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第1話:エキシヴィジョン・マッチ

A.D.2160 1/22 10:15

タルシスⅣ-Ⅱ



「模擬戦?」


 クェーカーの灰色ずくめの応接間に通されたギデオンは、いつもと毛色の違う依頼にやや不意をつかれた。


「タルシス宇宙軍の兵器開発局からの依頼です。試作している半自立型無人機の実戦データが欲しいので、貴方の船のBFと戦わせて欲しいとのことです」


 貴方も何も貴女が押しつけたのだろうが、とは思ったが口には出さなかった。


「兵器開発局、ねぇ……」


 出された紅茶に口をつけながらギデオンは呟く。茶葉については門外漢だが、女主人がもてなしの意味も込めて出してくれる一杯は文句の言いようがないほど美味い。


 今のコロニー社会でこれほど香り高い茶葉を見つけるのは、アステロイドベルトで純金だけでできた小惑星を見つけるくらい難しいだろう、とギデオンは思う。


 つまりこの葉っぱの煮汁にはとんでもない値がつけられており、それを飲むからには「万事お分かりですね?」ということだ。


 以前、まだクェーカーと付き合い始めた頃にうっかり値段を聞いてしまったが、彼女はにっこり笑ってはぐらかした。そんな、いつの間にか借りを作らせるような立ち回りが、どうにも彼女を受け付けない理由なのだろうなとギデオンは再認識する。


 近頃はそれにも慣れてきて、勝手に押しつけられた借りにもまるで頓着しない図太さが身についた。


「お嫌ですか?」


 向かい側に座ったクェーカーが、微かに首を傾げた。


「意外だったんですよ。貴女の依頼は全てプロジェクト・キュベレー達成に向けたものばかりだった。それがここにきて、兵器開発局の練習試合・・・・を受け入れるなんて。どういう風の吹きまわしです?」


「わたくしとしても、目的には最短距離で到達するのが理想ですわ。けれどそのためにはいろいろな根回しが必要ですから。


 封鎖突破船は、いわば大航海時代の私掠船と似た立ち位置。法的に認められたアウトローです。国家権力の化身たる軍隊からすれば目障りな存在でしょう」


「なるほど、それで軍に媚びを売っておこうと」


「友人は多いに越したことはありませんわ」


 そう言ってクェーカーは、空になったギデオンのティーカップにお代わりを注いだ。ポットは銀色、それに被せたポットカバーもやはり灰色だった。何から何までグレーなこの娘に、本物の友達などいるのだろうかとギデオンは思った。


(いたとは思えんが……)


 皮肉ではなく、事実から導かれる推論としてギデオンはそう見立てた。


 封鎖突破船を用立て、腕利きの乗組員を揃えたうえ、タルシス政府にバレット・フライヤーの保有までも認めさせる交渉力。彼女自身の卓越した能力もさることながら、資金や名声において相当な背景が無ければ不可能なことばかりだ。


 クェーカーと知り合って以来、彼女から本当の名前は教えられていない。だが全く見当がつかないわけでもなかった。命懸けの仕事のビジネスパートナーである以上、ギデオンは己の手の届く範囲で情報を集めた。



 結果、ペンネームまでは突き止めた。



 そして同じタイミングで、ギデオンの手の甲に死神の鳥が留まった。



 それ以上の深掘りは危険だということだ。


 恐らくクェーカー自身も、ギデオンが自分の身辺について調査していたことを察していただろう。むしろ、その程度の用心深さが無いようでは仕事など任せられない。


 とはいえ何事にも限度はある。クェーカーにとって自分は必要な協力者だと認識しているが、もし自分を糸口に個人情報が洩れるようなことがあれば、彼女は尻尾切りを躊躇しないだろう。


 つまり、万が一にも正体を知られてはならない人間ということだ。


「わたくしの顔に、何か?」


 茶を注いだ弾みに垂れた前髪を耳に掛けながら、クェーカーが上目遣いに聞いてきた。いや、とギデオンは軽く肩を竦めた。


「『フェニクス』……失礼、カラスが使っているBFですが、あれは相当デリケートな代物だ。できれば軍の前で大っぴらに見せたくはない」


「それについては心配ありません。今度の模擬戦は先方からの提案です。何より……軍の内情を正確に把握するためにも、関係者とパイプを作る機会は逃したくない」


 なるほどそちらが本命か、と察した。


「……先日の襲撃の件、武器の出どころはやはり宇宙軍ですか?」


 ちょうどひと月前、ギデオン率いる封鎖突破船『天燕』は地球低軌道での仕事中に同業者であるダリウスから襲撃を受けた。それも一隻に対して計4隻もの船をぶつけるという気合いの入り具合だった。


 封鎖突破船はタルシス政府によって半ば黙認された存在だが、それは一隻々々が独立しており、大きな勢力として海賊行為を働く恐れが無いからだ。ほとんどは食い扶持を求めて切羽詰まった連中であり、組織だって武力を行使するようなことは滅多に無い。


 仮にそのような集団が現れたら、地球の封鎖突破を目指す前にタルシス宇宙軍から捕捉、撃滅される。


 そのような実情を知っているギデオンからすると、ダリウスが4隻もの武装船舶や無人攻撃機を揃えられたことは、はっきり言って異常でしかなかった。


 そしてそのような武器や物資を供給できる存在は、今のコロニー社会には宇宙軍をおいて他に無い。


 ギデオンは半ば確信を抱いていたが、クェーカーは眉根を寄せつつ「わからないのです」と答えた。


「わたくしとしても、その線が濃厚だと考えています。けれど、いくら歴史の浅い軍隊とはいえ、あれほどの戦力を個人に流すような動きがあれば必ず誰かが気づきます」


「貴女の情報網にも引っかからない、と」


「政財界の内情にはそれなりに詳しいつもりですが、軍となると……そうですね。悔しいですが……」


 表面上は平静だが、ティーカップを摘む白い指に微かに力が込められたのをギデオンは見逃さなかった。


 ほぅ、とクェーカーは物憂げなため息をついた。


「現時点で分かっていることを元に推測するなら、タルシス宇宙軍内部に、自由に戦力を動かせるような独自派閥ができあがっている。そういう可能性も考えられます」


「……」


 行き過ぎた妄想だ、とギデオンは言う気にはなれなかった。


 言った当人はあまり深く考えていなさそうだが、彼にとっては決して荒唐無稽な話ではない。背中を死人の手で撫でられたような気がした。


「案外、その線かもしれませんよ」


「え?」


 意外な返答だったのだろう。珍しくクェーカーが目を見開いた。


「貴女も言った通り宇宙軍は歴史の浅い軍隊だ。その戦力も4つのコロニー共同体が出し合って構成されている。俺が軍にいた頃から、すでに派閥はできあがっていましたよ」


「けれどそれは、あくまで地球との戦争を主眼に置いた派閥で……」


 そこまで言ってクェーカーも気づいた。ギデオンは戦時中の派閥の話をしているのではないと。


 かつてタルシス宇宙軍は地球との格差是正を目指して戦った。その過程で、どこのコロニーがどれだけの戦力を負担するのか、どういった戦略で地球と戦うのか、喧々諤々の議論が交わされた。しかし方針は違っても目的はひとつ、すなわち地球との戦いに勝利することである。


 だが地球との直接的な武力衝突に区切りがついたいま、宇宙軍は徐々にその姿を変化させつつあった。


 すなわち決戦志向の軍から、威嚇のための軍へと転換しているのだ。


 背景には大きな理由が2つある。


 ひとつは、純軍事的な目線で見た場合、タルシスは地球に対して圧倒的に優位に立っているという点である。


 バレット・フライヤーの投入によって勢力を盛り返したタルシスは戦争中盤以降、地球を相手に主導権を握り続け、ついにはほとんどの地球艦隊を宇宙から掃討するに至った。


 唯一残った艦隊は月面基地に逃げこみ、現在はタルシスに対する抑止力として機能している。とはいえ地球との補給線が途絶している以上、いつかは残存艦艇も耐用年数に達して使い物にならなくなるだろう。


 地球軌道上には防衛衛星『熾天使』が4基浮かんでいるが、これは能動的にコロニーを攻撃するための兵器ではない。つまり、仮に戦争が再開したとしても、その時先に動くのはタルシス側なのだ。地球側は圧倒的に不利な状態から戦いを始めなければならない。


 もうひとつは戦争のために吸い上げた生産年齢人口の人々を、社会に戻すこと。5年に及ぶ戦いはタルシスに実力以上の負担を強いるものだった。各コロニーは荒れるところまで荒れており、復旧は全市民の望むところである。


 軍としても守るべき社会が崩れてしまったのでは存在する意義が無い。それに地球との正面衝突の可能性が減少した今、必要以上に人材を抱えておく必要もない。


 セレンのような優秀な人材が、士官学校を出てすぐに民間に回されたのもこうした背景があったからだ。


 総じて現在のタルシス連合宇宙軍は決戦を望んでいない。社会全体の方向性が復興に向けられており、軍もそれに追従して形を変えようとしている。




 だが、古来より軍隊とは、自己の権威と権力を安易に手放そうとしない集団だ。




 人間は宇宙において、自分たちの立つ大地を、飲み水を、そして空気を自分たち自身で造らなければならない。そうしたライフラインあってこその軍であり、たとえ削減することになったとしても、社会の再建を優先しなければならない。


 しかしもし現在のタルシス軍内部に、そうした姿勢変化を良しとしない者がいるならば。


「……容易には信じがたいことです。こんな状態で地球と再戦しようなど……」


「それは貴女が賢いからですよ。戦争の熱は人を簡単に狂わせる。それを忘れられない連中が、燃え残った火種を探して炭を突きまわしているのかもしれない」


 ギデオンは皮肉をこめたつもりは全くなかった。むしろ、単純に彼女の知性を賞賛したつもりでいた。


 だが、彼の口から「賢い」と言われた時、ふとクェーカーの美しい顔に影が差した。



「ギド。どんな生き物も火を点けられたら恐怖します。悪いのは火を点ける側の人間ですよ」



 いつも通りの達観したような口調だったが、声音の微妙な違いにギデオンは気づいた。彼女らしからぬ、どこか自省するような、あるいは自嘲するようなニュアンスが入り混じっていた。


 しかしギデオンは同情や共感を口にする気は無かった。


 そのうえで思ったことを言った。


「……たとえ火を点けられたとしても、人は冷静でいるべきだ。それができないのは、やはり愚かだからだ」


 ふとダリウスもそうだったのだろうか、とギデオンは思い返した。好きな人間ではなかったが、戦時中の彼の活躍は万人が認めるものだった。コロニー全体の危機を救うほどの仕事をやってのけたことさえある。


 そんな男にしては、あまりに惨めな最期だった。


「クェーカー。この仕事、たしかに引き受けさせてもらいます。軍の内情は俺も気になっていたところです。今後のことも考えると、動きは追っておいたほうが良い」


 彼女は静かに頷いた。


 どのような筋道を通ることになろうと、自分の目的はこの戦争を完全に終わらせることだ。もしかするとこの一件は回り道になるかもしれないが、ゴールには確実に近づいている。そうギデオンは思うことにした。


「それで、今回の模擬戦の相手ってのはどんな奴なんです? 一応は民間人の俺たちを指名するってのも妙な話だ。半自立型なんてモデルも聞いたことがない」


「あぁー……それなのですが……」


 クェーカーは困ったように首をかしげた。本日二度目だ。だが、先ほどとはややニュアンスが異なっている。


「わたくしミリタリーには疎いのでよく分からないのですが……この機体、どうなのでしょう?」


 自身のセクレタリー・バンドをタッチして、空中にホロディスプレイを表示する。


 そこに映し出されたマシンを見て、最初ギデオンは「ううん?」と唸り、さらに詳しく見ていくにつれて徐々に眉間にシワを寄せていき、ついにはこう言うに至った。


「なんだぁ? これぇ???」


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