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第2話

A.D.2159 12/16 18:30

封鎖突破船『天燕』 食堂



 封鎖突破船のメシは美味い。セレン・メルシエは『天燕』で仕事を始めてから、自分の体調が目に見えて良くなったと自覚していた。


 セレンは20歳。士官学校の特進科を卒業している。しかし初対面の人間からはたいてい、軍人どころかハイスクールの生徒と間違われてしまう。小柄で顔つきも柔らかく、気弱な雰囲気が漂っているためだろう。内向きに癖のついた亜麻色の髪も、温和な印象を与える一因になっていた。


 現に彼女自身、軍人になる心構えなどまるでできていなかった。


 14歳の時に戦争がはじまった。当初、セレンにとってそれは遠い世界の出来事だった。


 しかし戦況の悪化に伴い、軍が食糧の統制を始めると、毎日三食食べることも事欠くようになった。彼女の家は両親の他に祖母と二人の弟を抱えている。自立できそうなのは彼女だけだった。


 早い話、食うために軍人になった。


 元々適正があったためか、セレンはタルシス宇宙軍士官学校の特級科に入れられた。


 特とつくと聞こえは良いが、要は促成栽培の士官候補生として早々に前線に出すための方便である。それはセレンもよく理解していた。覚悟も無いまま戦場に出る日が近づいていることに、何度となく神経を揺さぶられた。


 そんな戦争が、卒業を間近に控えたタイミングで終わった。


 正確には地球、タルシス両勢力の息切れに起因する、なし崩し的な停戦であった。しかし、今すぐに死地へと駆り出されることは無くなったのである。当初、セレンはそのことを素直に喜んでいた。



 呑気にしてはいられないと気づくまでに、そう時間は掛からなかった。



 停戦とは戦闘が行われていないだけで、戦争状態であることに変わりはないのだ。


 しかし地球軍主力がデブリの雲によって物理的に発進を妨げられている以上、タルシス側にとって脅威は存在しないに等しい。


 唯一、月面基地に退避した艦隊だけは戦闘力を維持しており、タルシス軍も警戒体制を敷いている。それにしても、過剰な戦力など必要無く、また維持し続けることも不可能であったため、軍は必然的に縮小せざるを得なくなった。軍隊というものは、社会の構成人員を大量に吸い上げているのだから。



 その結果、セレンは学校を出こそしたものの、軍という内定先を失った。



 よもや実家に蜻蛉返りをするわけにもいかず、宇宙港で管制官の仕事にありついたが、半年ほどで身体の不調を隠しきれなくなった。


 食料は依然配給制のままで、内容にも大きな偏りがある。カロリーは比較的容易に作り出せるが、野菜や肉類はそうはいかない。コロニーという限られた土地しか無い空間では、大量生産をするための土地が確保できない。


 光合成で二酸化炭素を分解してくれる野菜類はまだ何とかなった。戦時中から、コロニーの一般家庭は家庭菜園を持つことが当たり前になっており、建物の屋上はどこもかしこも野菜で覆われている。


 しかし肉となるとそうはいかない。


 育てる場所が無く、酸素も水も消費し、処理すべき排泄物まで発生する。衛生面も清潔に保たねばならず、怠れば疫病が蔓延する。


 つまるところ、セレンの栄養失調の原因は、八割方肉不足である。


 タンパク質は豆類で解決できるとしても、ミネラルが足りない。


 戦時中には、政府の御用学者が「宇宙人類総食仙化」を謳い、ヴィーガニズムを社会全体で受け容れたタルシスこそ人類の理想郷などと説いていた。きっと言った本人も信じてなかったに違いないとセレンは見ている。


 コロニーで生まれ育ったセレンにとって、ヴィーガンとは贅沢そのものの考え方だ。嫌悪しているわけではないが、自分とは相容れない思想である。


 だが恐ろしいことに、戦争特有のテンションというものは、そういう愚かしい言説を信じさせてしまうのだ。士官学校の同窓が、ジャガイモの万能性を力説してそれのみ食べ続けた挙句、病院に担ぎ込まれた事実をセレンは目撃している。


 もっともこの一件に関しては、単に食生活をイモに限定した彼がアホだっただけであって、ヴィーガニズムの負の証明として使えるかは微妙なところと言わざるを得ない。


 停戦という局面を迎えたことで、コロニーの住人たちにかけられていた麻酔は効き目を失った。



 後に残ったのは、隠しようもない飢餓感である。



 セレンとてその当事者の一人だ。だからこそ、地球から打ち上げられる食料に真っ先に手をつけられる封鎖突破船は、格好の就業先だった。


 今夜の夕食は、普段のものに輪をかけて豪勢だった。


 メインはトマトミートライス。


 トマトペーストで煮込まれたランチョンミートと肉団子、玉ねぎにはしっかりと塩コショウがきいている。チープでボリューミーなソースだが、微かにオリーブオイルと唐辛子の香りがした。これはとんでもない贅沢である。


 唐辛子は香辛料の一種。あると食卓が華はなやぐが、無くても別に困らない。


 しかし、このプラスアルファが有ると無いとでは大きな差がある。コロニーの限られた農地では余計なものなど作れない。


 それにしても、一本の唐辛子を有り難がるなど、まるで大航海時代以前に時間を巻き戻したみたいだ、とセレンは思う。


 いつもであればペロリと完食するところだ。


 だが今は、まるで喉を通らない。食道を紐で縛られてしまったかのようだ。


「さすがに緊張してるね」


 後ろから声が聞こえた。セレンが振り返ると、機関長のマヌエラ・エスキベルが立っていた。褐色の肌や、こざっぱりとした黒い髪が若々しい印象を与えるが、二児の母である。もちろん船には乗せていないが、右手には自分の皿を、左手には二人分の保存容器を掴んでいた。


「となり、良い?」


「もちろんです」


 セレンは微笑んだつもりだったが、やや硬い顔になってしまうのは避けられなかった。それを見て、マヌエラはニッと笑った。緊張など少しも混じっていない、自然な笑みだった。


「セレンにとっちゃ初めての大仕事だもんね。無理もないか……でも、どんなに緊張してても、食えるうちにしっかり食っといたほうが良い。人間、結局コレなんだから」


 腰を下ろしつつマヌエラはポンポンと腹を叩いた。暇を見つけてはトレーニングに勤しんでいるので、アスリートのようにスリムな体型を維持している。本人曰く美容のためではあるが、宇宙船に乗り込む人間として、肉体を鍛えることは必須業務と言っても過言ではない。


(わたし、運動足りてないかなぁ)


 セレンの仕事はオペレーターである。仕事中はほとんど席から動かない。主な仕事は各コロニー宇宙港や他の船舶との交信、通信設備の維持管理、そして有事の際には電測員も兼ねることになっている。



 そして今まさに、その「有事」の渦中に船ごと飛びこもうとしているのだ。



「機関ちょ、ええと、マヌエラさんはあるんですか? 低軌道への侵入なんて……」


 士官学校にいた頃の名残でつい役職名で呼びそうになるが、本人からは「堅苦しいからマヌエラでいい」と言われている。


 セレンの質問に対して、マヌエラは気軽に「まあね」と返した。


「地上から非合法で打ち上げやってる奴のロケットなんて、一世紀前のオンボロばかりさ。酷いケースだと、せっかく命懸けで突っ込んだのに肝心の荷物がエアボール……ってことも覚悟しとかないとね」


 しゅっ、とマヌエラはワンハンド・シュートの真似をした。セレンも彼女からスリー・オン・スリーに誘われているが、背が低いので遠慮している。


 ベテランの機関長は気楽に言うが、地球低軌道は統一政府軍の4基の無人防空衛星によって常時監視されている。1基あたりに迎撃ミサイル400セル、対空レーザー砲台20基、対艦大型レーザー砲1門。戦艦並みの重武装。それぞれ四柱の熾天使の名前が与えられた、楽園を守護する『回る炎の剣』。



 まさに命知らずの特攻。それで成果無しとなったら、死んでも死にきれない。



「もしそうなったとしても、荷下ろしはするんですね」


「もちろん。でなきゃ商売として成り立たない」


 地球、タルシス間の戦争は六年前に始まっているが、貿易封鎖はそれ以前から行われている。これによってコロニー社会は大きな打撃を被ったが、一方で地球の一部地域にも大きな影響をもたらしていた。


 現在の地球は、名目上は統一政府によって管理運営されているが、全ての地域が平等に繁栄しているわけではない。旧時代から連綿と積み上げられてきた資本の格差は、地球上に富める場所、貧しい場所の双方を生み出した。


 そして、裕福で安定した社会のためには、大前提として十全に整備されたインフラが不可欠である。


 戦時下にあっても、富裕層が暮らす地域は混乱とほぼ無縁でいられた。しかし電力をはじめとしたインフラが整っていない地域は悲惨である。地球全土の文明レベルが上昇したことで、必要とされる電力も膨大なものとなっていた。それを独占できるのは、結局のところ、一部の裕福な人々のみである。


 そんな地上人たちにとって、封鎖突破船が投下するバッテリーパックは生命線と言えた。


 ある土地では価値の無いものが、別の土地に行くと途端に価値を持つようになる。


 宇宙の住民にとって、電力だけは太陽から無尽蔵に、最大の効率で入手することができる。そもそも宇宙移民の目的の一つが、大規模宇宙太陽光発電システムの保守管理だったのだ。


 逆に言うと、コロニー社会から地球に送り出せるものは、それくらいしか無い。


 それほどまでに、宇宙とは痩せた空間なのだ。


「……セレン、あんた、戦争で誰か身内を亡くしたかい?」


 マヌエラは静かに訊ねた。セレンは首を横に振った。「そっか」と機関長は息を吐いた。彼女の夫が軍にいたことをセレンは知っている。未帰還であることも。


「なんで地球の奴らと取引なんざって、思わないでもなかったよ。けど地球にだって、うちのチビたちと同じくらいの子どもがいるって思うと、どうしても憎めなくてね」


「……」


「ごめんね、不幸自慢がしたかったわけじゃないんだ」


「分かっています。わたしも……ちゃんと覚悟はしているつもりです」


 まずは目の前の皿を平らげよう。そう思い、セレンはスプーンいっぱいにトマトミートライスを載せた。まだ喉につっかえるようだったが、水で押し流した。


 その様子を見ていたマヌエラは小さく微笑むと、食堂の後ろの方に目を向けた。


 新入りの少年は、レーションしか食べていなかった。


(あっちの新入りは、大丈夫かねえ?)


 こういうのが老婆心というのだろうか、と胸のうちで呟いた時、ぼろぼろのエプロンをつけた船長が厨房から出てきた。


「あと十分でミーティングだ。まだ食ってるやつはとっとと平らげろ」


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