済みである。



 マリアは誰からも好かれる。


 誰もがマリアの言うことを聞く。


 不思議だとギデオンも思うが、カリスマとはそういうものなのだろう。実際、マリアには人を従わせるに足るだけの能力が備わっている。宇宙という極端に過酷な環境下にあって、他者を安心させられるというのは大きな力だ。


 しかし、彼がただの聖人君子などでないことは、ギデオンが最も良く理解していた。


「ちゃんと船内放送は切ってあるか? お前のファンの女の子に聞かれたら大変だぞ?」


『聞かれたところで、あの子たちは僕のファンを辞めませんよ。皮肉を理解する頭も無い低能揃いだ』


「お前、俺に猫かぶりがバレてから、すっかり口が悪くなったな」


『安心しているんですよ。ギドの前では……何も取り繕わなくて済む』


「そういうセリフは、地球の女学校に通ってるお嬢様が言うものだ。王子サマのセリフじゃない」


『四六時中王子サマを演じるのも疲れるんですよ。僕は普通に振る舞ってるだけなのに、周囲が勝手に誤解していくんだ。たまらないですよ? ギドも、僕の立場になってみればわかります』


「未来の主席様ほどの器量は無いんでね。遠慮しておくよ……で、どうだ?」


『暴発まであと1時間というところでしょうか。重症者の呻き声が効いています。傷の手当は済んでいますが、傷を直視した生徒もかなり怖がっている。それがまた周囲に波及して……というところですね』


「ここまでくると言葉だけでは、だな」


 マリアの魔法でもダメか、とギデオンは嘆息した。マリアの人を安心させる力は凄まじいが、状況の悪さと相手の未熟さが相まっていまひとつ効きが悪くなっている。


『すみません、僕がもう少し上手くおさめていれば……』


「むしろこの状況でパニックを起こさず済んでいるんだ。奇跡みたいなものだろ」


『例の重症者、追加で薬を使いますか?』


「鎮痛剤は投与しただろ?」


『より強力なものが備えられています』


 マリアが言っているのはただの鎮痛剤ではない。宇宙船の帰還が不可能となり、死を待つ状況が確定した時にだけ使うことが許される麻薬が、この船にも積まれている。使用には重い責任が伴い、仮に人命救助のために使ったとしても審問会が開かれるような代物だ。


 これ以上呻き声を出させ続ければ、不安や恐怖が他の船員たちに広がってしまうかもしれない。船長の役目を背負っているギデオンは、それを使う資格がある。


「やめておこう」


 ギデオンは、そう答えることを迷わなかった。


『危険です。このままでは……』


「だとしてもだ。チーム全体の……お前の責任にもなる。お前は宇宙軍のトップを狙える逸材だ。履歴書は綺麗なままに越したことはない」


『ギド、僕のことは……!』


「それにあいつは普通に生還できる傷だ。麻薬なんぞ使ったらそっちの後遺症の方が重くなる。そうなれば、審問会程度では濯ぎきれない汚名になる。お前はいつか人の上に立つ。立てる器なんだ。無理に非道を働くことはないんだよ、マリア」


『…………』


「納得したか?」


『いいえ』


 ギデオンは喉を鳴らした。この野郎、と口に出かかったが、マリアの浮かべていた微笑がそれを思いとどまらせた。


『でも、先輩の助言です。大人しく聞いておくことにしますよ』


「減らず口も一級品だな、お前は」


『僕にしては珍しい殊勝な物言いだったと思いませんか?』


「自覚があるならもっと謙虚に……っああ、面倒臭い奴だな。気が抜ける……」


 そう自分で口にして、ふと思いついた。


「マリア、船内放送を全てオンにしろ」


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