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第18話:「フェニクスってのはどうだ?」

 カラスは医務室にいなかった。


 担ぎ込まれた時は半死半生の体だったが、強化された肉体のおかげか、あるいは元から頑丈なのか、2時間ほど意識を失っていたにも関わらず起き出してどこかに行ってしまっていた。


 案外、強化云々は関係なく本当に丈夫にできているのかもしれない。そう思いつつギデオンは格納庫に向かった。


 案の定、カラスは張り出しの通路に立って、ぼろぼろになったBF-03Vを見上げていた。


「酷い有様だな」


 ギデオンはその隣に立った。磁気靴が床に緩く吸いつく。


 回収直後は甲板員たちが忙しなく動き回っていた空間は、今はギデオンとカラスの二人しかいない。全員、船室で爆睡していることだろう。やるべきことは全てやってくれたので、ギデオンとしてもゆっくり休ませてやりたかった。


「こいつを直すのは骨が折れそうだ。ざっと見た限り頭と脚、それに左翼か。正規品で直すのは諦めるしかないな」


「……修復してくれるのか?」


 呟くようにカラスが言った。本当にただ呟いただけではないかと一瞬思ったが、少年は真っ直ぐにギデオンを見上げていた。


「未整備のまま出撃させる事態になったのは、俺の見通しが甘かったからだ。お前の失敗じゃない」


 まあもう少し丁寧に飛んで欲しいけどな、とギデオンは笑った。少しだけカラスがムッとしたような表情になった気がした。


「……乗りたいか? また、こいつに」


 どんな答えが返ってきても受け止めるつもりだった。


 バレット・フライヤーという兵器は、ギデオンにとって忌まわしい記憶と深く結びついている。だからというわけではないが、こんなものに関わる人間は少ないに越したことはない。


 だが、カラスの返答は一瞬だった。



「ああ、乗せてくれ」



 ギデオンを真っすぐに見据えたまま、カラスは言った。


 少年の機械仕掛けの双眸に宿っているのは、全てを失った者の虚無ではない。何も持たないからこそ何かを手に入れたいと願う意思が宿っていた。



 そういう人間には、死神の鳥は憑かない。ギデオンは黒い鳥の姿をどこにも認められなかった。



「どうしてそう思うんだ?」


 それでもギデオンは聞き返した。ダリウスの吐いた言葉が耳の奥で響いている。腹を裂かれ目玉をくり抜かれながら、なおも機械の鳥に乗って戦おうとするのは何故なのか。その意思の由来を確かめたかった。


 するとカラスは、目元をわずかに緩ませ、笑顔とも泣き顔ともつかない表情を浮かべた。


「この機体は、過去の自分と今の自分を結びつけてくれる繋がりだ。こいつを失くしたら、自分の座標はこの宇宙から無くなる」


 バレット・フライヤーを駆って宇宙に飛び出した時のことをカラスは思い出した。


 眠っていた全てが目覚め、曖昧な自我が明確な形を得る感覚。ぼやけた星々が輝きを強め、見失った自分の位置・・を教えてくれるような気がした。



 たとえそれが、機械によって拡張された感覚が見せる幻覚だとしても。



「ずいぶん後ろ向きな理由だな。分かっているのか? こいつはお前の身体を喰い潰して飛ぶ化け物なんだぞ」


「それでも、自分を生かしてくれた。自分を……この宇宙に繋ぎ止めてくれる」


「……バレット・フライヤーは抱き枕や人形じゃない。心の拠り所にするには、あまりに禍々しい」


「玩具ではないことくらい分かっている。それでも自分は」


「お前が道具なら、俺の言うことを聞け」


「……そうだな」


 ギデオンは肩の力を抜いた。だが、カラスは納得したわけではなかった。


「船長。自分は道具なのか、人間なのか、今でもよく分からない。それくらいあやふやなんだ。どこが自分の位置・・なのか見失ったままなんだ」


「……」


「今日、死んでも良いと思った。やることは全部やったから、もう何もかも捨てようとしたんだ」


 カラスは目を閉じた。頭のなかに情景が浮かんでくる。義眼がデータ化したものではない、脳に刻みこまれた記憶。


 焼けて崩れていく巨艦、蠅のように撃ち落される僚機、目指すはずだった地球の遠影。


 そこは、自分が死に果てるべき戦場だった。


 肉体を強化し、意識と記憶を捨ててまで兵器になったというのに、それでも自分は生き延びてしまった。


「今日も……一年前も、自分はやっぱり生きたいと思った。自分を道具だと思っているくせに。結局、人にも兵器にもなり切れないまま、宇宙を彷徨っている」


 カラスは自嘲するように息を吐いた。


 彼が口にしたことは、理由としてはあまりに弱い。ともすればバレット・フライヤーという兵器に縋りついているだけと断じることもできるだろう。


 だが、そんな断言が何になるというのか。


 カラスは生きたいと思ったと口にした。生きようとするのは人間である証拠だとギデオンは思う。しかし自分の言葉には何の意味も無い。それはギデオンがそう思うだけで、彼が自分をどう認識しているかは全くの別問題だからだ。


 お前は人間だ、と決めつけるのは簡単だ。


 その答えを提示すれば、恐らくカラスは納得するだろう。


 それでもギデオンは、言葉で誰かを規定するなど傲慢でしかないことを知っている。たとえそうできるとしても、するべきではない。


 マリア・アステリアは、彼と正反対の考えを持っていた。


 その事実に気づいた時には、何もかもが手遅れになっていた。




 そしてカラスは、強化人間は、バレット・フライヤーは、自分が彼を止めなかったがために産み出された。




(主犯の俺が、今度は何もかも無くしたこいつからマシンまで取り上げる、か)


 ギデオンは焼け焦げ、ずたぼろに傷ついたBF-03Vを見上げた。


「どれだけ偉くなったつもりなんだか」


 カラスが首を傾げた。本物の鳥のような仕草だとギデオンは思った。


「なら、とことん乗り潰してみるか?」


 カラスは首を反対方向に倒した。


「……話が見えない」


 胡乱げに言う少年に対して、ギデオンは「ついてこい」と言い残し床を蹴った。張り出しを乗りこえて、格納庫の床まで流れていく。


 そこにはバレット・フライヤーの他にもうひとつ、甲板員たちの手で固定された巨大なコンテナが置かれていた。


「今日の回収物か」


 追いかけてきたカラスが床に着地した。両足の裏がついた瞬間、少しよろめいた。まだ万全には程遠いのだ。


「仕事前のブリーフィングで説明したが、実際に目にすると実感が湧くだろう。俺たちが何のために命を張ったのかな」


 ギデオンがコンテナに取り付けられたコンソールを叩くと、内部に通じるハッチが音を立てて開いた。


 なかに封じられていた空気が噴き出して、カラスの顔を包んだ。その臭いに、思わず顔をしかめる。ギデオンさえ軽く上体をのけぞらせた。


 宇宙で生まれ育った者には馴染みのない臭い。


「入ってみろ」


 促され、恐る恐るなかに入る。仄かな照明に照らされたそこは、壁一面に円筒形の保存容器が埋め込まれた空間だった。


 何かが目の表面に入った。右の義眼を取り外して見ると、土がついていた。


「これは……」


「回収した時の衝撃で相当散らかったみたいだな。容器が壊れなくて良かったよ」


 ギデオンが、壁の容器を一本引き抜いた。ステンレス製のそれは、上部に一箇所だけ透明になっている部分がある。


 見てみろ、とギデオンに言われたが、遠目にもそれが何なのか分かった。


「……土?」


「ただの土じゃない。かつて地球の人口が最大に膨らんだ時代、120億人の腹を満たした農業用の特殊土壌。その改良型だ」


「役に立つのか?」


「当然だ。そもそもお前、あの戦争がどうして起こったか分かってるか?」


「地球がタルシスの関税自主権を認めなかったからだ」


「間違っちゃいないが、もうひとつ前段階がある。つまるところ、地球の奴らはコロニーの人間が自前で食糧を作ることを認めなかったんだ。食料品はほとんどが地球からの輸入品、そして関税権も食糧生産も抑えられている俺たちは、普通なら買わないような値段で食い物を買わされる……これが戦争の直接的な原因だ」


 ギデオンは容器をカラスの胸に押しつけた。


「こいつさえあれば、タルシスは農業用コロニーの稼働に一歩踏み出すことができる。サンプルさえあれば増やすことは不可能じゃない。分かるか? 今日の俺たちの仕事は、宇宙社会に未来を運ぶことだったんだ」


「こんな土が……」


「カラス、お前、やることは全部やったと言ったな? 悪いがそいつは早とちりだ。俺たちの戦争はまだ終わっていない」


「終わっていない?」


「そうだ。戦争とは対等な経済のやりとりができない状態のことを言うんだ。だから宇宙でドンパチが始まるずっと前から、俺たち宇宙社会の住人は、地球と戦争を続けてきたようなものだ。そして地球の奴らが引き籠った今も、それはずっと続いている。俺たちの世界はまだ平和になっちゃいないんだよ」


 カラスにとって、ギデオンの言葉は衝撃的なものだった。


 戦争はとっくに終わったと思っていた。艦隊と艦隊をぶつけ合うような大規模な戦いしか頭に無かったのだ。現にカラスが飛び続けてきたのは、そういう戦場ばかりだった。


 そして戦いが続くというのであれば、また自分と同じような存在が生み出され、戦場に立たされることになるだろう。


「お前が道具だろうと人間だろうと関係ない。自分が何なのかは自分で決めろ。だが、今という時代に生きているには、世界を立て直す義務がある。地球と宇宙の力を横並びにするという義務が」


 ギデオンは複数形を使わなかった。彼自身、あまり深く意識して口にしたわけではなかった。


 だが、戦争の遠因となった地球と宇宙の経済格差を埋めることこそが、自分が戦争を生き延びた理由だと確信している。



(それぐらいのことをしなければ、俺のしでかしたことは贖えない)



 その償いの旅に、被害者であるカラスを引き連れていくのは矛盾しているかもしれない。


 だが、ギデオンが用意できる道はそれしかなかった。



「……カラス。あの機体に乗り続けるというなら、お前には戦場に出てもらう。俺の戦争の道連れだ」



 嫌か? とギデオンは念を押した。



「それが、俺に残された戦場なんだな」



 カラスの答えは決まり切っていた。少年は静かに、しかし迷うことなく即座に頷いた。機械の瞳には確かな覚悟が宿っていた。その色を否定することは、ギデオンにもできない。



 戦うことを決めた、戦士の目だった。



 あの輝ける星々に覆われたそらにこそ、自分の居場所がある。たとえ自らの在り方に迷っているとしても、どこにいるべきで、何をするべきかは決まっている。今はそれだけで十分だった。


 だが、ひとつだけ気がかりなことがあった。


「もしその戦争を生き延びたら、自分は……俺は……」


 生きることを望みながら、それでも道具であるという自意識が消えない。曖昧なままの自分がどこに流れていくのか、戦いの果てにその答えが見つかるのか、カラスには分からなかった。だからどうしても聞いておきたかったのだ。


「じゃあ、願掛けするか」


「願掛け?」


 ギデオンの提案はあまりに意外で、思わず聞き返してしまった。


「ああ。お前はあのマシンに乗り続けて、その果てに人間に戻りたがっている。生き返ろうとしている……だったら、それを叶えてくれそうな名前にしないとな」


「BF-03Vではダメなのか?」


「そいつはただの形式番号だ。事務的過ぎて魔力を感じない。『グリント』もダメだ。他の奴らがつけた名前だからな」


「船長の言っていることは非科学的だ」


「人に戻りたいなら憶えておけ。人間は理屈だけで生きる動物じゃない」


 カラスは押し黙ったが、顔には納得がいっていないと書いてあるかのようだった。


 そんな少年の無言の反抗は無視して、ギデオンは顎に手を当てしばらく考えた。それほど時間は必要なかった。バレット・フライヤーが機械仕掛けの鳥であり、そこに復活の願いを込めるのであれば、そう捻った名前にする必要はない。


「復活、黒焦げ……火の鳥……お前の国の言葉だと、ホウオウってやつになるのか。でも迫力が無いな」


 そしてギデオンはパチンと指を鳴らして言った。


「『フェニクス』ってのはどうだ?」

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