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第14話:二進法の友人

A.D.2160 1/23 01:31

タルシスⅣ-Ⅱ

兵器開発局第3開発課 ヴァジュラヤクシャ専用格納庫



 仮眠室から戻ってきた書凡を金色の巨人機が迎えた。薄暗いスポットライトに照らされて浮かび上がる『ヴァジュラヤクシャ』は、姿だけはタルシスの守り神に見える。


 よもや、昨日の昼間に暴走しかけたとは、今の佇まいからは想像もできない。


「キョウ君、エラーの原因は分かったのかい?」


 宙に浮かぶ翻訳機に向かって書凡は声をかけた。ふわぁとあくびをしつつ、眠気覚ましに淹れたコーヒーを啜る。もちろん本物の豆から作ったものではなく、よく似た風味がする代用品だ。カフェインだけはしっかり入っているので問題は無いが、やはり味気なかった。


 彼が呼びかけた相手は、眠気など無いかのように鬼気迫る表情でホロディスプレイに向き合っていた。高速で過去のログや機体本体のOSを流し読みしつつ、機体に生じた異常を調べている。


 それでも疲労の色は隠しきれていない。普段は丁寧に梳かされている黒い髪が、今はところどころ外側に跳ねていた。長い間ディスプレイと格闘していたせいで目は真っ赤に充血している。


 そんな状態にも関わらず、瞬きすることを忘れたかのように仕事に打ち込んでいるのは、もはや執念というほかないだろう。


(……彼女の方が、そりゃあよっぽど危機感感じるよなぁ)


 ある意味キョウ・アサクラという技術者は、今のタルシス宇宙軍で最もリアルに「戦争」を感じている人間かもしれない。否、実戦の真っ只中にあると言っても、彼女にとっては過言ではないのだろう。


 何しろ彼女は『バジュラヤクシャ』の開発を通して、コロニーの全ての障がい者の人生を背負う覚悟なのだから。


 歴史上、戦争によって国家内の弱者が間引かれた例は枚挙にいとまがない。


 人類の倫理学は古代に比べて遥かに発展したが、戦争という特殊状況は簡単に社会を野蛮化させる。その野蛮さによって真っ先に餌食にされるのは、国家の内側の弱者なのだ。


 停戦によってタルシスが直接の戦禍に曝されなくなったと言っても、未だに社会の復興は成っておらず、ハンディのある人々の立場は依然低いままである。もとより歴史の浅い国であるだけに福祉政策も立法も十分ではなく、戦後の最優先課題である生活保護や児童福祉、傷痍軍人救済すらまともに整備されていない。


 もし、コロニーの生産体制に何らかの事故が発生した場合、自分たちのような人間は真っ先に配給から締め出されるのではないか……その不安や恐怖は決して妄想などではない。


 キョウ・アサクラにとって、今こそまさに戦時下なのだ。


『ヴァジュラヤクシャは、いや、バイキャメラル・システムは異常作動なんかしていません。ちゃんとプログラム通りに動きました』


「そうだね。素直過ぎるくらい素直に動いてくれた。だから同じコロニーの仲間を撃墜しろという指令にも、しっかり従ったわけだ」


『さっき、バイキャメラル・システムのプロンプトログに入れた覚えの無い指示を見つけました。たぶん、ヴァジュラヤクシャの暴走の原因はそれです』


「そんなの、一目見れば分かるんじゃない? なんで時間掛かったの?」


『相当悪辣だったからですよ。


 問題のプロンプトが入力されたのは今から半年前。かなり初期の段階での仕込みです。しかも、この時点の条件入力だけを見ると、とても同士討ちを仕向けるような指示には見えない』


「高脅威目標の優先排除……まあ兵器に教えるなら妥当な指示だね」


『ええ。でも、これってプロンプトとしては失格なんです。高脅威の目標が何を指すのか、具体的な指示が何も無い。人間だって、こんなふわっとした指示を出されたら混乱しますよ。だからシステム自体もこの指示の優先度を下げて眠らせていたんです。それでいて、指示の重要度自体は高く設定してあるから自動消去にも引っかからない』


「半年前となると、ちょうど機体の組み立てが始まった頃か。確かに実戦なんてまだ想定してないような時期だね……成程、それで今回、実際にBFという脅威になりそうな存在を目にしたことで、眠ったままだったプロンプトが急遽復活したわけか」


 書凡は脂を吸って固くなった髪をガシガシと掻いた。平の技術者だった頃から頭を悩ませると自然と行ってしまう癖だった。


 半年前はまだヴァジュラヤクシャを動かせるかどうかという段階であり、そもそも対抗勢力の存在を考える必要が無かった。



(……だが、の方は最初から本気だったというわけか)



 書凡は軍属ではあるが戦術家ではない。戦いのプロが最初から相手を出し抜く想定で組み上げた策に対して、有効な手立てなどあるはずもなかった。全て後手番に回らざるを得ない。


 だからこそ、見えない敵に拳を振り上げるより、目に見える相手を倒して実績を積む策を思いついた。フェニクス、いや、ギデオンとの模擬戦がそれだ。模擬戦そのものは勝って当然。その後に、戦争の英雄であるギデオンを倒したという実績でもって、対抗勢力に一気に優位をとる心算だった。


 その矢先に、この暴走事故である。


 大事に至る直前でキョウがコントロールを取り戻したため、取り繕うだけの余裕ができた。事実バイキャメラル・システムが未だ不完全な代物であるため、誤作動を起こしたというギデオンへの説明も全くの嘘ではない。


「しかし、今回はまんまとしてやられたな」


『半分は我々のミスでもあります。艤装前とはいえ、不自然なプロンプトはその時点で潰しておくべきでした』


「半年前だろ? 正直、そんな時期から悪意を向けられているなんて思っちゃいなかった。第一こっちは機体制御におおわらわだったからね。戦闘方面の調整はどうしても武装を積んだり試運転をしてからになる。まったく……やってくれるよ」


『課長、機体の調整もシステムチェックも万全にやります。だから』


「模擬戦、やめる気はないよ」


 キョウが顔を上げた。直接上司の顔を見つめている。


「僕は技術者としては凡庸だけど、この機体が今後のタルシスにとってどれくらい重要かは分かる。本気を出したヴァジュラヤクシャは一騎当千だ。地球だってまともに戦いたくなくなる。そうすれば、この長い戦争もようやくちゃんとした形で終われる。そして、戦いに向けている分のマンパワーを全ての社会復興のためにつぎ込むんだ。こいつにはただの兵器以上の意味がある」


 普段はペコペコと頭を下げてばかりの上司だが、それだけにこの断言は心強いとキョウは思った。


『……私も全力を尽くします。何か横やりが入っても、絶対にこの子を守り切って見せます』


 キョウの頭のなかに、対戦相手であるカラスとフェニクスのことは勘定されていなかった。03タイプはすでに旧型と化しており、しかも非正規品で修復している。本来のスペックなど出せるはずもなく、仮に出せたとしても次世代機の高性能機である『ヴァジュラヤクシャ』との性能差は歴然だ。


 自分たちが戦うべき相手は、その先にいるのだ。


(悪いけど、絶対に勝たせてもらうよ)


 少年の顔を思い出しつつ、キョウは胸の内でひとりごちた。


「それにしても、こいつのAIがもう少し賢かったらなぁ。プロンプトなんて面倒なことをしなくても、いや、そもそも悪意のある第三者に騙されるようなこともないだろうに」


『カルナバル・イヴから100年も経ってるのに、まだ言ってるんですか?』


「だってさあ、夢みたいじゃない? 自分で物を考えて、人以上に人として思考する機械なんて」


『人間に御しきれると思えませんが』


「人より賢くなった機械なら、そんな人間たちを上手いことフォローしてくれるはずさ。その段階まで進化すれば人間をメタ視線で見られる。人の良いところも悪いところも、全て彼らは包括的に勘定してくれるだろうさ」


『真のメタ視点というなら、それこそ人間だけが作ったネットワークを餌にするAIには到達できないでしょうね』


「……そう。さほどに超越的知性の実現は難しい。だから夢みたいだって言ったんだよ」


『夢、か』


 キョウは顎に手を当てて目を閉じた。あと二秒そうしていたら睡魔に囚われていたかもしれない。その前に、脳の奥にしまった知識を引き出すことに成功した。


『課長、カルナバル・イヴ当時、暴走するAIに技術者たちがたずねた有名な質問があるんですけど、知ってます?』


 目の端に涙を浮かべながら、悪戯っぽい顔でキョウは訊ねた。息抜きがてら、物知り顔でトリビアを披露したくなった。


「もちろん知ってるよ。有名な話だ。曰く、人間の作ったネットワークが閉じられた世界だとすれば、開かれた世界とはどこにあるのか、と」


 さすがに知っているか、とキョウは思った。落胆はしない。AIの開発に多少なりとも関わっている人間は皆知っている問答だ。


 人が作った人だけのためのネットワークは、人の意識や能力、認識力を超越することはできない。人から産まれるものはどこまでいっても人の想像力の枠を抜け出せない。


 だから、開かれた世界はどこにあると問われて、当時のコンピューターはこう答えた。



 遥か彼方、別の宇宙にあると。



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