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第15話:バトル・フェスタ

A.D.2160 1/30 12:37

タルシスⅣ-Ⅱ近傍宙域

封鎖突破船『天燕』 食堂



「おじちゃーん!!」


 宙を飛んできた少女の大声で、それまで厨房で焼肉にかかりきりになっていたギデオンが顔をあげた。


「お、来たな!」


 カウンターから顔を出してハイタッチするついでに、腕に力を込めて慣性を打ち消す。同じことを何度もやってきたが、最近は質量が増えたせいでややしんどくなってきた。


 そんな中年の感慨など知る由もない少女は、乳歯の抜けた口で「キシシ!」と笑っている。


「こらっ、ナディア! ギドおじさん仕事中なんだから邪魔しない!!」


 別の男の子を抱えて追いかけてきたマヌエラが怒鳴った。ナディアと呼ばれた女の子はどこ吹く風だが、クルーの若い男衆は談笑をやめて思わず背筋を伸ばした。ギデオンは苦笑いしつつ、片手をひらひら振って緊張を解くよう促した。


「いいってことよ。ガキのエネルギーはあり過ぎるくらいでちょうど良いんだ」


 な? とナディアに笑いかける。少女は歯抜けの方を一層吊り上げた。


「ったく、子育ての苦労も知らないで」


 とは、マヌエラは言わなかった。


 ギデオンとの付き合いは短くない。今まで独身を貫いてきた彼に子育ての経験などあるはずもないが、家庭環境で相応に苦労を積んだことは知っている。だから余計に家族というものを敬遠している節があると時折感じる。


 そうでなくとも元は軍人、そして今は封鎖突破船の船長である。いつ死んでもおかしくない人間が家庭を持つなど無責任だ。いつだったか、ぽつりとそんなことを言っていたことを思い出した。


(ほんと、複雑なヤツ……)


 色々思った末に、結局マヌエラはため息をつくことしかできなかった。


 そんな彼女の心情も知らず、ギデオンはナディアの背中を押して「そーら、第二宇宙速度だ!」などと言っている。


「さてマヌエラ、今日はサービス日だ。普段閉めっぱなしの酒蔵も開けてるが、どうする?」


「なに? ビール繋いでるの?」


「ペティに任せてあるよ。一杯目は無料だ」


「魅力的だけど遠慮するわ。なにしろこっちも仕事中だからね」


 首に縋り付いてくる小さな手を軽く叩く。長女のナディアが怖いもの知らずなのに対して、長男のバスコはずいぶん引っ込み思案だ。そろそろジュニアスクールが始まる頃合いなのに、こんなに気弱で大丈夫だろうかと心配になる。


「母親ってのも大変だな。気が休まらんだろ」


「そりゃね。でも楽しいし、張りがあって良いもんだよ」


 敵わんな、と笑いつつギデオンは肩を軽くすくめた。


「それよりギド、あんたのとこも大丈夫なの?」


「俺?」


「カラスのことだよ。一週間前……大変だったんだって?」


「あぁ」


 ヴァジュラヤクシャと初めて邂逅した翌日、よもやイム・シウから報告を受けるとは思ってもみなかった。しかもその内容は、カラスがその内面に深い心的外傷を負っているというものだった。


 正確には、今の今まで表出化していなかっただけで、数年前に戦禍に巻き込まれた時からずっと彼の心に残り続けてきたのだ。


 だが、洗脳と強化手術がその記憶に厚く蓋を被せて、痛みを悟らせないようにしてきた。その麻酔が今になって切れかけているのだ。


「ある意味良い傾向かもしれん。洗脳の影響が薄くなっている証拠だからな。だが……俺もコロニーが間近で潰れるのを見たことがある。船に乗っていて、デブリを避けるので手一杯だったが、それでもしばらく夢に出てきたよ」


 内部が円筒になっているコロニーは、構造上どうしても中心部が脆弱になる。まるで踏まれた空き缶のように真ん中から潰れ、その亀裂から液体の代わりに町や人が噴き出していく。宇宙に断末魔の叫びが響き渡ることはないが、ギデオンは無数の黒い鳥の姿として死者の悲鳴を見た。


 しかもカラスは、その光景を内側で見たと言っている。言語に絶する経験であっただろう。


「あいつ、あの日はずいぶん饒舌だったな。俺の過去のことを知りたがって、そうすれば自分も昔のことを思い出すかもしれないと……もしかしたら、寝ている時に脳に残っていた記憶が整理されて、フラッシュバックしたのかもしれん」


「病院、行かせたの?」


「当然だ。だが入院は無理だと。どこもかしこもあいつより酷いPTSD患者で埋まってる。継続して面倒を見てくれるような制度も今のタルシスには無い」


「そう……」


「それに、あいつ自身がこの船に残ることを望んでいる」


「っていうより、BFに乗ることを、でしょ?」


「ともいうな」


「それで結局、予定通りに模擬戦やることになっちゃったってわけか」


 マヌエラの腕のなかの少年が恐る恐るギデオンの顔を見た。ニッと笑いかけると脅えたように母親の胸に顔をうずめた。もう、とマヌエラがぼやいた。


「カラスほど極端じゃなくても良いんだけど、この子ももう少しくらいは男の子らしさを発揮してくれたら良いんだけどねえ」


「なあに、そのうち勝手に飛び立っていくさ。お前が寂しがるくらいにな」


「それって実体験?」


「……だな」


 その時、後ろのトースターから鈴の音が鳴った。


「ちょいとゲストルームまで給仕に行ってくるよ」


 ギデオンは癖っ毛に包まれたバスコの頭を軽く撫でた。少年は母親の身体に一層強くしがみついた。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「本日はご招待いただき、誠に恐縮です」


 封鎖突破船『天燕』のゲストルームにて、書凡はソファに腰掛けた灰色の服の令嬢に深々と頭を下げた。相変わらず研究者らしい恰好をしているが、それは居心地の悪さを打ち消すための虚勢である。彼自身、そう自覚していた。


 数日前に『天燕』のオーナーであるという女性から連絡が入った時はさすがに面食らったが、全く想定していなかったわけではない。書凡もギデオンに喧嘩を売る以上、その背後にいるクェーカーのことは当然調べていた。


 以前から、タルシスⅣ-Ⅱにコロニー社会指折りの影響力を持つ女性がいることは囁かれていた。表面上は小さな孤児院を経営している篤志家といったところだが、その財力や影響力は到底「いいひと」の範疇に収まるものではない。彼女のさらに背後にある、より大きな力を想像させるに足るものだ。


 恭しく首を垂れる書凡に対して、クェーカーは鷹揚に手を差し出して、隣に座るよう促した。もっとも無重力なので椅子の有無に対した意味はないのだが、人を招いたら座らせるという形式主義は22世紀になっても消えていない。


 二人のソファは八の字を描くような形で配置されている。その間に、船外の様子を映し出す巨大なホロディスプレイが立ち現れていた。


「本日はお越しいただきありがとうございます。わたくしのことはどうぞクェーカーとお呼びください」


「船長より伺っております。本名は自分にも教えてくれない、とおっしゃっていましたよ」


「ふふ」


 上品に口元に手を当てながら、クェーカーは笑ってはぐらかした。普段ギデオンもこうして躱されているのだろうなと書凡は思った。


(とことん捉えどころが無いな)


 完全に相手のペースだが、今のところはそれに乗るしかない。そもそも最初に挑戦状を叩きつけたのはこちらなのだ。


 クェーカーもギデオンも、その挑戦状を受けないという選択肢があった。


 だが、それを受けたということは背後に何らかの意図があるということだ。


 そしてこの機会を活かしてそれを達成しようとしている。この招待の意味とはつまりそういうことだろう。


 書凡にも当然拒否する権利はあったが、そうなると今度はクェーカーがどう動くか分からない。自分が感知しえない場所であれこれ探られるのは不気味だった。それなら正々堂々出向いて、彼女のクエスチョンを全て解決した方が手っ取り早い。


 そんな風に考えている彼の隣で、クェーカーは修道服にも似た灰色のドレスを翻しつつ、二人分の容器に茶を注いでいた。書凡は「どうも」と軽く会釈しつつそれを受け取る。宇宙船のなかで使えるよう容器の内側にストローを張りつけたタイプで、表面には地味なアラベスク模様が刻まれている。驚いたことに陶製だった。


「無重力空間だと、こういう味気ない器しか使えませんね」


「いえ、そんな」


 申し訳なさそうにクェーカーは睫毛を伏せた。だが、容器の細い口からは圧倒的な香りが立ち上っている。よほど良い茶葉に違いないと書凡は思った。


「これは……正山小種ラプサンスーチョンですか?」


 吸い口から漂う燻製香は他の茶葉にはないものだ。伝統的な中国茶で、紅茶の茶葉を松の葉で燻したものである。ダージリンやアッサムなどに比べて一般的ではないが、根強い人気がある。少なくとも戦争が始まるまでは、いくらか金を払えば普通に手に入ったものだ。


 書凡が言い当てると、途端にクェーカーは顔を輝かせた。「分かりますか?」と少し得意げである。初めて素の表情を覗かせたのではないかと書凡は思った。


「昔は我が家でもよく飲んでいました。いやぁ、懐かしいな……」


 紅茶のような奢侈品が手に入らなくなって久しい。あまりリラックスできる環境ではないが、それでもこれは素直に嬉しかった。


「お気に召していただけたようで嬉しいですわ。そろそろ茶菓の方も届く頃かと」


 クェーカーが言うのとほぼ同時にゲストルームのドアが開き、エプロンをつけたギデオンが入ってきた。


「オーナー殿、ご注文の品をお持ちしましたよ」


「まあ! 楽しみにしてましたの!」


 クェーカーはギデオンの右手に乗ったステンレス製のドームカバーを見て、少女のように目を輝かせている。ギデオンはいつもより少々恭しい仕草でドームカバーを取り上げた。



 果たしてカバーが取り払われた皿のうえには、真っ黒なタール状の調味料がはみ出たサンドイッチが載っていた。



「……えっと。これは?」


「「マーマイトサンドです」」


 普段あまり反りの合わない船主と船長が、声を揃えて言った。


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