猛追をかける『ヴァジュラヤクシャ』に対して、カラスは残った全てのデコイを投下。まだ距離的に余裕はあったが心理的にはかなり追い詰められていた。
レーザー斬撃を弾かれるのは、一応想定内だった。事前のシミュレーションでも同様の結果が出ていたからだ。
とはいえ実際目の当たりにすると思った以上に堪えた。ただでさえ気の抜けない相手なうえ、必殺の心づもりで放った攻撃だったのだ。呆気なく無力化されるとさすがに落胆する。
そして今まさに、一太刀浴びせられて怒り狂った金色夜叉が6門のレーザーを連射して追いかけてきていた。
薄い色の光が機体の左右を通り抜けていく。敵の予測射撃を混乱させるためにわざと小刻みに機体を振るが、それでも射撃精度はほとんど落ちない。至近距離ならばなおさら命中率が上がるだろう。
もし実戦であったなら、と埒もない考えがよぎる。
もし実戦であったなら、そもそもあのレーザーの嵐を抜ける際の被弾で深刻な機体ダメージを負っていたかもしれない。あの無茶な突撃は模擬戦だから成立するのだ。
(悔しいが、性能差は圧倒的か……!)
敵はデコイに一瞬だけ反応したが、すぐに標的を再確認した。レーダーのなかで『ヴァジュラヤクシャ』を示す光点がさらに一段階加速する。
だが、その一瞬の隙にカラスは機体を反転。『フェンサー』で牽制射を放ちつつ減速。真後ろからのし掛かるような衝撃が襲う。物理法則に身体を二つ折りにされながら強化筋肉で無理やり姿勢を保ち、減速と回避、牽制を目まぐるしく実行する。
一瞬で急減速することはできない。当初『フェニクス』は秒速11キロという超高速で飛行していたのだ。急に止めると機体が分解する。ましてやカラスに至っては、いくら強化人間といえどミンチになりかねない。
ゆえに、円状の軌道を描いて回避と牽制を行いながら、あえてエネルギーをロスして慣性を殺していく。避けながら減速するというこの状況は、ややもすれば突撃より遥かに難易度が高いかもしれない。
彼我の距離が急速に縮まっていく。『ヴァジュラヤクシャ』は無人機の強みと自機の堅牢な構造をフルに活かして猛加速している。わずか1分足らずで秒速2キロに達し、指数関数的に速度を上げていく。宇宙開発初期の技術者が見たら卒倒しそうな速さであろう。
とはいえ、真横を秒速11キロで飛び去られた『ヴァジュラヤクシャ』は速度が0の状態からスピードを上げていかなければならない。いかにスペック差があろうとこの差はさすがに大きかった。
食らいつかれる直前、『フェニクス』は寸でのところでデブリ帯に飛び込むことに成功していた。相対距離は僅かに30キロメートル程度。向こうも減速していたので何とか間隔は空けていられたが、射撃はかなり正確になっていた。
『何とかここまで来られましたね』
「ああ……胆が冷えた」
デブリを掻い潜って飛びながら、しかしカラスは大きく息を吐いた。減速の疲労が身体にのしかかっている。右手で操縦桿を操りながら、左手でシートの下から飲み物を取り出して口に含む。今の一連の機動で疲れはしたが、それでも飲み物を口にしながら機体をぐるりと一回転させるくらい朝飯前だ。
『船長からの指示に従うなら、ここからが本番ですよ』
「分かっている」
『デブリ質量の測定と指示はこちらで行います。カラスさんは戦闘機動に集中してください』
「了解した」
『あ、それから』
「ん?」
『身体の調子、どうですか? ここまででもかなり負荷が掛かっているはずです。船長の戦い方に従うなら、さっきまでよりも激しいGが掛かると思いますよ。もししんどかったら言ってくださいね』
セレンに気遣われて、初めてカラスは自分の身体のことを意識した。強化人間は負荷に鈍い。兵器としてはそちらの方が都合が良いから、意図的に受容体が鈍化している。
確かにバレット・フライヤーの急加減速は身体に堪える。先ほどの急減速もかなり効いた。
だが、逆に言えば「キツい」と感じたのはそれくらいだ。改装する前のBF-03Vだった頃に比べれば格段に身体への負荷が低い。
より具体的に原因を探るならば、機体の動きがより滑らかになっている。改装以前は、暴力的なまでの勢いで機体を目的の位置に直線的に押し込む、そんな動き方だった。しかし今は曲線を描いて、航空機のように飛ぶようになっている。より生物的で、人間の脳内イメージに沿う飛び方。
スラスターの出力は落ちているが、それはスピードが落ちたことに直結しない。
むしろ不必要なほど消耗していたエネルギーが最適化され、無理なく飛べるようになっている。
そしてそれはパイロットの肉体にも言えることだった。
「……いや、身体的な消耗は低い。まだ全然余裕がある」
『強がりじゃないですよね?』
「こんな時に私情を持ち込んだりはしない」
『あっ、私知ってるんですよ。そういう言い方をする男の子って、いざという時にムキになって自分を見失ったりするんですから』
男の子、と言われてカラスはちょっとだけムッとした。
「出典あるいは根拠を提示しろ。戦闘中に俗説に惑わされるのは御免だ」
デブリをひゅんと避けながらカラスは言い返した。だがセレンも負けていない。プロのテニスプレイヤーのようにすぐに言葉を打ち返してくる。
『マヌエラさんが言ってましたもん。あと、私も経験則で知ってますから』
「……そういうの、女の勘というやつか? 俗説どころか流言だ」
『甘く見てると痛い目見ますよ~……っ! 直下に反応、回避!!』
同時にけたたましくアラートが鳴る。どこを向いて戦っているのだ、と『フェニクス』に叱られた気分だった。
セレンの言葉が届く前、彼女が微かに息を呑んだのが合図だった。それを頼りにカラスは機体を左方向へと転舵。ローリングしつつ、先ほどまで真下だった空間を真上に見上げて、そこに光り輝く『ヴァジュラヤクシャ』の姿を認めた。
ツインアイが威圧的に輝く。機体全体の体積から見れば頭部が占める割合は極めて少ないはずなのに、人の顔に似た目と眼光は不思議と大きな存在感を放っていた。
「もうお前を逃がさない」
金色の巨人に、そう言われたような気がした。
『作戦を実行します。低速度戦開始、特殊マニューバ準備』
「了解した!」
セレンの声は風鈴のように涼やかだった。先ほどまでのふわふわとした物言いは完全に消え失せている。恐らく今頃はモニター全体にせわしなく視線を配り、万全のバックアップ体制を整えているのだろう。
女の勘とやらより、この豹変ぶりの方がよっぽど怖いとカラスは思った。
ちらりと速度計を見る。速度は秒速4キロにまで減速している。まだ速過ぎるぐらいだ。だがここからはデブリという盾がある。それを使いながら、さらに速度を落とさなければならない。
推進剤の量は残り
急加減速した割には上出来の数字。
(船長の計算が正しければ……)
一度乗った船だ。あとはただひたすらに信じてみるしかない。
ギデオンの作戦。
セレンのオペレーション。
そして『フェニクス』の性能と、己の力量。
全てが揃えば必ず勝てる。
「アンカーランチャー起動、目標のナビゲートを頼む」