機外の状況は、到底笑っていられるものではない。BF-03Vはカーマンラインを突破、何とか姿勢制御を続けているが、降下を続けている。
左翼コンテナが灼熱する。コンテナからはみ出た翼尾や脚部スラスターから軋む音が聞こえてくる。いつ脱落しても不思議ではない。
「天燕は……!」
ディスプレイに目をやる。後方から猛スピードで船が追いかけてくる。だが、機体のどこかから骨を折ったような断裂音が聞こえた。これ以上の断熱圧縮には耐えられない。
『カラス、全武装をパージ、最大加速だ!!』
「ッ!」
カラスは迷わなかった。
左右腰部に取りつけられたレールガン及びレーザーキャノンを強制排除。希薄な大気のなかで、機体がぐんと軽くなったのを感じた。重荷を捨て去ったBF-03Vは解放感に浸るかのように一瞬機首を上方向に振った。
同時に、カラスはスロットルレバーを最大まで押し上げる。コンテナ・スラスターに注ぎ込まれたなけなしの電力で、全ての推進剤に点火。バレット・フライヤーの翼から光の羽が撒き散らされ、宇宙の虚空に向けて機体を押し出した。
だが、速度が上がらない。
(推力が……!)
バレット・フライヤーの圧倒的な加速力は、あくまで両翼に加えて脚部スラスターのベクトルも揃えた時に発揮される。今のBF-03Vにそこまでのパワーは無い。
速度計は秒速10キロメートルまで一気に跳ね上がったが、そこからは徐々に鈍り始めた。脱出速度は超えているので地球に引き摺り落とされる心配は無いが、『天燕』は秒速14キロ。この速度差では回収は不可能だ。
『カラス、俺だ。接触まであと2分を切ったが、そちらの速度が足りん。機体状況はどうだ。加速はできるか?』
「さっき破断音が聞こえた。脚のスラスターも動かない!」
通信機の向こうでギデオンが唸った。
『……博打になるが仕方無い。カラス、機首を地球方向に向けろ。重力を利用するんだ』
「この状況で重力加速!?」
『やらなければ死ぬぞ! 戻ってくる気なら、やれ!!』
「っ、やる!」
背中を蹴られたような叱咤を受けて、カラスは怒鳴り返した。
『カラスさん、進入角度はこちらから送信します。ガイドに従い降下してください』
『慎重にやりな! もう予備の電力は無いからね!!』
「わかっている!」
セレンから送られてきたデータが正面ディスプレイ上に表示される。簡素な矢印に機体を乗せるように、操縦桿をゆっくりと地球方向に倒していく。
脚部スラスターを動かした際、どこかでガギンと鈍い音が響いた。もってくれよ、と心のなかで呼びかける。一度上がった高度が再び下がり、左翼のコンテナ・スラスターが熱を帯び始める。だが、地球から引き寄せられる力によって、BF-03Vの速度は上がり始めた。
それは同時に、機体の崩壊が秒読みに入ったことを意味する。先ほど聞こえた破断音はその前兆に過ぎない。コクピットを異常振動が襲い、あらゆる方向にガクガクと揺さぶられながら、しかしカラスは操縦桿から手を離さなかった。この状態でコントロールを失ったら、地表に向けて燃え墜ちることになる。
機体を襲う熱はコクピット内にまで侵入していた。全身が熱い。それが操縦によるプレッシャーなのか、耐熱機能が十全に働いていないためなのか、どちらか分からない。どうでも良いことでもあった。今やカラスは機体が落ちないように操るだけで精一杯の状態であり、『天燕』との合流も、自分の身体のことも、意識の外に締め出すしかなかった。
その熱が、振動とともにふと和らいだ。
『来てやったぞ、カラス!!』
目を開く。センサーに繋がれた義眼が、信じられないものを映し出していた。
地球を背景に、『天燕』が背面飛行をしながら、船腹の側をBF-03Vに向けていた。
開かれたハッチ内部からクレーンが伸び、そこから電磁アンカーが射出され、過たずカラスの機体に吸着した。振動、そして乱暴に引き寄せられる衝撃が襲う。ぐらぐらと上半身を揺さぶられた彼の耳にペティ・バスケットの笑い交じりの大声が殴りこんできた。
『よお
だったらもうちょっと丁寧にやってくれ、と思ったが口に出す余裕は無い。
『ペティ! 回収!!』
『アイサー!!』
パワーを全開に引き上げたアンカーによって、カラスの機体は急速に『天燕』へと引き寄せられていく。先ほどまでとは全く別ベクトルの衝撃が襲い、少年の胃袋を圧迫した。強化された肉体でも対応しきれていない。
それでもなお操縦桿から手を離さなかったのは、生きようとする意志が働いたからなのか。
『カラス、姿勢制御だ! このままだと船体に弾かれる!』
「……っ!」
もはや返事すらままならないが、カラスにも自分の機体が大きく振り回されているのが分かった。頭上に見える『天燕』の船体が右に左にと激しく揺れている。
BF-03Vは宇宙に向かって放り投げられた振り子のようなものだ。このままでは衝突時の勢いに機体が耐えきれず、分解しかねない。
「言うことを……聞け……ッ!!」
頭蓋のなかで脳味噌が反復横跳びをしている。ここだけは物理的強度が変わっていない。左右から連続で殴られるような振動のなか、それでもカラスは懸命に手綱を操った。
全スラスターを『天燕』の進行方向に重ねる。ベクトルを修正、同時に着陸脚を展開。接触に向けて機体を急減速させる。
『船殻に機体を固定しろ! 爪を立てて構わん!!』
「了解!!」
アンカーが限界まで巻き取られ、BF-03Vの脚が『天燕』の船体に接触した。
そして、強度限界を迎えて、付け根から脱落した。
姿勢が崩れる。機が船体を滑り落ちていく。
『うっ……!』
始終冷静さを崩さなかったギデオンが、通信機の向こうで呻いたのが聞こえた。
セレンが息を呑み、ペティが「糞!!」と怒鳴った。
そんな取るに足らない情報の全てが、ひどくゆっくりとカラスの頭のなかに流れこんできた。
強化された感覚のせいではない。
それよりもずっと深いところに根づいた生存本能が、彼の思考を置き去りにして強引に身体を突き動かした。
脚が折れたと認識した瞬間、手は次の操作に移っていた。機体固定用のパイルバンカーは両着陸脚のほか、作業肢にも内蔵されている。
両腕の杭を射出。装甲板を穿った衝撃が腕を伝ってコクピットまで走り抜ける。ガグンと重々しい音が響いた。
機体は、『天燕』のメインスラスターのすぐ近くまで滑落していた。
だが、そこで止まった。
「着……艦っ!」
誰よりも先にペティが吠えた。後ろで「やったああああ!」とはしゃいでいるセレンとマヌエラの声が聞こえる。
『っ……とんだクリフハンガーだ』
ギデオンの声は、その3人に比べればずっと静かだったが、深い安堵が伝わってきた。
それを聞いてカラスもようやく我に返った。
『……総員、よくやってくれた! これより本船は地球低軌道より全速力で離脱する。置き土産の起爆と同時に加速だ。怪我するなよ!!』
力を失ったバレット・フライヤーとは比べ物にならないほどの力強さで『天燕』は船体を起こし、地球の大気圏より離脱した。
カラスは操縦桿から手を放し、ぐったりとシートに身体を投げ出した。『天燕』の加速にともなう圧力のため、そうせざるを得なかったのだ。
機体のセンサーが機能停止。それに接続されたカラスの義眼からも一時的に光が失われた。
ぶつり、と電源が切れるように視界が暗くなるその直前、カラスの、そしてBF-03Vの目には、オーロラを被った地球の姿と、その上空で巨大な光球が炸裂したのを捉えていた。
何だったのか考えるだけのエネルギーは、機体にもカラスにも、もう残っていなかった。