目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報
第6話

 コクピット内でのやり取りは、他の船員には聞こえていない。それでもギデオンは表情を変えないことに全力を尽くした。過剰な力で握り締められた操縦桿が、わずかに軋む音を立てた。


 ギデオンは鼻を鳴らした。


「またその話か。あんたも焼きが回ったな。海兵隊の辣腕指揮官が今や海賊に落ちぶれた挙句、陰謀論を鵜呑みにしてるなんざ、部下に泣かれやしないか?」


 ダリウスもまた、微塵も顔色を変えなかった。


『貴様が大佐の作戦を妨害しなければ、タルシスはこの戦争に勝利していた。こんな……地上を這いずる貧乏人どもと命賭けで取引をする必要も無かったわけだ。宇宙の民の窮状を招いたのは他ならぬ貴様だぞ、ブランチャード』


「……今度もあんたは俺たちの敵。それさえ分かれば用は無い。喋りすぎて疲れたよ、じゃあな」


 一方的に通信を切断した。


 画面が閉じる寸前、鷲鼻の老海賊の首から上が、黒いひとつ眼の鳥に挿げ変わったのが見えた。


「ふぅ……」


 ボトルホルダーからハイポトニック水入りの水筒を引き出し、喉を湿らせた。仮想艦橋に浮かんだマヌエラがこちらを見ていた。


『やっこさん、何だって?』


「宣戦布告だ。奴め、今度もどこかで仕掛けてくるぞ」


『あのカラスって子はそのための仕込みかい?』


「まさか。あんなハゲタカにぶつけるにはもったいない戦力だ」


 ギデオンはくつくつと笑った。ハゲタカにカラスをけしかけるとは、まるでバードトレーナーだ。


「バレット・フライヤーは出さない。あんなもの……子供には過ぎた玩具だ」


 ボトルを戻し、セレンの方にぐいと身を乗り出す。


「セレン、さっきの通信がどこから飛んできたか逆探知できるか?」


『すでに完了しています。本船の後方400キロをほぼ同じ速度で航行中。周囲に他の封鎖突破船が3隻認められます』


 ペティが口笛を吹いた。皆まで言わずとも仕事をしてくれるのは、優秀さの証だ。当のセレンは表情ひとつ変えずに画面を凝視し続けている。さっきの自分よりもよほど集中力があるな、とギデオンは思わず笑ってしまった。


『他の船となると、そいつらも一味かな?』


 マヌエラが訊ねたが、ギデオンは首を横に振った。


「連中の悪名高さは相当だ。手を組みたい奴はいない。大方、こっちからの隠れ蓑に上手く使われてるってところだろう」


『エンジン出力にはまだまだ余裕がある。振り切るかい?』


「バカ言うなよ、このタイミングで加速したら連中の思う壺だ。『熾天使』に真っ先に狙われる。あのハゲタカもそれが分かって距離を開けてるんだ。


 どのみち防空戦闘が始まれば状況は混乱する。ただでさえ太陽風でめちゃくちゃに荒れてるんだ。連中も舵取りだけで精一杯だろうさ。


 襲ってくるとすれば……」


『前と同じ、低軌道だね』


「だろうな。セレン、引き続き対空監視を頼む。特に『ヴァルチャー』の動きから目を離すな」


『了解しました、船長』


 さてどうしたものか、とシートに座り直しつつ考える。


 400キロ程度の距離など、宇宙戦闘ではあって無いようなものだ。特に前回は、ランデブーのために減速したタイミングを狙われている。こちらが回収するはずだった物資に、先にアンカーを撃ち込まれてしまった。


 低軌道侵入の危険さは脱出時に最も高まる。『熾天使』に真後ろから狙われながら、積荷の分重くなった船足で加速をかけなければならない。


 事前に質量の見当がついていれば、加速タイミングや消費する推進剤の量もある程度予測できる。


 逆に言うと、積荷の質量が分からない状態で物資を回収するのは、宇宙船舶の航行において非常にリスキーな行為なのだ。船の許容量以上の積荷を奪ってしまった場合、ミサイルを振り切ることができず沈められるかもしれない。


 ギデオンが戦わなければならないのは、そういうリスクをとってでも海賊行為を働こうとする連中なのだ。


(ランデブーに遅れるわけにはいかん。かと言って先走ることもできないか)


 背後に回られている時点で『天燕』は不利な形勢だ。『ヴァルチャー』はこちらが減速するタイミングに合わせて船足を調整できる。追い抜くことも、背後に張りつき続けて盾代わりにすることも、思うがままだ。


 対して『天燕』の方は、やるべきことが最初から決まっていて、その筋道をほぼ変えられない。一直線に低軌道に飛びこみ物資を回収するだけだ。しかもそのための侵入ルートは変更できない。少しでもずれてしまうと低軌道の外に飛び出し、ランデブーに失敗してしまう。


 戦いの法則として、先に主導権を握った方が絶対優位となる。そして主導権とは常に攻める側のものだ。その観点からすると、ギデオンの不利は否めない。


(だが勝負が決まったわけじゃない)


 確かに先手を打たれてはいるが、明確に『天燕』が優位に立っている点が三つある。



 一つは、結局目標地点まで近い位置にいるのは『天燕』であること。



 二つ目は、『天燕』のターゲットがどのコンテナなのか、『ヴァルチャー』側には回収直前まで分からないこと。



 そして三つ目は、強化人間を乗せたバレット・フライヤーという、およそ民間船が持つには過剰な戦力を投入できること。



 しかしギデオンとしては、三つ目の選択肢は論外だった。よほどのことが無ければ切るつもりのないカードだ。


 封鎖突破船という存在は、地球とタルシスの間の微妙な政治力学によって成り立っている。地球側からすると、あらためて戦端を開くには脅威度が低く、さりとて無視し続けることも軍の沽券に関わる。地球の電力が逼迫しているのは事実なので、バッテリーの投下自体も部分的には見過ごされているのが現状だ。



 故に、『熾天使』の攻撃で数隻ばかり「生け贄」となってくれたら、地球側としては好都合なのだ。



 しかし、ここに過剰な戦力が投入されるとなると話は別だ。地球は自分たちの身を守るために、月の駐留艦隊を動かしてタルシスの喉元に刃を突きつけるだろう。


 そうなれば、何とか漕ぎつけた停戦という現状を壊してしまうかもしれない。



 バレット・フライヤーは、その起爆剤に成りかねないほどの力だ。



 故にギデオンとしては、最初の二つの優位点をフルに活かすしかない。


 手元のコンソールで数字を打ち込み、航行AIに作戦の可否を問う。ディスプレイ上を複雑な文字列が滝のように流れていくが、要は「なんとかいける」という答えだった。


「ペティ、マヌエラ。こいつを見てくれ」


 二人の表示しているディスプレイに演算結果を飛ばす。返ってきたのは二人の「はー……」という間の抜けた声だった。


『水切り機動かい……なんとまあ古典的な。ギド、あんたも大概オタクだねえ』


「何言ってる、船乗りなら常識だろ」


『そりゃ200年前の常識でしょ?』


 かつてソビエト連邦によって編み出された大気圏再突入技術。ギデオンが引っ張り出したのはそれだった。


 大気圏外から地球に向かう場合、当然ながら大気の壁にぶつかることになる。超高速で大気に飛びこんだ宇宙機の前方では、逃げ場を失った空気が極限まで圧縮され、船の先端部は時に数千度にも達する。


 逆に言えば、大気とはそれほどまでに分厚いクッションであり、『天燕』を脱出速度まで減速させる助けとなってくれるのだ。


 地球と宇宙のやり取りがロケットで行われていた時代の技術であり、軌道エレベーターの完成以降はほとんど使われることも無くなった。そして、地球と宇宙の間の戦争によって軌道エレベーターが破壊され、天と地の行き来が無くなった現在、ほぼ忘れられた技術である。


「この方法で、地球の大気を何度もかすめて減速、直接荷物を迎えに行く。馬鹿正直にランデブー地点で待ってる必要は無いんだ。ハゲタカどもが気づいたとしても、この方法なら奴ら、狙いたくても狙えない。下手すれば自分たちが地球に引きずり落とされるからな」


『あたしらがそうならないって保障は?』


「俺の操船でどうにかする」


『はぁ……まあ良いや。ともかく減速、減速、減速、キャッチ、その後に大加速。エンジンに相当な負荷をかけることになるよ。帰ったらオーバーホールだ』


「なに、金はクェーカーが出してくれる……ペティ! お前の大好きなトローリングだ。良かっ……おい、ポッドのなかで暴れるな!」


『最高じゃねえか! 粋だぜギド!!』


「ったく、いい加減に落ち着きってものをだな……!」


 亀の卵のように狭いクレーンポッドのなかでガタガタと巨体を揺らしている副長に更なる説教を加えようとした時、仮想艦橋を鋭い警告音が切り裂いた。


『地球軍防衛衛星を捉えました。映像を出します』


コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?