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第11話:戦う理由、勝ちたい理由。

 ギデオンにとって食事とは、生き延びる理由そのものである。


 開戦前からすでにタルシスの食糧事情は悪化の一途を辿っていたが、それでもまだ美味いものにはありつけた。


 特に、保安学校でテーブルマナー習得の一環として供されたグランド・キュイジーヌは忘れられない。最後のステーキは硬い赤身肉で、上にかけられたトリュフソースも恐らくは合成調味料だったはずだが、そんなことはどうでも良かった。


 思えばあれも士官教育のカリキュラムに含まれていたのだろう。


 もう一度食べてみたいとは思うが、流石に毎食そうであって欲しいとは思わない。しかしともかく、食事は美味でなければならない。たとえどれほど劣悪な食材であろうと、少しでも美味しく食べられるように工夫する。


(最悪ケチャップかマーマイトかけりゃあ何でも美味い)


 最終的にそう結論づけられるのだが、生憎食料品店にマーマイトは置いていなかった。


「何故置かない……」


 タルシス経済の謎を思いながら、しかし想定済みの事態だったのですぐに気持ちを切り替える。公営ビール工場にはツテがあるので、そちらから廃材を貰えば良い。いつもタダ同然で譲ってくれる。何故か警備員同行の上での引き渡しなのが腑に落ちないが、マーマイトが作れるなら何でもいい。


「船長、ケチャップを発見した……大丈夫か?」


 マーマイトに意識を吸われていたギデオンは、ふと我に返った。ケチャップの入った紙パックを手に、カラスが怪訝そうな顔で立っていた。


「お、おお……」


 彼らしくない、気の抜けた声が出た。


「必要なものは確保した」


「よし……じゃ、帰るか」


 ギデオンが居座っていた調味料コーナーは何故かがらんとしていたが、もとより店内は大入満員とはほど遠い有様だった。


 カーゴを押して歩いている人々の顔にも生気はない。停戦前からすでに市民の負担は限界に達しており、公営店で払う費用すら満足に捻出できない。それでもここに来るのは、闇市で買うよりいくらか安く、一応は安全だからだ。


 公営店で売られている物自体の品質は、闇市で流通しているものと大きく差があるわけではない。


 商品にしてもマーマイトはともかく、より万人向けの調味料さえ数がまばらだった。食塩や砂糖には一人当たりの購入量に制限が課されており、買い溜めることはできないようになっている。むしろ制限されていない物の方が珍しい。


 全体的にモノトーンの簡素な色調で統一された店内にあって、各商品のパッケージだけは奇妙なほどけばけばしい。その虚勢じみた小細工が余計に購買意欲を削ぐ。


 ギデオンに引き取られ『天燕』で生活を始めてから、カラスも何度か公営店を使っている。できるだけ闇市には行くなと言われていた。封鎖突破船が地球から運んできた物資も売られているが、法外な値がつけられている。


 仕事の危険さに見合う価格と言われればそれまでだが、出所を誤魔化すなど簡単なことだ。特に肉類など、良くて鼠肉混入、最悪の場合遺体安置所が産地……という話が実しやかに囁かれていた。


 噂など所詮噂に過ぎない。たいていは根も葉もない作り話だ。


 しかし、本当に根も葉も無いかというと、そうとも言い切れない。


 それが戦後のコロニー社会だった。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 カラスの今の住所は、宇宙港の港湾労働者や船員たちの組合が建てた寮である。彼だけでなく『天燕』の若い男衆は大体ここに居を構えている。コロニーの壁にぺたりと張りつくように建っており、住宅というより穴倉と表現した方が良さそうな外観だ。


 実際、一人当たりの部屋は個室というより洞穴のようで、節水の観点からシャワーもトイレも共用である。申し訳程度に炊事スペースがあるが、そこで作れるものと言えば良くてカップ麺程度だろう。


 そういうわけで、人間らしい食事がしたいなら必然的に一階の共用厨房で作ることになる。


 そして、港湾労働者や船員のなかに夕食を自炊しようという殊勝な男はほぼ皆無であるため、厨房はいつもがらんとしていた。ちょうどカラスとギデオンが入った時も、厨房は静まり返っていた。


「押しこんどいてなんだが、落ち着いたらもっと良いとこに住めよ」


 買ってきた食材を調理台に並べながらギデオンが言った。いつも使っている紺色のエプロンが無いので、仕方なく厨房備え付けのものをつけている。古い汚れがこびりついていて、思わず「うえっ」と呻いてしまった。「これ、今度洗っといてやれ」とカラスに言いつけると、少年はこくんと頷いた。


「今でも不自由はしていない」


「若い間はみんなそう言うんだよ。若かろうがおっさんだろうが疲れは溜まるし、楽ができる環境でないとろくに回復もしない。素直に言うこと聞いとけ」


「了解した」


 ちょうど夕食時ということもあって、ギデオンもここで適当に作って食べるつもりだった。とはいえ手取り足取りすべて段取りをつけてやるのも億劫なので、大雑把な指示だけ出して、あとはパック米をレンジに放り込みボタンを押すだけにとどめた。


 どっかりと食堂の椅子に座り込み、セクレタリー・バンドを立ち上げてウェブページを漁る。信頼できる軍事系ジャーナルを選び、例の機体についての記事を探してみた。ここでいう信頼とは、情報の出所が明確であるか、記事の主観がどの程度排されているかである。兄の書いていたものはどの水準で見ても最低どころか、有害でさえあったというのがギデオンの評価だった。そして今後もその見方が覆ることはありえないだろう。


 書凡の言っていた通り、ジャーナルを漁っていると確かに例のヴァジュラヤクシャについての記事は3、4件ほど出ていた。中にはかなり突っ込んで性能諸元まで書いているものもある。とはいえそれも実機が完成する前の目標数値なので、今のヴァジュラヤクシャが本当に理想通りの性能なのか、あるいはそれ以下なのかは分からない。


 だが、実際に動いているところを目の当たりにしてみると、機体そのものには何の問題もなさそうだ。少なくともギデオンはスペック面での問題を認められなかった。先ほどの接触時、真下に潜りこんでコロニーの沖を目指した『フェニクス』にあっさりと追いついている。加速力はもとより旋回性能も優れている証左だ。


 それを可能としているのは、あの4本の脚だろう。旋回だけでなく急制動にも使うことができる。推力ベクトルを集中させれば無論加速力も向上する。


 兵器としての弱点を見るならば整備性に難ありといったところか。


(それから……)


 もうひとつ弱点を思いついた時、カラスが厨房から声をあげた。


「船長、玉ねぎで涙が出る」


「キッチンペーパー丸めて鼻に突っ込んどけ」


「了解した」


 気を取り直して、紙面に戻る。


 あとは武装の性能だ。ジャーナルを読んでいると、今日見た武装以外にも様々なオプションを並行して開発中とあった。これからのタルシス宇宙軍の中核を担う機体になるのだ。様々な用途を想定するのは当然だろう。


 例えばカラスが搭乗している『フェニクス』ことBF―03Vだが、形式番号にある「V」とはVanguardすなわち前衛機を意味する。文字通り戦場で先陣を切るための仕様であり、推力や運動性、武装が満遍なく強化されている。他にも03Sや03Bがかつて存在しており、それぞれ偵察と爆撃を請け負っていた。


 ヴァジュラヤクシャはかなりハイエンドな機体ではあるが、運用面においてはかなり融通が利くとギデオンは見た。そもそもパワーがあるためペイロードは十二分に備えている。どんな任務にも耐えうる万能機と言えるだろう。


(こちらは弱点無し、か)


 ふとギデオンは、自分がずいぶん熱心にヴァジュラヤクシャの倒し方を考えてしまっていることに気づいた。


 軍の主力がDFに移っていくのは彼としても喜ばしいことだ。成り行き上仕方なく『フェニクス』を運用しているが、カラスが降りたいと意思表明すればすぐにでも叶えてやるつもりだった。バレット・フライヤーなど存在してはならないと今でも思っている。


 そう考えているにも関わらず、戦う相手が現れると癖のように倒す方法を考えてしまう。まだ自分から軍人気質が抜けていないのかと思った。


(……いや、俺は昔からこうだったな)


 職歴のせいにするわけにはいかない。ギデオンは自嘲した。


「なあ、カラス」


 ランチョンミートをスプーンで潰しているカラスに呼びかける。よほど集中していたのか、返事がいつもより一拍遅れた。


「何だ船長」


「お前、模擬戦勝ちたいか?」


 ガコガコとボウルを鳴らしていた音が止んだ。カラスがぐるりと首を後ろに向けた。相変わらずロボットみたいな動きをするなとギデオンは思った。


 だが、カラスは明らかに逡巡していた。ロボットでは持ち得ない迷いが顔に出ていた。


「……」


「何が引っ掛かってる」


 促されて、カラスは鼻から小さく息を吐こうとしたが、キッチンペーパーを詰めていたので不発に終わった。気まずそうにひとつ咳払いをつく。


「自分には……キョウ・アサクラが持っているような、戦う理由が無い。あの人には自分と戦って勝つ意味があるが、自分があの人に勝つメリットも理由も無い」


「何だよ、勝ちを譲ってやるってのか?」


「そういうわけではない。だが……船長、貴方の話を聞いてて思った。自分がBFに乗っていることには何の理由付けも無い。乗ろうと決めた時にはあったかもしれないが、それは忘れた。そんな自分がBFに乗るのは……何と言うか……そう、無責任だと思った……」


 カラスの言葉は段々と尻すぼみになっていった。


 それを吹き飛ばすかのように、ギデオンは大声で笑った。ぎょっとしたようにカラスが上体を反らせた。


「笑うようなことか?」


 憮然とした顔で少年が言う。


「そりゃあ笑うさ。自分を道具だと言って船に乗り込んできた奴が、そんな馬鹿真面目な悩みを抱えてるんだからな」


「馬鹿」


「お前、つくづくターミネーターの才能が欠けてるよ」


 だからこそ帰ってこられた・・・・・・・のだろうとギデオンは思う。


「カラス、お前の馬鹿真面目さは大事だが、今は脇に置いてて良いんじゃないか? 俺に言っただろ。フェニクスは過去のお前と今のお前を結ぶ繋がりだと。それは、あのキョウとかいう技術者のバックボーンより軽いものなのか?」


「……」


「お前はそれを認めたいのか?」


「……いや」


 やっと本心を言いやがったな、とギデオンは独り言ちた。


「お前の言いたいことは分かるよ。良い傾向だと思う。だが、譲らなくていい場面で譲ってやる必要は無いし、戦う前から負けるつもりで飛ぶんじゃフェニクスが可哀そうだ。あれはお前の愛機なんだろ? だったら、やれるだけのことをとことんやれば良い。それがパイロットってものだ」


「パイロット、か」


「それ以外の何だってんだよ」


「それは……いや、確かに船長の言う通りだ」


「俺はバレット・フライヤーなぞ消えれば良いと思っている。あれは人間が今まで作ってきたあらゆる戦闘機のなかで最悪の忌み子だ。だがお前にとってそうでないなら、プライドを賭けて戦ってみたら良い。レシプロ時代のパイロット達のようにな」


 カラスは少しほっとしたような、それでいて呆れたような表情を浮かべた。


「フェニクスはそこまで古びれていない」


「ああ。だからやりようはある。お前に勝つ気があるならいくつか策を授けてやろう」


「策?」


「開発局の奴らに喧嘩を売られたのは、お前らだけじゃないってことさ」


 首を傾げるカラスに向かって、ギデオンは悪戯っぽくウィンクを飛ばした。


「前から気になっていたが、船長はどうしてそこまでBFを知っているんだ」


 いつかは聞かれるだろうと思っていたが、今来たか。ギデオンは内心嘆息した。カラスより、自分に向けた溜め息だった。彼が自分とBFの繋がりを気にするのは当然の帰結だ。


「……縁があったからさ。嫌な縁が、な。落ち着いたらいつか話してやるよ」


 ずるい大人の躱し方だと自覚はしていた。


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