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タルシスⅣ-Ⅱ近傍宙域
封鎖突破船『天燕』 食堂
決着はついた。
金色の『ヴァジュラヤクシャ』が動きを止めたのをホロディスプレイ越しに見ていたギデオンは、深く溜息をついてコーヒー飲料を口にした。言葉にはしないが、密かに勝利の余韻に浸っていた。
自分が勝った、というわけではないのに何故かひどく安堵した。他人の勝負の行く末にここまで気を張ることなど滅多にない。
嫌な感覚ではないがどうにも気持ちの座りが悪く、それをコーヒー風の味で飲み下していた。
そんな彼の代わりに、後ろで7杯目のビールを飲み干したペティ・バスケットがタンカーの汽笛にも勝るほどの大声で歓声を叫んでいた。喧しさを予想していたギデオンは首をすくめて衝撃に耐えた。
だが周囲の人間を吹っ飛ばすような大声でさえ、今は室内の熱気に呑まれていた。もっとも、内容は悲喜こもごもである。
ルスランはアルコールで赤くなった顔で、隣に座るイムの首筋を抱き寄せていた。イムは苦笑いしつつ端末を開いて負けた分の賭け金を胴元に投げつけた。どうやら船員たちの賭けは勝ち負けともに半々だったようで、なかには「なんで勝つんだよォ!?」と叫んで頭を抱えている者もいる。
「いやぁ、しかしマジでなんで勝てたんだ? 普通こういうのはガタイがデカい方が勝つもんだろ? 推進剤だってフェニクスの方が先に無くなると思うんだが」
「そりゃあ、タンクを増やしといたからさ」
「タンク? どこに??」
ペティは首を傾げる。見たところ『フェニクス』の機体に追加タンクのようなものは見られない。出撃時も増槽の類は付けていかなかったはずだ。
「防御磁場ってあっただろ?」
「ああ、あった……ってギド、まさか」
ずずっ、と飲み物を啜りつつ、平然とした顔でギデオンは答えた。
「ギミック全部引っこ抜いてタンクに置き換えたんだよ。いらんだろ、あんなの」
マイガー! とペティは叫んだ。
「あのイカしたギミックを全部?!」
「どこがだよ」
「あの板っぽいやつがガシャって出るあれも!?」
「外した」
「プラズマキャノンも撃てないのか!?」
「当然だ」
オオゥ……とペティは呻いた。何をそんなにショックを受けているのかとギデオンは呆れた。
「一回使ったら全電力が干上がるんだぞ。仮に盾になったとしても死ぬのが一秒遅れるだけだ」
「でも前回それで上手くいっただろ!」
「大気圏で背面飛行しながら拾い上げる羽目になったのを、上手くいったとは言わん。本当に上手くいったってのはこういうシチュエーションを言うんだよ」
そう言ってギデオンはディスプレイに向けて顎を振った。
レーザーが決まり手にならないことは想定しており、最後はレールガンを当てる状況を作るしかないが、そのためには絶対に『ヴァジュラヤクシャ』の推進剤を枯らしておかなければならない。
彼の見立て通り、巨人機はもともと防衛兵器であり、進攻を主眼において造られてはいない。ジャーナルや外見からおおよそのスペック、機能、そして運用方法は割り出せており、書凡との会話も推測の裏付けになってくれた。その推測をもとにして、最終的に相手の脚を止めてレールガンで仕留める方針をカラスに伝えたのだ。
「とはいえまあ、正直俺もここまで上手くいくとは思っちゃいなかった」
飲料を啜りつつギデオンが言う。
実際『フェニクス』と『ヴァジュラヤクシャ』はサイズに大きな差があり、その分搭載している推進剤の量も違う。大質量を動かす方がよりエネルギーを消費するとはいえ、最終的に有利といえるほどの差を作れるかは微妙なところだった。
その微妙な差を、カラスは慣性航法やワイヤーアンカーによる機動で埋めたのだ。
(青少年の成長ってのは、なかなかどうして馬鹿にできんな)
ふと、かつて出会った強化人間たちの姿がギデオンの脳裏に浮かんだ。
いくら強化処置を施したと言っても、戦い方や操縦には必ずセンスが出る。その長所を殺さず、しかし尖り過ぎた部分をトリミングすることも指揮官の仕事のひとつだった。
その目線で言うと、カラスは思い切りや勢いの激しさが良さと言えるだろう。逆に踏み込み過ぎて窮地に陥る傾向があるので、その悪癖を丁寧な操縦技術と後方からのオペレーションで支えてやれば良い具合につり合いがとれるのだ。
ひとつ誤算だったのは、そのブレーキ役にするはずだったセレンが想像以上にカラスにアクセルを踏ませようとしたことである。戦術面でのアシストではずっと「攻撃」の二文字しか言っていない。
(士官学校から軍に進ませてもらえなかった理由、たぶん
全体的に優秀なオペレーターなのだが、場合によってはカラスよりさらに思い切りが良く、大人しそうに見えて結構気も強い。
しかしオペレーターが戦意過剰なため、カラスが逆に冷静になって動きが良くなるという珍現象まで起きていた。とかく人の組み合わせや噛み合いは良く分からないものだ、とギデオンは思った。
そうして物思いにふけっている脇腹を、マヌエラに小突かれた。
「カラスのやつ、やったじゃん! ペティ、ジュースちょうだい」
「うん? さっき持って行かなかったか?」
ペティが意外そうに眉毛を持ち上げた。彼女はすでにギデオンと同じものを飲んでいる。
「子供たちの分か」
「そ」
ギデオンが言うと、マヌエラは微笑んだまま小さく頷いた。
「珍しいなマニィ。いつもなら自分で取ってこいって言ってるだろ?」
「へへ、そうなんだけどね……」
マヌエラが振り返るのにつられて、男二人も彼女の肩越しに向こう側を見た。揃って「ああ」と口に出た。
マヌエラの下の息子のバスコが、テーブルから身を乗り出したまま食い入るような目でディスプレイを観ていた。
「まさに夢中って感じでさ。あの気が弱い子が……」
「いや、俺も分かるぜマニィ。男の子ってのはどうしてもでっかいマシーンに惹かれるもんだ」
「BFだけはやめておいたほうが良い」
そう言いつつもギデオンは心の中でペティの言葉に同意していた。
バレット・フライヤーという乗り物には、人を魅了する魔力のようなものが宿っている。圧倒的なスピードで敵に突撃する、いわば騎兵の末裔とも言うべき兵種。そして騎兵は古来より軍隊の花形で、単純な戦力以上の意味を持たされてきた存在だ。
見る者さえも魅了するのだから、ましてや乗る側ともなればその魔力にどうしても惹きつけられる。刹那的で、だからこそ美しい。
(あるいはカラスも、それに魅入られた一人なのかもしれん……)
カラスは『フェニクス』だけが自分の過去と今を繋ぐ絆だと言った。その言葉に嘘は無いだろう。
だがバレット・フライヤーに乗り続ける限り、スピードの魔力は常にカラスを誘惑し続ける。それが一定のラインを超えた時、自分の目に死神の鳥が映ることになるだろう。
(そういえば、
かつて彼の部隊にいたひとりの少年兵。
出撃するたびにスピードとパワーに魅入られていった彼の姿が、カラスの姿に重なって見える気がした。飛び続けるうちに死神の鳥に群がられ、最後はほとんどひとつと化しているかのようだった。
だから、カラスだけは絶対に人に戻してやらなければならない。
「……まぁ、今はとりあえず帰投を」
ギデオンはディスプレイを見た。
画面のなかのカラスの肩に、ひとつ眼の黒い鳥が留まっていた。
咄嗟にギデオンは怒鳴っていた。
「カラス、退避しろッ!!」