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第8話:キョウ・アサクラ

A.D.2160 1/22 15:12

タルシスⅣ-Ⅱ

ドレーゼ工房 格納庫



 帰投したカラスは『フェニクス』のチェックリストの再確認を行っていた。コクピットのディスプレイに表示される様々な情報を両目の義眼で拾い、異常が無いか調べていく。


 本来なら短時間で終わるはずの作業だった。機体の調整は完璧に近く、試運転をした限りでは違和感は全く無かった。


 だが、唐突に出現したあの金色のDFによって、無理やり戦闘機動をする羽目になってしまった。こうなるとチェックも念入りに行わなければならない。


(あいつ、あの機体……)


 作業を進めながら、どうしても先ほどの一件が頭に浮かんでくる。


 ギデオンから模擬戦の話をされた直後の出来事だった。


 カラスにも予感はあった。あの派手でふざけた金色塗装の機体こそ、その模擬戦の相手であろうと。


 正直なところ、機体性能では全く勝ち目がない。パイロットとしての直感など持ち出すまでも無く、純粋にパワーに差があり過ぎる。チェイスの終盤、カラスはコロニーへの被害を避けるために出ようとしていたが、出たところで有利になる要素は全くない。直線推力では完敗しているのであっさり追いつかれただろう。障害物のある空間の方が小回りを利かせて立ち回れたはずだ。


 それにもし武装があったとしても、倒せるかは微妙なところと言わざるを得ない。


宇宙空間での戦闘は基本的に最初の一発を当てた側が勝者となる。ミサイルやレールガンの直撃に耐えられる機体など存在しない。


 しかし一方で、破壊力に優れた装備は命中性に難がある。ミサイルでは縦横無尽に動き回るBFやDFに振り回されて推進剤を消費する結果となりかねない。レールガンに至っては連射がきかず弾速も遅いため回避されるのが目に見えている。プラズマキャノンに至っては使ったら動けなくなるため論外だ。


 そうなると必然的にレーザーしか有効打を与えられないということになる。


 だが、仮にも兵器として造られたものが、あんな派手なコーティングをしている理由など一つしか考えられない。すなわちレーザー攻撃に対抗するためのコーティングではないかとカラスは見ていた。


 実際、戦場にいた頃に一部の機体に同じようなコーティングが施されているのを見たことがある。さすがにあそこまで輝いてはおらず、塗装箇所も限定されていたが、一度ならず敵のレーザー機銃を無効化していた。


 あの機体のコーティングが過去の機体以上に高性能化しているとすれば、ますます『フェニクス』で倒す手段は限られてしまう。こちらの攻撃は防がれるが、相手は好き放題にレーザーを連射できるのだ。


「あれと戦って、勝たなきゃいけないのか」


 カラスはそう思い詰めていたが、別に勝利が必要なわけではない。相手方から求められているのは実戦形式の場で機体の性能を図ることなのだ。『フェニクス』で勝てるかどうかはカラスのこだわりでしかない。


 それでも、どうしても勝つつもりになってしまう。


 そんな風に考えている自分が不思議に思えた。


「……チェック終了」


 宣言と同時に次々とウィンドウが消えていく。機体の火が消えたのを確認したから、カラスはハッチを開けた。


 すぐ外に、ドクターコートを着た女性が浮かんでいた。


 コロニーの人間はたいてい色白だが、彼女の顔は輪をかけて白かった。顔が小さく鼻筋は人形のように整っている。銀色のバレッタでまとめられた黒い艶やかな髪が腰のあたりまで流れていた。少し背は高いようだが、顔つきや肌の色から自分と同じ東洋系の人間だとカラスは見て取った。


 カラスはふと違和感を覚えた。機体のハッチが開く際にはそれなりに大きな音が鳴っている。だが、その女性はじっと『フェニクス』の頭を見上げたままで、ハッチが開いたことに気づいていないようだった。


「何を見ている」


 声をかける。だが反応は無い。女性は細い顎に手を当てて何度か首を捻っている。


 カラスはハッチから身を乗り出してもう一度声をかけた。それでようやく女性は彼の方を見た。


「工房の関係者か?」


 彼の言葉に対して女性は何も口にしなかった。代わりに、二つの仕草をした。


 一つは、右手の甲をカラスに向けて、そのまま肩の後ろに振る仕草。


 続けて、その右手の親指と人差し指を合わせて額につけ、開きながら前に振る仕草。


 一連の動作はあまりに素早く、カラスの目にはひとつながりの動きに見えた。ただ、彼女の整った顔には申し訳なさそうな色が浮かんでいる。しかしその表情と仕草の意味を結び付けられず余計に混乱した。


 意味不明の動作は続く。女性はまくし立てるように手の動きを加速させた。ようやくカラスはそれが手話であることに気づいた。彼女が聾者であることも。


「ま、待ってくれ。何を言っているか分からない!」


 気づけば彼自身、自分の胸の前で指をわきわきと動かしていた。だが手話の単語などひとつも知らない。いきなり目の前に現れた別言語に翻弄されて、カラスはあまり体験したことのない種類の焦りを覚えた。


 カラスの放った言葉は全く届かなかったが、表情や雰囲気は十分に伝わったのだろう。彼女の方でもようやくそれに気づいた。


 ドクターコートのポケットに手を突っ込み、テニスボールほどの球体を取り出す。電源を入れるとプロペラのついたシャフトが飛び出し、ちょうど二人の間の位置までふわふわと漂ってきた。


 そのボールのカメラに向かって、女性は手話を振った。スピーカーがそれを音声に変換して出力した。



『さっきはびっくりさせてごめんね。


 わたしの名前はキョウ。よろしくっ』



 スピーカーから出てくる音声には聞き覚えがあった。あの金色の機体から送られてきた通信と全く同じ声音だった。


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