『嘘、なんて機動性……』
目の前で一瞬だけ繰り広げられた光の踊りに魅入られながら、セレンは声を震わせた。
名付けは「物」に力を与えるという。それにしても、今の『ヴァジュラヤクシャ』は金剛夜叉という意味に一切恥じないほどの力を見せつけていた。なんとなれば、あの巨人が織りなす光の衣はいっそ神々しさすら感じさせる。
対して、カラスはまだ幾分冷静で、なおかつ散文的だった。
「想定内だ!」
敵は半自立型とはいえ本質的には無人機。強化人間にさえ不可能な機動で動くことぐらい、開戦前から織り込み済みだった。
だからこそ、避けられることを前提とした策を立てている。
カラスは『フェニクス』の右足から飛ばしていたアンカーを回収。振り子軌道に乗ったまま、追いすがる『ヴァジュラヤクシャ』をいなして別のデブリの影へと機体を滑り込ませる。敵機からの追跡が途切れた。
今回の大幅な改修で、『フェニクス』には大きな変化がいくつもあった。爆発的な機動力を抑える代わりに航続距離や機体、パイロットへの負担を減らすこと。過敏なほどの旋回性能を落としてカラスの感覚に最適化させること。そしてあと
そのうちのひとつが、両脚部に新たに内蔵されたアンカーランチャーである。
前回のミッションで脚部スラスターは全壊したため、既存の機体やDFのパーツで代用品を組み上げたのだが、そのなかに船舶の錨のように機体を固定する機構を備えたものがあった。非常に汎用性が高い機構であるため、実験的に『フェニクス』に搭載することになったのだ。
いま、そのアンカーランチャーがフルに活かされていた。
キョウが振り子のようだと感じていたのは錯覚でも何でもなく、まさに振り子そのものの動きで『フェニクス』は動いていたのだ。
自機よりも質量の大きなデブリに打ち込むことでブレーキをかけたり、急激な方向転換を行うことが可能になる。無論、戦闘機動の補助として使うのは副次的目標であり、本来は機体を安全に固定するために使うものだ。
だが、このアンカーのおかげで『フェニクス』はデブリのなかをターザンよろしく飛び回ることが出来ている。推進剤を節約し、なおかつ意表をついた動きで敵を混乱させられる。種が分かるまでは何が何やら分からないだろう。
そしてそれは、こちらより遥かに重い『ヴァジュラヤクシャ』には不可能な動きなのだ。
「セレン・メルシエ、次のデブリの情報をくれ!」
『フルネームはやめてって言ったのに!』
怒鳴りながら、しかしカラスの手元には飛び移るべきデブリの情報が次々と送られてくる。アンカーを打ちこむ条件は『フェニクス』より質量が大きく、かつ少しでも運動していることが望ましい。セレンはその最適解を常に算出して送り込んでくる。
少々世話焼きでお節介で説教臭いが、それらを差し引いても優秀なオペレーターだとカラスは思った。
前方に提示された直径500メートルのデブリに接近、アンカーを打ちこむ。元はコロニーの外壁を形成していたパーツなのだろう、魚の鱗のように鋼鉄製の板がいくつも飛び出していた。
楔と射出機を結ぶカーボンワイヤーが限界まで引き延ばされ、同時にぐんと衝撃がコクピットを揺さぶる。何度目かの振動だが、機体にはどこも異常は無い。しっかりと整備をされた『フェニクス』は思いのほか頑丈だった。
全索敵システムを走らせ『ヴァジュラヤクシャ』の航跡を探す。派手に動く機体だ。熱源は必ず捉えられる。
しかし、それが自機の真上に重なっていたがために、一瞬カラスの捕捉が遅れた。
「上っ!?」
2本のサブアーム、4本の脚、そしてビットロッド・キャノンという大長物を保持した一対の剛腕。それらを目いっぱいに広げた『ヴァジュラヤクシャ』が覆いかぶさるように直上に遷移していた。
「捕まえたッ!!!!」
そんな声が聞こえた気がした。
6門のレーザーキャノンを放射状に放ち、『フェニクス』の逃げ場を潰す。そして真正面に構えたビットロッド・キャノンに光が集まった。
『ここで撃つ気!?』
応よ、とばかりに『ヴァジュラヤクシャ』の巨砲が吼えた。
狙いは『フェニクス』、ではなくその真下の外壁。月震を生じさせる砲撃は、模擬弾頭にも関わらずいとも簡単に鋼鉄の壁を圧し折り膨大な量の飛礫を作り出した。
コクピット内のホロディスプレイが瓦礫で埋まる。明らかに模擬戦の域を超えた一撃だった。機体の被害状況を知らせるディスプレイがたちまち黄色く染まる。咄嗟にコンテナ・スラスターで機体を覆ったが、とても全て防ぎきれない。コンテナの強度ももたない。
だが、これは明らかに勝ちを焦った動き。
「推進剤、切れただろッ!!」
『勝負ですッ!!』
カラスはスロットルを限界まで押しこむ。最早出し惜しみするものなど何一つ無かった。
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確かに『ヴァジュラヤクシャ』はガス欠を起こしつつあった。
予想外の機動戦、秒速11キロの敵に追い縋るための急加速と急減速、デブリ帯で大柄な機体を衝突させずに飛ばすための制御、そして極め付けは先ほどの連続緊急回避。
ここまでの展開は全て、巨人機の推進剤を枯らすという一点だけを狙った戦略だったのだ。
巨人機『ヴァジュラヤクシャ』はその巨体に見合わぬ機動性と加速・減速能力を持っている。現に追い駆けっこでは『フェニクス』を何度も捉えかけた。
しかし、そもそもの用途として『ヴァジュラヤクシャ』はそんな戦い方を想定していない。
無論、並みのBFやDFであれば簡単に屠ることが出来るだろう。一対一になってしまった場合でも確実に迎撃ないし撃退するための戦闘力が与えられている。
しかしその戦闘力も、突き詰めれば部隊の中核として戦場に立ち続けるための要素に過ぎない。
タルシス宇宙軍の次なるドクトリンは、高性能なドローン・フライヤーを中心とした自衛戦力の拡充である。『ヴァジュラヤクシャ』に求められる目的とは、最前線から一歩下がって砲撃や指揮管制を行うこと。機動戦能力などおまけに過ぎない。
だからこそ、長距離進攻のための航続距離=推進剤搭載量も抑えられている。
普通に戦う分には顕在化しない問題。しかしカラスと『フェニクス』は、ここまで徹底的に『ヴァジュラヤクシャ』を引き摺りまわした。その影響がついに現れたのだ。
バイキャメラル・システムはその可能性に気づいていた。
だからこその後退案か、とキョウは今更ながら納得した。
しかし反省会は、目の前の敵を倒してからだ。
(確かに……確かに、ヴァジュラヤクシャの推進剤は切れかけているよ!)
だが、それは『フェニクス』も同じこと。アンカーなどを使ってみせて推進剤をケチっていたようだが、そもそもの搭載量は圧倒的にこちらが上なのだ。
こちらの推進剤が切れかけているということは、向こうも危険水準に入っているということ。キョウはとうにBF-03Vのデータを引っ張り出して、推進剤の搭載量とその限界点を突き止めていた。
『敵の推進剤は残っていない! 今のうちにとどめを!』
黄金の装甲に瓦礫を浴びながら、しかし『ヴァジュラヤクシャ』は猛然と駆け出した。ビットロッド・キャノンを折りたたみ、6門のレーザーで確実な勝利を得るべく照準をつける。
そのロックオンサイトを、キョウはホロディスプレイ越しに見ていた。
だから、動けないはずの『フェニクス』がスラスターを輝かせ、飛び来るデブリを掻い潜りながら『ヴァジュラヤクシャ』の懐に滑り込む様を、委細漏らさず目の当たりにした。
「!?」
全ての砲の死角、本来であれば絶対に飛び込まれることのないポジション。
『ヴァジュラヤクシャ』の正面零距離。
そこで『フェニクス』は、明王の首筋に
(馬鹿な……)
キョウは、ひとつ失念していた。
彼女が戦っていた相手はBF03-Vではない。