A.D.2159 12/16 21:54
カーマンライン直上 『ヴァルチャー』艦橋
「死ねよ、ブランチャード!!」
進路上に、物資を引き込んだばかりの『天燕』が浮かんでいる。視界いっぱいに色鮮やかな地球の大地が広がっているが、ダリウスは猛禽さながらの眼力で目標を捉えていた。
その船影に向かって喜悦と憎悪の入り混じった怒声を吐くとともに、手元の武装コンソールを叩いて対艦レーザーを照射する。
だが、弾光は目標を逸れてはるか地平へと飛び去ってしまった。照準装置がまともに働いていない。最良のタイミングで放たれた『スマートシープ』が船のFCSに干渉し、動作を阻害していた。これで火器は使えない。
「小賢しい……!」
ダリウスは歯噛みする。しかし他の船員たちにとってはそれどころではなかった。
『船長! 本船には大気圏突入装備はありません! このままでは船が分解します!』
仮想艦橋で繋がっている操舵士は顔面を蒼白にしていた。『ヴァルチャー』はとうに地球の重力に捉えられており、そこから抜け出すために全力を発揮しなければならない段階だ。
僚船ごと無人機部隊を叩かれた時点で、ほとんど勝負はついていたのだ。
だが、そこから先のダリウスの判断は完全に常軌を逸していた。
発進させた4機の攻撃機にあとを任せて『ヴァルチャー』だけ脱出するという選択肢もあったのだ。作戦が完全に成功するかは分からないが、少なくとも安全ではある。
しかしダリウスはそのような進言を無視して突入を命じた。あくまで自らの手で『天燕』を、そしてギデオン・ブランチャードを討ち取ることに拘泥したのだ。
付き合っていられない。しかし、反乱を起こすには、『ヴァルチャー』の船員たちに残された時間は少なかった。そして瞬時にその判断を下して全員をまとめあげられる者もいなかった。
だが船員たちにしてみれば、もはや船長に翻意を促すか、あるいは自ら舵を切るしか選択肢がない。
そして目を血走らせている船長に期待ができない以上、自分たちで船を動かすしかない。
「邪魔だ、無能ども」
その判断はあまりに遅すぎた。
『ヴァルチャー』の船体が内部から爆ぜた。緊急時に不要なモジュールを強制分離するための自爆機構が働いたのだ。
それを発動できるのは、船の最高責任者のみである。
ダリウスの周囲を取り巻いていた仮想艦橋が一斉にぶつりと途切れ、全てNo Signalと表記される。
船の全コントロールがダリウスの手に収まった。今やそれを必要とする人間は彼しかいない。良心の呵責は一切無かった。どのみち、自分もすぐに地獄に堕ちることになる。
その前に、ギデオンだけは殺しておかなければならない。それだけが、戦争の勝利という希望を失った自分に残された、唯一の仕事だからだ。
戦争は、非力卑小な自分を世界、そして歴史に結びつけてくれた。毎日毎日、膨大な死が宇宙にばら撒かれ、渦巻いていた。その渦は壮麗で、涙が流れるほどに神聖だった。個人が個人として存在するだけでは決して味わえない高揚感、一体感。戦争という時間は自分に、それまでの人生に倍する密度と感動を与えてくれた。
全ての人々が美しかった。凡人など一人もいなかった。青少年は熱意に燃え、女たちは一人残らず聖女となった。
戦時中のギデオン・ブランチャードが、ダリウスは好きだった。
自分も英雄と呼ばれたが、彼はそれ以上だった。ただただ眩かった。革命と報国の意思に燃え、決意を同じくする少年たちを導いて邪悪な地球人の船を粉砕して回った、恐るべき船乗りだった。
そしてそれ以上に光輝を放つマリア・アステリアを、ダリウスは崇拝していた。
その神を殺したのは、ほかならぬギデオン。
戦争という聖なる時を奪ったのも、ギデオン。
「あの戦争は俺の全てだった。勝利だけが希望だった!
それを奪った貴様だけは、俺がッ!!」
ダリウスはメインエンジンの出力を全力まで引き上げた。余計な異物を排除したことで船は身軽になっている。武装は全て失ったが、ギデオンを殺すには『ヴァルチャー』の船体だけがあれば良い。
元より生きて帰るつもりもない。帰ったところで待っているのは、ただ生きるためだけに汲々とする凡俗ばかりだ。
誰も彼もが食い物と薬と酸素の話しかしない。人間が全て、生存本能を満たすための動物にまで成り下がってしまった。
あの意思と熱狂に満ちた人々はどこに行った。英雄の輝きは、聖女の慈悲はどこに消えた。
自分が守っていたのは、勝利を捧げようとしていたのは、決して生存のためだけに生きている者たちではない。命を捨てて大義を掴もうとする人々だったはずだ。今のコロニーにそんな人物はひとりもいない。
そんな者たちのなかで、自分自身も動物に堕落するのが耐えられない。
戦争を失ったら、自分に残されているのは父がたどったのと同じ惨めな末路だけだ。
それだけは絶対に耐えられない。
余計な重量を切り離したおかげで『ヴァルチャー』の加速力は格段に上がっている。操船技術はギデオンほどではないが、減速して動きの鈍くなった『天燕』にぶつかるぐらいのことはできる。尋常でない加速度に身体が圧迫されるが、軍人として訓練を重ねた肉体は耐え切ってみせた。
外部カメラは地球の地平線上に浮かぶ『天燕』をしっかり捉えている。ズームを最大限まで拡大し、そのなかにいるギデオンを射殺すばかりに、ダリウスは目を見開いた。
「死んで贖え、ブランチャード!!」
男の絶叫が伝播したかのように、『ヴァルチャー』の主推進器は限界以上の出力で一直線に標的めがけて突進した。船の航行AIは異常振動や熱暴走の警報を無数に発したが、ダリウスはその全てを無視した。今やコクピットのなかが赤いのは、アラートのためかそれとも大気圏の断熱圧縮によるためか分からない。
最大加速から衝突までの時間は10秒にも満たない。そのわずかな時間が永遠に続くかに思われた。ダリウスは猛禽そのものの眼光で獲物に狙いを定めていた。全身が加速による荷重で軋んでいたが、その痛みすらも忘れた。
だが、待ち望んでいたはずの衝撃も破壊も、ついに訪れることは無かった。
ダリウスの目の前に、七色に輝く光の幕が現れた。
「なんっ……?!」
一瞬、その光に幻惑された。眼前で『天燕』のスラスター光が閃光の緞帳のなかに隠れる。『ヴァルチャー』の通過する軌道を絶妙に読んだ、最小限の回避行動。進路を修正するだけの時間はダリウスに残されていなかった。
船の高度が100キロメートルを下回る。パーツを分離した際に損傷した『ヴァルチャー』は、大気の壁との衝突に耐えられない。一切が崩壊していくその最期の瞬間、ダリウスは自分が地球北極上空、そこに広がるオーロラのなかで死ぬのだと悟った。
そして禿鷹は、極光の海に沈んだ。
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「『ヴァルチャー』の反応、消失しました」
セレンは、報告した自分の声が妙に
彼女の報告に対して、ギデオンは「そうか」と返した。仮想艦橋は後味の悪い沈黙に包まれている。ペティは荷物の固定に向かったため姿が無く、マヌエラは脱出に向けて全機関のチェックを淡々と行っている。
『セレン、カラスはどうした。離脱できたのか?』
はっと身体を起こした。自分でも意識しないうちにシートに背中をもたれさせていた。当面の危機が去ったため、オペレーターとしての意識が一瞬途切れていたのだ。
「も、申し訳ありません!」
急ぎカラス機の座標を確認する。焦ってはいたがモニターの操作手順は一切ミスしなかった。
そして現れた情報を見て、息を呑んだ。
「カラス機、機能停止……地球の引力に引き寄せられています……」
マヌエラが顔を跳ね上げたのと対照的に、ギデオンは微動だにしなかった。
ただ一言、嘆息混じりに呟いた。
『あの聞かん坊が』