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第6話:テクノクラート

A.D.2160 1/22 14:40

タルシスⅣ-Ⅱ

ドレーゼ工房 事務室



「誠にッ! 申し訳ございませんでしたァ……っ!!」


 ロックオン騒ぎの直後に工房へ飛びこんできた男は、開口一番に謝罪の言葉を発して深々と頭を下げた。下げる勢いが強すぎて靴の磁力が負け、腰を曲げたまま宙に浮かびかけた。


「あぁ、うん、まあ……」


 ギデオンは、言葉に窮した。


 実弾が入っていないとはいえ戦艦をまとめて2、3隻ぶち抜きそうなレールガンの照準を向けられた挙句、コロニーの至近距離で追いかけっこをさせられたカラスには流石に同情する。先方のしでかしたことのうち、ひとつ取り上げただけでも十分強請りの種になるだろう。



「ふざけやがって! やって良い冗談と悪い冗談の区別もつかねえのか!!」



 通信が繋がるなりギデオンはそう怒鳴りつけてやるつもりでいたが、彼が息を吸い込むより先に「すみません!」の連呼が鼓膜を殴りつけてきた。


 ごめんなさいで済むような出来事ではないのだが、相手の謝罪の必死さはギデオンの怒りの上を行っていた。あまつさえすぐにお詫びに伺うとまで言われてしまい、怒る出鼻を挫かれてしまった。


 こちらの怒り具合を、せめて態度だけでも示しておくべきだと思い、ドレーゼの事務室で憮然としたまま脚を組んでいたのだが、入ってきた相手はこちらの顔を見るよりも早く頭を下げた。


(こいつ、相当謝り慣れてやがる……)


 腰より低く頭を下げた男の、細い白髪に覆われた旋毛つむじを見下ろして、ギデオンは怒鳴る気も失せていた。いっそ哀れとさえ思った。


 見たところ年齢は40前後だろう。それにしても、過労と苦労のせいで髪はほとんど白くなっている。一瞬だけ見えた口元は口角炎で荒れていた。皺も多い。


 ギデオン自身、今年で36になる。もはや中年としか言いようのない歳だが、目の前の人物に比べれば遥かに若々しく見えることだろうと思った。


「ぼちぼち良いだろ、ギド。話が前に進まん」


 腕を組んだドレーゼが、節張った指を苛立たしげに動かしながら言った。一応は仲裁役としてここにいてくれているのだが、今やギデオンよりも機嫌が悪そうだった。


「父つぁんの言う通りだ。いいから頭を上げてくれ」


「はあ。いや、もう本当に申し訳なく……あっ、申し遅れました。わたくし、タルシス宇宙軍兵器開発局第三開発課長のシュファンと申します」


 さっと取り出された名刺を受け取りつつ、ギデオンは素早く相手の恰好を観察した。紺を基調とした宇宙軍の制服の上に白いドクターコートを着ている。ところどころ油の汚れが飛んでいたが、クリーニングに出す余裕も無いのか、あるいは単に面倒なだけなのか、そこまでは読み取れなかった。


「軍属さんか」


「ええ。根城は宇宙軍ですが、階級はありません。分かりますか?」


「そりゃあそんな妙な着こなしをしていればな……ギデオン・ブランチャードだ。よろしく」


 ギデオンの名前を聞いた途端、書凡の朴訥とした顔に緊張が走った。


「ブランチャード……なるほど、民間で03Vを所持している船長がいるとは聞いていましたが、色々と合点がいきました」


「正確にはオーナー殿の持ち物だ。俺はただ預けられているだけさ」


「謙遜ですね。私は裏方ですが、それだけにBFの運用データは人並み以上に見てきたつもりです。貴方ほど上手くあの兵器を扱った指揮官はいなかった。ぜひ……」


「ありがとう」


 ギデオンが差し出した手を、書凡は特に何も考えず握り返した。


 船乗りは、特に力を込めていたわけではない。


 だがその握手の手触りは、月の裏側の大地よりも冷え冷えとしていた。


「その話は、その辺で」


 長身のギデオンは少し腰を曲げて書凡の顔を見ていた。コロニー生まれの書は猛獣というものを実際に見たことがない。だが、その時のギデオンの目つきは、密林に潜む虎を連想させた。口調は穏やかだが、目にも口元にも、およそ感情らしい感情が浮かんでいなかった。


「ギド」


「……失敬。褒められると照れる性質タチでね。勘弁してくれ」


「あ、ええ、へへ……」


 じっとりと冷や汗の浮いた手を引きながら、書は愛想笑いを浮かべた。


(おっかねえ)


 そう思わずにはいられなかったが、口には出さなかった。


「前置きはこのあたりにしておこうか。あんたらだろ、俺たちに模擬戦の依頼を出してきたのは」


「ええ、まさかこういう形でご挨拶することになるとは思いませんでした」


「俺もだよ。で、何で軍の試作機がいきなりロックを向けてきたんだ? 出すところに出せば大騒ぎになるぞ」


「はあ。もちろんその点につきましては、私共としましても大変重く受け止めており……」


「で。その原因だよ。何だったんだ?」


 有無を言わさぬ口調でギデオンは問い詰めた。これ以上謝罪を続けられるとさすがに鬱陶しい。


「恥を晒すようですが、機体のシステムの誤作動としか申し上げようがありません」


 書凡はしゃあしゃあと言ってのけた。


「誤作動だと?」


「はい。『ヴァジュラヤクシャ』の中枢系には、我々が新たに開発した新機軸の機構を搭載しています。バイキャメラル・システムと名づけました」


 書はバンドを操作して、空中にホロディスプレイを表示させた。簡略化された説明がアニメーションの形式で流されている。


「釈迦に説法かとは存じますが、ドローン・フライヤーの制御はAIによって行われています。単純なコマンドであれば有人機以上の精度で行えますが、状況が複雑になるにつれ、AIでは自己解決できず結果的にパフォーマンスを下げてしまう」


 アニメーションのなかで、デフォルメ化された『ヴァジュラヤクシャ』が目を回していた。


「パフォーマンス低下の閾値、すなわちDED境界値に到達してしまうと、DFの機動は単調化してしまう。これを防ぐために編み出したのがバイキャメラル・システムです。具体的には、機体制御を行っているAIの思考をリアルタイムで観測し、DED境界値付近で人間の側から機械に適切なプロンプトを行う。この仕組みそのものと、その専用機材をひっくるめたものが、『ヴァジュラヤクシャ』に搭載されているのです」


「バイキャメラル……人間と機械の二院制か」


「どちらかというと二分心の方です」


「二分心?」


 ギデオンは思わず聞き返した。Bicameralという単語にそのような意味が付与されているとは知らなかった。


「ジュリアン・ジェインズという人が提唱した、古代人類の意識についての仮説ですよ。曰く、今から3000年ほど前まで人間には意識というものがなく、頭のなかに聞こえてくる神々の声を頼りに思考していたという論です」


「馬鹿々々しい。『イリアス』も『旧約聖書』も、その神様たちの御託宣だって言うのか?」


「ジェインズはそう書いています……それが本当かどうかは別として、我々人間がAIに接する時、AIから我々はどう見えているのか。彼らが生きているのは、極めて閉鎖的な世界です。対話型AIが人間と会話をしていても、それは目の前に降ってきた言葉に対して機械的に反応しているに過ぎない。しかし我々の生きているこの空間、三次元の世界はより複雑だ。そして、この三次元世界を生きていくのに必要なセンサーと感性を、AIはついに持ちえなかった。だから戦場という複雑性の極みのような空間で、最適の行動がとれなくなるのです」


 早口でまくし立てる書凡に若干気圧されながら、しかしギデオンは少し興味をそそられていた。哲学を生き甲斐にするタイプの男ではないが、観念的な話は決して嫌いではない。


 もしそういうことに興味の無い性質であったならば、ギーグのおしゃべりに耐えきれず殴って止めさせていただろう。


「……まあ要するに、あんたらの造った機体はある程度自立して動ける。ただし状況の複雑さには耐えきれないから、パニックを起こす寸前で人間の側から神託を授ける。こういう仕組みなんだろ?」


「まさにその通りです」


「はっきり言って回りくどいな。兵器は使い勝手が全てだ。そのバイキャメラル・システムとやらにはAIの思考を先回りできるオペレーターが必要なんだろ? まともに運用できるとは思えない」


「仰る通りです。『ヴァジュラヤクシャ』は機体そのものも高価ですが、それ以上に専属オペレーターの存在が必要不可欠なのです」


 しかし、と書凡は言葉を区切った。


「貴方には失礼かもしれませんが、我々が提示するこの機体とシステムは、バレット・フライヤーに比べてはるかに人道的です。つまりはパイロットをオペレーターに置き換え、より生存率の高い運用体制を構築する。実際の戦場に人間が出て戦う必要は、もう無いのではないでしょうか」


 ああそういうことか、と腑に落ちた。


 ドローン・フライヤーでありながら専属のオペレーターを必要とする『ヴァジュラヤクシャ』は、今までのタルシス宇宙軍の編成から見ればかなりの異端である。とてもではないが戦列には組み込めない。


 しかし、パイロットを必要とする機体や、パイロットの育成自体を中止して、それらを全て『ヴァジュラヤクシャ』と同じタイプの機体とオペレーターに置き換えたらどうか。


 バレット・フライヤーのような命削りの特攻機に、貴重な人員を乗せる必要もなくなる。オペレーターは戦場の遥か後方に待機したコントロール艦や空母から機体を動かせば良い。


 つまりは軍の兵器運用やドクトリンそのものにメスを入れるということであり、かなり過激で極端な発想である。


「ここまで喋らせておいて何だが、良いのか? 今の俺はただの民間人なんだぜ。新型機のシステムどころか、今後の運用論まで口にするのは機密上問題だろう」


「システムのことは、すでにいくつかのメディアで公表していますよ。もちろん概要ばかりですが。それに運用論のことを言うなら、貴方はその道の第一人者です。『ヴァジュラヤクシャ』の機体を見ただけである程度見通しが立つでしょう」


「買いかぶりだよ……ずいぶん遠回りしたが、結局うちの機体にロックを合わせてきたのは、そのバイキャメラル・システムに不備があったという理解で良いんだな?」


「はい。オペレーターの出したプロンプトに対して、機体が過敏に反応した結果です」


「どういう命令だったんだ?」


「は……ちょっと挨拶に行きたい、と言ったとのことです」


「挨拶?」


「模擬戦の相手の顔と機体を見ておきたいと言い出しましてね。ああ、うちのシステム担当が出した指示なんですが、どうも食い違いがあったようでして……」


「おいおいそいつ大丈夫か?」


「エンジニアとしては本当に優秀なんですが、少々迂闊でして」


 なるほどそれで日ごろから謝罪回りをさせられているのだな、とギデオンは推測した。


 こういう謝罪の場には、やらかした当人を同席させるのが常識というものだ。だがその人物の影も形もないところを見るに、どうやら連れてきたら一層事態が拗れるのだろう。


 彼自身、退役前までは少佐だったので幹部には違いないのだが、将軍たちから直に詰められる立場でもあった。要は中間管理職である。書の苦労は想像できた。


(だが、全部が全部本当とも思えんが……)


 書凡の言っていることは一応筋は通っている。しかし一方で、そんな不安定な代物を実際に動かしたりするのだろうか、と思わないでもない。


 だが、ことは軍事機密に関わる。こういう回答こそ、書凡にとって誠意と秘密の折衷点なのだろう。ギデオンはそう思うことにした。


「もっとも、バイキャメラル・システムとその運用は、これまでに類を見ないものです。実用化できれば、あの機体はまさにタルシスの守護神となるでしょう」


「金剛夜叉なんて名前だものな」


「恐縮です。しかし、名前には力が宿ります。弱い名前は弱い力しか引き寄せられない。兵士や市民を守るための兵器には、それに相応しい名前が必要だと私は思います」


 技術者の癖に、妙に精神論的なことを言う男だとギデオンは思った。だが、目の前の疲れ切った中年男性は、こと自分たちの作った機体の話となるとしゃんと背筋を伸ばして話す。先ほど使った遺憾という言葉にしても、本当に残念だと感じているのだろう。その場しのぎの台詞ではないと思った。


(……この野郎、謝罪ってのは口実で、案外俺に直接喧嘩を売りに来たのかもしれんな)


 さすがに書凡がそこまで強気な男には見えないが、自分たちの造った機体に対するプライドだけは本物だろう。自分たちの不始末については終始反省しているようだが、機体そのものは決して貶めていない。


 クェーカーに初めて機体の画像を見せられた時は「ふざけているのか」と思ったものだが、金剛夜叉の名前を冠したあの機体の性能は伊達ではない。カラスとの接触はごくわずかな時間だったが、単純なパワーは圧倒的に『フェニクス』より上だろう。


「……そちらの事情は大体把握した。今日のところは手打ちということにしようと思う。余分に使わされた推進剤の補填だけはやってくれよ」


 ギデオンの出した破格の和解案に書凡は二つ返事で応じた。そして入ってきた時と同じようにぺこぺこと頭を下げて事務室を出ていった。


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