A.D.2160 2/19 11:09
タルシスⅣ-Ⅱ
封鎖突破船『天燕』 格納庫
「いやあ、ずいぶんカッコ良くなったねえ」
スプレー缶を片手に『フェニクス』の顔を見上げて、ルスランは感心したように言った。隣で逆様になりながらマスキングテープを剥がしていたイムもちらりとそちらを見やる。
「確かに、チクワ頭よりはマシになった」
「聞こえたぞイム・シウ」
コクピットからにゅっと顔を出したカラスが抗議した。
(しかし)
顔を出すついでに新しくなった愛機のヘッドユニットを見ると、そう言われるのも納得ではある。第一カラス自身、模擬戦までの自機の顔に微妙に納得がいっていなかった。
『フェニクス』の顔は、人間のそれに近いツイン・アイ・タイプに換装されていた。
緑色の両目のなかには複数種のカメラやセンサーが配置されており、それをグリーンのカバーで覆っている格好である。人間の目とは当然異なる仕組みとなっているが、遠目に見る分にはずいぶん人間臭い顔立ちとなった。
両目はそれぞれ頭部に収められた2台の戦術コンピューターに接続されており、機体制御や観測機能、通信機能が強化されていた。
『限界稼働に至ったら頭の
ぐいっと作業服の裾を引っ張られてカラスは我に返った。狭苦しいコクピットのなかで身体を縮こめて作業していたキョウが半目で彼を見上げていた。抗議の手話を振ろうとするが、手があちこちのコンソールにガタガタとぶつかって思うように動かせない。ただ「チッ」という舌打ちだけで、何を言いたいかは大体伝わった。
「ああ、すまない」
『まったく、もう……いい? このユニットもシステムも、全部試供品なんだからね? ちゃんと使いこなしてデータを送ってもらわないと、割に合わないんだから』
「バイキャメラル・システムの簡易版か……スペックダウンしてるとはいえ軍の機密だろう?」
『今更だね。こっちとしては何が何でも運用データがいるんだから、手段なんか気にしちゃいられないよ。これ自体に殺傷力があるわけじゃないし、一応は民間への新型センサーの運用委託って形もとってるし、まあギリギリグレーってとこかな』
それで通るほど甘くはないだろうが、どこかでクェーカーが鼻薬を嗅がせているのかもしれない。
(急にフェニクスを取り上げられたりしなければ、まあ……)
カラスとしてはそれで納得するしかない。
それに機体性能が上昇したことは紛れもない事実だ。模擬戦終盤で『ヴァジュラヤクシャ』に殴り飛ばされた時、頭部をはじめあちこちに深刻なダメージを受けた。今回の修理はその補填の意味合いも兼ねている。
『よく壊すって聞いてるからね。ツイン・アイは高性能だけど破損に弱いから、デブリ帯での飛行や接近戦闘時はフェイスカバーが出るようにしておいたよ』
「前回の破損は不可抗力だ」
『それを回避するのがパイロットでしょ? バイキャメラル・システムは繊細なんだから』
「繊細、か……」
キョウが言ったのは機械的にデリケートだという意味合いだろう。それくらいカラスにも分かる。
だが、あの日『フェニクス』に送られてきた短い一文のことが、カラスにはどうしても忘れられなかった。
語法のうえでの問題かもしれないが、彼らは自己を「this」とは言わず「me」と表した。口に出してみると、その単語には妙に有機的な響きがある。そんな気がした。
ただの思い込みや錯覚かもしれないと自覚していたが、それでもカラスはあの金色の機体との間に一瞬だけ意思疎通のようなものがあったのではないかと思えてならなかった。
「キョウ・アサクラ」
『なに?』
「バイキャメラル・システムは、フェニクスに感情を……心を創り出すものなのか?」
『それ、ヴァジュラヤクシャが自分をmeって表したから?』
「ああ」
唐突な質問だったが、キョウは少し微笑ましくなった。仕草のひとつひとつに、微妙に機械めいたところのある少年がこんなことを聞いてきたのが面白かった。
ただし、技術者として答えるべきことは決まっている。
『機械は機械だ。機械に心が宿るなんて考え、もう100年も前に否定されてるよ』
「そうか」
心なしか、カラスの相槌にはどこかしゅんとしたような雰囲気があった。表情が大きく変わったわけではないのに、口元の動きや瞼の微妙な伏せ方が少し寂しげに見えたのだ。耳の聞こえないキョウは、聞こえる人間よりもそういう機微について鋭い。
(仲間意識……まさかね)
強化人間とはいえ、人と機械知性は決定的に異なる。彼は自分が思っているほど機械的にはなれないだろう。
こんな質問をしたこと自体、感情が原因と見て取れる。
しかしだからこそ、逆説詞をつける気になったのかもしれない。
『……ただ』
プロらしくない考えとは思いつつ、キョウは五指を伸ばした右手をくるりと反転させた。
『心はなくても、私たちと違う形の知性ではある』
「……?」
意味を掴みきれなかったカラスが再び首を傾げた。
『私たちの知性は理屈や理論だけでできているわけじゃない。何かを感じる心も私たちの知性の一部だよ。冷たいばかりが全てじゃないんだ、人間はね』
「機械はそうではないと?」
『私たちがイメージするような言葉は無いかもしれない。けれど彼らには彼らなりに見えているものや考えているものがある。だからこそ人が気づかなかったり見えないものに気づくことができる。
私たちは互いに全能ではないけれど、互いに見えないものを補い合って、少しでもマシな知性を持つことができる』
そう言って、キョウは深く溜息をついた。偉そうなことを言ったな、と胸のうちで呟いた。
(私にそんなことを言う資格は無いなぁ)
あの模擬戦のことは、これからしばらく……もしかすると死ぬまで引き摺るかもしれない。
戦局の様々な場面で、バイキャメラル・システムは常に正しい選択肢を提示し続けていた。敗北したのは自分のオペレーションミスによるところが大きいとキョウも自覚している。
試しに、前回の模擬戦のミスを改善したうえでシミュレートし直したところ、二度と負けないと言って差し支えないほどの勝率が弾き出された。
そんな後悔も『ヴァジュラヤクシャ』の実機が無くなった今では空しいだけだ。
仮に機体そのものを再建できたとしても、そこに積まれているコンピューターはあの戦いを実際に経験したそれとは異なっている。
(バカだな。私まで感傷的になってどうする)
機械は機械。そう言ったのは自分自身だ。
そんな自分が、『ヴァジュラヤクシャ』とそこに搭載されていたコンピューターをあたかも個人であるかのように捉えていることがおかしかった。とてもカラスの感傷を笑えない。
『……偉そうなことを言ったけど、私だって本当に知性的な存在にはなれないみたいだ。君との戦いで思い知らされたよ』
「知性があれば勝っていた、と?」
『ああ。より冷静で、感情に振り回されず、羊みたいにおたおたと慌てふためくことのない、そんな存在だったら』
完璧にオペレートできていれば。もっと自分が賢ければ。その後悔が
それを遮るように、カラスが口を開いた。
「キョウ・アサクラがそういうオペレーターであったら、ヴァジュラヤクシャはあの通信を送ってこなかった」
なぜそう言う気になったのか、彼自身よく分からなかった。
「え?」
滅多に使うことのない声帯から、言葉とも言えない言葉が漏れた。キョウが目を丸くしてカラスを見上げていた。
その表情を見て、カラスは思ったことをそのまま出そうと決めた。
「あの時ヴァジュラヤクシャは自分を殺そうとしなかった。状況的に不可能ではなかったのに、銃を向けず……人を生かすために、自分を撃てと。
兵器や道具はそんなことは言わない。殺せと言われれば迷わず殺す。自分で考えて、自分を撃てと言えるのは……冷たいだけの機械にはできない。
ヴァジュラヤクシャがただの兵器にならなかったのは、キョウ・アサクラ、あなたがずっと関わってきたからだ」
カラス自身、己を兵器や道具と見ていた時期があるからこそ言えることだった。
彼が戦場で見てきたものに、温かさを見出す余地など全く無かった。強化人間であろうとそうでなかろうと、人間らしい倫理観や善性を保ったままでは精神的に耐えられない。だから投薬や催眠、その他のあらゆる手段を使って人性を否定する。
そんな状況に縋らなければ生きられない場所で、カラスは生き延びた。
だから、あの時送られてきた短い一文にカラスは動揺した。そこに戦場では決して見なかった温かさのようなものを感じた。
それを送ってくれたあの金色の機体を、ただの鉄の塊として処分したくなかった。
『キミ、結構可愛いこと言うねえ』
「かわ、いい……?」
ぱちりとカラスは瞬きした。キョウが噴き出した。笑いながら、震える手で手話を振る。
『マシーンみたいな言葉遣いなのに、感性はぜんぜん普通なんだって……それがおかしくてさ』
「笑うようなことか」
憮然とした顔でカラスは言った。その表情もまた、機械的とは表現できないものだった。
ひとしきり笑ってから、キョウはまた溜息をついた。今度のそれは、先ほどよりも少し軽かった。
『君が言うように、人の関わり方で機械が温かくも冷たくもなるのなら……
やはり自分も彼も日系人だなぁ、とキョウは思った。祖先たちが付喪神と
カラスの返答はあっさりしていた。
「善処する」
その時、ルスランがひょいとコクピットのなかを覗き込んだ。
「やあカラス、ちょっと良いかい?」
「! 作業、終わったのか!?」
「うん、あとはテープを剥がすだけ……」
ルスランの言葉が終わらないうちに、カラスはコクピットから這い出ていた。何事かとキョウもハッチから顔を出す。
『フェニクス』の左肩にあたるコンテナ・スラスターにとりついたルスランとイムが、飛んできたカラスの手を引いて装甲板の上に立たせた。二人の足元には何色ものスプレーを使った跡が残っている。作業服にもところどころ塗料が飛んでいた。
「さ、見てみなよ」
装甲板に張られた最後のマスキングテープを剥がすようルスランが促す。「ああ」とカラスは少し緊張したような声音で返した。
テープの端に指をかけ、一気にめくりあげる。
そこには長い尾羽を黒く焦げ付かせ、頭に絆創膏を張った不死鳥の絵が描かれていた。
「……なぜ、尾羽が焦げている? この絆創膏は何だ?」
「お前がよく壊すからだろ」
ニヤニヤと笑いながらイムが茶化す。カラスはキッと睨み返したが、それもキョウの笑い声に流されてしまった。
『良く似合ってるじゃん!』
「やめろ。自分はそこまで壊していない」
「いやぁ、無理があると思うよ?」
「不当なデマだ」
「正確な評論だろ。観念して、こいつを張っつけて飛ぶんだな」
まだ文句を言い続けているカラスを眺めながら、キョウはハッチに肘をついてくすくすと笑っていた。そして視線を『フェニクス』の顔に移す。
かつて自分が造った機体と同じ目を持つようになった
(良いパートナーじゃないか、ねえ?)
『フェニクス』は無論一言も発さないまま、ただ人間たちの姿を見下ろしていた。