A.D.2159 12/16 21:40
地球圏最終防衛ライン
鉄の飛礫の雨を潜り抜けて、『天燕』は最終防衛ラインに迫りつつあった。
『熾天使』に表面上、動きは無い。しかし最初の一発を撃った後も、常に監視は続いている。
実際、船の電脳防壁は攻撃を受け続けている。航行システムを掌握されればその時点で詰みだ。上手く侵入が進まないのは、『天燕』の電子戦装備が優れているからでもあるが、それ以上に太陽風の影響が大きい。嵐の海に漕ぎ出して正解だったとギデオンは思う。
もっとも、地球人たちが知りたいのはタルシス側の内情だろう。船のメインコンピュータをハックすれば望むものは簡単に手に入る。航行記録、積み込んだ物資、船員同士のやりとり。それらを見れば何もかも筒抜けだ。
結局、地球人たちは宇宙のことを何も知らないのだ。
知らないまま、しかし殺すことを躊躇わらない。
『衛星に反応、対空ミサイルです! 第二宇宙速度で本船に接近、数20。45秒後に接触します!』
声に若干の恐怖を滲ませながら、しかしセレンは発射された数、弾速、到達時間をギデオンに送る。戦術コンピュータも全く同じ情報をギデオンに届けているが、警告は二重三重に行うべきというのが宇宙戦闘の常識だ。
さらに一拍遅れて、セレンは他の船の位置情報や対応までも伝えてきた。この辺りの機転は人間ならではだ。どれほど進歩しても、機械には人間の感じる死の恐怖が理解できない。
地球表面に光条が見えた。打ち上げ人たちも仕事を始めたのだ。あれが『天燕』の目指すゴールテープである。
「総員、耐衝撃姿勢! 危険物から離れ身体を固定せよ!」
ギデオンは船首発射管のRIR-8『フレアパラソル』2発を発射。さらにRDR-17『スマートシープ』を両舷発射管に4発装填、5秒後に全弾発射。
先に放たれた対空ロケットは、宇宙空間に燃焼剤をばら撒きつつ飛翔。一定距離を進んだところで炸裂し、自ら散布した可燃物に火をつけた。
『熾天使』から放たれたミサイルの正面に、二筋の炎の大河が出現する。発生した高熱によって『熾天使』のミサイルは一時的に標的をロスト。また、何発かは炎に巻かれて誘爆する。
紅蓮の緞帳を掻い潜ったミサイルは、機能不全に陥った赤外線誘導装置を遮断。『熾天使』からの指令誘導方式に切り替え、再度獲物を目指す。
しかし、送られてきた情報に『熾天使』の戦術コンピュータは疑問符をつける。彼らの主戦場たる電脳空間では、侵入者の船は5隻認められた。ただちに情報を再収集、何のことはない、ダミーをばら撒かれただけだ。
船から放射状に放たれた4発のダミーミサイルは、爆薬の代わりにウイルスの発信に特化したCPUを搭載しており、敵弾のロックを一時的に混乱させる。けたたましく鳴き喚く羊に騙されて、『熾天使』の対空ミサイルは封鎖突破船の直撃コースからわずかに逸れてしまった。
ウイルスの送信から軌道の再修正までに要した時間は、人間の感覚ではごくわずかなものだった。
しかし宇宙空間で、しかも双方が超高速で運動している場合、数秒の遅れでランデブーは不可能となる。ターンして追いかけようにも推進剤が不足している。万一の誤射や事故を防止するため、ミサイルは自爆を選択。
『天燕』後方で敵弾が全て消失したのを確認して、ギデオンは口元を舐めた。
すでに船は地球低軌道の入口まで差し掛かっている。右弦方向に『熾天使』の巨影が見えた。こちらに興味を失ったのか、対空レーザーやミサイルは後続の船を狙っている。
ミサイルは防御術がいくつかあるが、レーザーは船体のコーティング恃みにならざるをえない。今回は運よくミサイル防御だけで済んだ。値の張る弾を惜しみなく使ったが、仕事が無事に終わるに越したことはない。
「セレン、60秒後に急減速をかける。引き続き耐衝撃姿勢を取るようにアナウンス」
『了解! 総員、本船は60秒後に急減速を行います。引き続き耐衝撃姿勢をとってください! 繰り返します、耐衝撃姿勢!』
前方の地球の姿は、いまや視界のほとんどを占めている。宇宙規模で見れば決して大きな星ではないが、一人の人間として相対するにはあまりに圧倒的過ぎる。そして一隻の宇宙船にとっても、地球の重力は脅威そのものである。ここから先は、その自然の力との戦いになる。
『天燕』は防衛ラインを突破した。
同時にメインスラスターの出力を下げ、逆噴射で船体を減速させる。身体の正面から圧力がかかる。ギデオンは操縦桿を握る手に力を籠めた。我ながら無茶な減速プランを立てたものだと思う。
「ペティ、甲板員どもは大丈夫か!?」
『全員無事だ! いつでも動けるぜ!』
「いつもすまんな……マヌエラ、主機の具合は!?」
『こっちも異常無し!』
「荷物の回収が済んだらもう一度急加速だ。引き続き監視を頼む!」
『了解、船長!』
大気抵抗が減速に十分作用する高度まで、残り約1500キロ。3分足らずで到達する。
結局、この段階に至るまでダリウスの『ヴァルチャー』は仕掛けてきていない。荷物を掠め取ることが目的とすると、減速が間に合わずオーバーシュートする。
(失敗か……いや……?!)
『っ、船長! 後方200キロに『ヴァルチャー』他4隻出現、本船を猛追しています!』
ついに来たか、とギデオンは思った。恐怖や緊張は無い。むしろ、ようやく敵の姿を確認できて安堵したほどだった。
だが、セレンの報告のある部分が頭に引っかかった。
「待て、4隻だと?」
『間違いではありません! 推定速度、秒速14キロです!』
『バカな、あいつら地球に突っ込む気!?』
『間もなく追いつかれますが……!』
先ほど『天燕』で行った減速さえ、船体に大きな負荷をかけた。ましてや『ヴァルチャー』はそれ以上の速度で突っ込み、なおかつ地球の目の前で急ブレーキをかけなければならない。船がもったとしても人がもたないだろう。
「奴ら、減速はしないぞ」
『ギド……?』
「やられた。俺の読み違えだ」
ずいぶん腑抜けた考えをしていたと、自戒するしかない。
そもそも『ヴァルチャー』は荷物の奪い合いなど考えていない。3隻いる僚船も全て敵。もとより争奪戦などという呑気な勝負ではなかったのだ。お行儀よくチェスの駒を並べていたら、盤で顔面をぶっ叩かれたようなものだ。
「ダリウスは……俺たちを沈める気だ」