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第3話:セイラーズ

「訓練サボって外出とは、良いご身分だな」


 ルスランがとってくれていた席に座った時、斜め向かいから苦々しげな声が飛んできた。折り畳み式の簡易座席を開こうとしていたカラスはその言葉にぴたりと動きを止めた。


 細面の青年が、高い背丈を丸めてホットサンドを齧っていた。長く伸びた前髪の下には切れ長の目が隠れている。そこから射るような視線をカラスに向けていた。


「やめなよ、イム・シウ」


 例によってルスランがやんわりと窘めるが、イムと呼ばれた青年はカラスを睨みつけたままだった。


 同じ甲板部に配属されている以外は、ほとんど喋ったこともない。今までろくに目線さえ合わせた記憶がない。好かれているとはカラスも思っていなかったが、ここまで露骨に喧嘩を売られるとはさすがに思っていなかった。


 だが睨まれて怖気づくほどカラスも気が弱くはない。音を立てて座席を開き、睨み返したまま着座する。年下の強がりと思ったのか、イムはそんなカラスの仕草を鼻で笑って昼食に戻ろうとした。


「待て」


 イムの手元がぴたりと止まった。


「自分に何か言いたいことがあるなら、はっきり言えばどうだ」


「ちょっと、カラスも」


「強化人間が。継ぎ接ぎだらけの身体がそんなに自慢か? それで特別扱いが許されるとでも?」


「何だと……!」


「言えと言ったのはお前だろ。だからはっきり言ってやったまでだ……気に食わないんだよ、強化人間なんて。自分の身体も大事にできない、破れかぶれのガキが兵隊ごっこをやってただけだろうが」


 カラスの手のなかでホットサンドがぐしゃりと潰れた。飛び出したケチャップが手にまとわりつく。


 もし、一瞬で昼食を平らげたペティ・バスケットがギターを鳴らしていなかったら、ケチャップの上に相手の血を上塗りすることになっていたかもしれない。


 食堂の後ろに置かれたアコースティックギターを抱えて、太い指からは想像もできない繊細なタッチで物悲しい舟歌を歌っている。



さぁもうちょいでウェラーマンがやってくるSoon may the Wellerman come


 砂糖も紅茶もラム酒も何でもございTo bring us sugar and tea and rum


 いつか鯨をカラカラに搾り尽くしてOne day, when the tonguin’ is done


 こんな稼業とはおさらばさWe’ll take our leave and go!』



 何度もサビの部分を繰り返しているうちに、手持ち無沙汰になったクルーたちが手拍子をして囃し始めた。


 喧嘩をするような空気ではなくなってしまった。


 イムは肩を竦めて立ち上がり、ホットサンドを持ったまま食堂から出ていった。去り際にぼそりと「シバルセッキ」と知らない言葉で吐き捨てていったが、カラスには「糞野郎」というニュアンスが十分に伝わっていた。


 演奏を終えたペティが喝采に対して恭しくお辞儀をした時も、まだカラスのなかには消化不良の怒りが燻ぶったままだった。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「ほぉ……腹が立った、ねえ」


 港湾区外の駐車場で落ち合った時から、なんとなく苛立ったような顔をしていることにギデオンは気づいていた。作業服から私服に着替えているが、とても楽しいお出かけといった雰囲気ではない。


 カラスは白いニットとクリーム色のチノパンを組み合わせて、その上にグレーのシャツジャケットを羽織っていた。全てマヌエラの家にあったもので、彼女の亡くなった夫が着ていたものだ。他にも、カラスが生活していく上での衣類はほとんど彼女が用立ててくれた。


「いつまでも持ち続けてるの、良くないと思ってさ。着てくれそうな子が見つかって良かったよ」


 そう言ってマヌエラは笑っていた。ギデオンは大事にするようにだけカラスに伝えていた。


 どうやら、言いつけを守ってしっかり管理しているらしい。服には汚れや皺もなく、まめに洗濯をしている様子が伺えた。


 強化手術は元々の人格を大きく損なうものだ。それでも、身体に染みついた習慣や癖はなかなか抜けない。服の手入れができるのは、元々カラスが持っていたスキルなのだ。


 そんな元少年兵は、窓際に頬杖をついてむすっとした表情を浮かべている。


 二人を乗せた車は、円筒形コロニー・タルシスⅣ-Ⅱの骨組みのうえを走っていた。両側には採光のための広大なガラス面が広がっており、コロニーから生え出た巨大なミラーが反射させた光を取りこんでいる。


 タルシスⅣは比較的後期に建造されたコロニー群であり、道路も含めた各種インフラの配置は、初期型コロニーに比べて格段に洗練されている。


 それでも地球人の認識からすると、登り続けた坂の先に、空ではなく地面が続いている光景は混乱を招くだろう。


 ここでは地球とは何もかもが異なっており、そしてそこで生まれ育ったカラスとギデオンにとってその全てが当たり前のことだった。自動車といえば電気式以外の駆動方式を想像すらできず、風は巨大なファンによって人工的に生み出されるものだと思っている。


 そんな風でも、ドライブをしている時に顔にぶつかる感覚は決して地球のそれに劣らない。ギデオンは窓を開けて車を走らせるのが好きだった。


 だが助手席にいるカラスには、風の心地よさを感じている余裕はなさそうだった。上げたままのガラスに額を擦りつけている。


 EVの助手席に座らせてから、軽く探りを入れてみたらあっさり先ほどの出来事を喋ったので、ついギデオンは笑ってしまった。


「そんなにおかしいことか?」


 いつもより強い語気で返すカラスに対して「すまんすまん」と言いつつ、しかしどうしてもにやけてしまった。


「いやな、ひと月前とはえらい変わりぶりだと思ってな。とんでもないウォーマシンを乗せることになったと頭を抱えたが、ずいぶん生身の人間らしさが出てきたじゃないか」


「……貴方の船には感情過多の人間が多すぎる」


「それは否定できないな」


 カーステレオからは騒がしいハードロックが流れている。座席にはコーヒー風飲料の臭いが微かに染みついていた。それ以外はきっちりと手入れされている。彼の性格が出ているようだが、一方で無理に何かを削ろうとしているようなアンバランスさがあった。


(分かるんだな、そういうのって)


 確かにギデオンの言う通り、自分もマシンではいられないらしい。


「イムのことな、俺の方からも注意しておこう。船員の間で揉め事を引き摺られちゃかなわん。ただな、カラス。お前も含めて天燕にはそれぞれのバックボーンを抱えた人間が乗り込んでるんだ。それだけは覚えておけよ」


「自分は奴に対して危害を加えていない」


「人間関係ってやつは、コンピューターみたいにボタンのオンオフで操作できるわけじゃない。そんなに単純じゃないんだ」


「だが……!」


「あいつな、元はタルシス中央医科大学の学生だったんだよ」


 ギデオンはステレオのつまみを回して音楽のボリュームを下げた。


「タルシスが一番追い詰められていた時期、ともかく勉強できる学生を戦場送りにする動きがあってな。それも工学や物理学に強い奴なんて、すぐに前線送りだ。実際に役に立ったかどうかは微妙なところだったが……医学を学んでいた連中も徴兵されたが、当然後方勤務だ。弾の飛んでこないところで怪我をした味方の治療にあてられたのさ」


「……奴も徴兵されたのか」


「ああ。安全な場所で、傷ついた味方の面倒を見る仕事についてみて、傷ついたと言ってたよ」


「傷ついた?」


「無力さを感じたそうだ」


 あまり自分のことを話そうとしないため聞き取るのは難儀したが、彼が言うところの無力さとは、つまるところ戦争という出来事そのものに対するやるせなさだった。


 コロニーの外で働く労働者は、常に危険と隣り合わせだ。イムの周囲にもそういった人々が多くいて、少なからず労働災害に見舞われていた。手指の欠損などありふれており、最悪の場合、放射線障害で一生苦しみ続けなければならない。


 そういう人々を救うために医療の道を志したというのに、戦争は容易く人間の手足を奪っていく。彼自身、復元しようの無い患部を切り落としたことが何度もあったという。


「そうこうするうちに、あいつ自身が心を壊して、学業どころじゃなくなった。それで今は、天燕で働いて金を稼ぎながら、もう一度学校に戻ろうとしてるんだとよ」


 真面目な奴だ、とギデオンは思う。


 戦争を経てPTSDを患った人間は決して少なくない。イムは性格がやや尖っていることを除けば勤務態度に問題はなく、ペティも「もうちょい協調性があればなぁ」と言う程度には評価している。自頭が良いのも手伝って、教えた仕事はすぐに消化していた。


 毎日、決して楽な仕事をさせているわけではない。食事は今のタルシス市民が食べている以上のものを出しているが、それでもフルに身体を酷使した後に医学の勉強までしているのは並みの精神力ではないと思う。


 あるいはどこかに、他人や現実に負けてはならないという強迫観念のようなものがあるのかもしれない。それが他者に対する棘として出てしまうのは、彼自身のためにも良くないことだ。


「……だが、迷惑な奴だ」


 ギデオンは笑った。どうやらカラスの心象はとことん悪いらしい。


 カラスは少しだけ窓ガラスを下げた。コロニーの人工の大気が髪を揺らした。


「あいつもあいつで、お前のバックボーンを分かっちゃいないな。その点に関してはまだお子様だよ」


「知ったところで奴が態度を変えるとは思えない」


「すぐにはな。だが、お前のについて知っておいてもらえば、今後あいつもそうそう突っかかっては来なくなるさ」


「奴はすでに自分の顔を知っているが」


「レヴィナスだよ。知らないか?」


「ああ」


「今度本を貸してやる。戦争を生き残った俺たちが読むべき本だ」


「命令としてなら読む。バンドにデータを……」


「紙に決まってるだろ。硬い本は特に」


「懐古趣味だ」


「こだわりと言ってくれ」


 ギデオンは左手につけられた機械式腕時計型のバンドを軽く振った。本人も意識してのことではない。長くこのタイプのものを使っているので、発条ゼンマイを巻く仕草が染みついてしまっていた。


 それを見てカラスはふと、自分がギデオンのことを何も知らないことに思い至った。


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