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第1話

 A.D.2153、人類は宇宙と地球に分かれ、史上初の宇宙戦争に踏み切った。


 コロニー連合国家タルシスによる不平等条約是正の要求に対し、地球統一政府は宣戦布告という形で返答。戦いは5年の長きにおよび、双方に甚大な被害をもたらした。


 大小無数の戦闘が行われたが、双方ともに決定的な勝利を得られず、なし崩し的な停戦が成立する。


 結果、地球は膨大な量のスペースデブリに覆われ孤立。対するコロニーは物資欠乏と生産能力低下により飢餓に見舞われた。


 宇宙の人々にとって、地球という豊かな井戸からの恵みを汲み上げることは必要不可欠であった。たとえ自律兵器に撃墜されようとも、デブリにぶつかり難破しようとも。


 今日という日を乗りこえるため、宇宙の民は封鎖突破船に乗り込んだ。


 ギデオン・ブランチャードもまた、そうした船乗りの一人だった。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――




A.D.2159 12/16 10:02

スペースコロニー・タルシスⅣ-Ⅱ



 ギデオンは引き会わされた少年の肩に、単眼の黒い鳥が留まっているのを見た。


(死神の鳥……)


 瞬きをすると鳥の姿は消えていた。入れ替わるように灰色ずくめの服の女が少年に歩み寄って、右手を肩に置いた。


 美しい女性だった。仕事の依頼が舞い込むたびに顔を合わせているが、その印象が揺らいだことは一度も無い。顔の周りを飾るくすんだ金色の髪やアイスブルーの瞳には無二の気品が宿っている。修道服のような禁欲的な姿が、かえって秘められた美しさを引き立てていた。


 万人を魅了できるような美女を前に、しかしギデオンは苛立ちを覚えていた。


 この見目麗しい船主オーナーから無理難題を押しつけられることは構わないが、今度のこれ・・は彼の逆鱗に触れている。


「急にお呼び立てして申し訳ございません、ギド」


 長い眉毛をわずかに伏せて女は言う。


「クェーカー……俺の前に強化人間を連れてくるとは、どういう魂胆です?」


 口調こそ丁寧さを保っているが、語気にはほとんど殺意に近い怒りが込められていた。


 だが190センチに迫る屈強な男に凄まれても、灰色の服の令嬢はいささかも脅えていない。彼女自身の胆力故でもあるが、それ以上にギデオン・ブランチャードという男は目先の怒りに我を忘れるほど浅はかな人間ではないと知っているからだ。


「ブラックマーケットに出展されていたところを買い取りました。静止軌道会戦で投入されるはずだった、特殊攻撃機隊の生き残りです。乗機のなかで休眠状態のまま漂流していたところを回収されたとのことでした」


「特殊攻撃機隊……よりにもよって……」


 ギデオンは舌打ち混じりに頭を掻いた。その部隊の名前は彼の忌まわしい記憶に焼きついている。


 戦争末期の狂乱のなかで結成された、地球軌道上から核弾頭を投下するための強襲部隊。作戦を立てた者も、それを許した者も、揃って気が狂っていたとしか思えない。


「そいつの乗っていた機体に核弾頭は」


「合わせて買い取っています」


「強化ステージは」


「ステージ4、精神漂白済み。コールサイン以外全ての個人情報は抹消されています」


 ほぼ廃人か、と本人の前で言うのはさすがに気が引けた。


 ギデオンはあらためて少年の姿を爪先から頭頂部まで眺めた。


 第一印象は「痩せっぽち」だった。年齢は17、8程度であろう。黒い髪は短く刈り上げている。涼しげな目鼻立ちをしているのでやや大人びて見えるが、表情は全く無い。顔に白い紙を張りつけた方が、まだ温かみが出るのではないかと思った。しかしそれを本人のせいにするのは酷だとギデオンも分かっていた。



 強化人間。先の戦争で、戦力に劣るタルシス宇宙軍が地球に勝利するために利用した生体兵器である。



 5年間にわたる地球、宇宙間の戦争は当初、圧倒的な国力を持つ地球軍の快進撃によって早期に決着すると目されていた。


 人類生存圏の文字通り最果てタルシスであるコロニー軍には満足な戦力はおろか兵糧すら揃っておらず、各ラグランジュ点に分散配置されたコロニーは次々と地球軍の攻撃で陥落していった。


 スペースコロニーは人類の新たな生存圏。地球側も安易に破壊しようとはしなかったが、戦場において暴力の完全な制御など不可能である。


 難民が生じることも、戦災孤児が生じることも、そして彼らを受け入れるためのコロニーそのものが崩壊することも、戦争の必然だった。


 追いつめられたコロニー軍は、地球に対して瑞々しい憎悪を抱いている少年少女を利用することにした。住む場所を失い、憎しみのほか何も手元に残らなかった彼らは、軍隊にとって最高の兵器となった。


 ある者は歩兵となり、ある者は戦艦の乗組員となり、そして特に優れた素質を持つ者にはより高レベルの強化処置が施され、宇宙軍の最終兵器に搭載する生体パーツとして扱われた。



 機動兵器バレット・フライヤーで構成された部隊。彼はその生き残りなのだ。



(何の因果だ)


 口から洩れそうになった溜息を辛うじて封じ込め、ギデオンは再びクェーカーに視線を戻した。


「それで、俺にこいつを引き合わせた理由は?」


「貴方の船で引き取っていただきたいのです」


「冗談はやめていただきたい」


 ギデオンは不愛想に言い放った。


「引き取って何をしろと? ガキの面倒を見るのは貴女の領分だろう。自前の孤児院にでも何でも入れれば良い」


「考えないではなかったですけれど、ここは船長にお願いするのが最善だと思ったのです」


「身元も分からない、どころか自我さえ曖昧な状態のガキを船に乗せろと? 封鎖突破船がどういう船か貴女はよく知っているはずだ。もし武器として使えと言うつもりなら俺は……!」


 なおも言葉を吐き出そうとした時、それまで目を伏せていたクェーカーが顔を上げ、透き通った瞳でギデオンを見返した。




「ギデオン。貴方がこの少年を人間に戻すのです。その責務が貴方にはある」




 決して手をあげられたわけではない。


 しかしギデオンにとって、横っ面を叩かれるような一言だった。


 クェーカーの顔からは、先ほどまでの柔らかな微笑が嘘のように掻き消えていた。託宣を告げる天使のように厳かな表情だった。ギデオンは今年で36歳、一方彼女の方はというと20代の半ばも過ぎていないような外見をしている。それにも関わらず、この灰色の令嬢には人を圧倒してしまう何かが備わっていた。


 ギデオンが、彼女を苦手とする理由だ。


「責務だと?」


「そうです。これは貴方のためにもなる……貴方が自分の過去を忘れ去っていないのならば」


 忘れられるものか、と口に出かかった言葉をギデオンは飲み込んだ。だが、押し黙った時点で答えを言ったも同然だ。


 頭のなかに、触れるだけで痛みを生じさせる箇所がある。そこを突きまわして、今までさんざん自分を責め苛んだ。いっそ脳味噌ごと記憶を切り取りたいと何度願ったことだろう。


 技術的にそれは決して不可能ではない。


 だが、その選択肢を採れるほど彼は非倫理的にはなれなかった。


「……ずいぶん自信がおありですね」


 皮肉交じりに言うが、クェーカーは微塵も動じない。


「ええ。わたくし、人を見る目はあると自負しております。船長ならばきっと彼の運命を良い方向へと導いて下さるはずですわ。


 そして、貴方自身の運命も」


「そういう物言いは嫌いです」


 ふとギデオンの脳裏を一人の男の影がよぎった。彼女の言葉遣いはその男のボキャブラリーを想起させる。反射的に言い返してしまったのも、思い出すも忌まわしい影を少しでも遠ざけたかったからだ。



「……わかりました、受けましょう」



 降参だ、とギデオンは両手をあげた。クェーカーは再び相好を崩した。不思議なことに、こういう時だけは年相応の笑顔になる。それが騙されやすい人間を上手く転がすコツなのだろう、とギデオンは思っている。


 どのみち、船主の命令なのだ。雇われ船長の身分では嫌とは言えない。


 それに言葉にこそしなかったものの、クェーカーが口にした「責務」という単語は、ギデオン自身が意識する以上に彼の心を揺さぶっていた。


「うちは万年人手不足だ。船に乗せる以上、仕事はさせます。良いですね?」


「無論です。彼もそれを望んでいます」


「こいつが?」


 少し驚いた。


 ステージ4の強化処置では、高度な催眠や重度の肉体改造、薬物投与および精神漂白が施される。出撃時以外では、命令があるまで彫像のように動かない。


 自身の意思を表明する力は真っ先に衰える。バレット・フライヤーの搭乗者には自意識など求められない。


 それでもなお自我が残っているのならば、あるいは人格の回復も不可能ではないかもしれない。


(見込みはある、か?)


 元の彼がどのような生い立ちだったのかは知りようもない。全て薬剤と催眠によって溶解してしまったかもしれない。


 だが、戦争で山ほど人が死んだのだ。生き返る人間が一人くらいはいても良い。


「お前、名前は」


 試みに、ギデオンはたずねた。


 少年はモーター駆動の玩具のような不自然な動きで、首をギデオンの方へと向けた。赤い瞳が揺れ動いた。感情の表出ではない。義眼の中のカメラがピントを調整したからだ。


「EB787」


 少年の答えは簡潔だった。自分の口にした言葉が、名前ではなくただの管理番号であることに微塵も疑念を抱いていない。


「それは名前じゃなくて番号だ。本当の名前は?」


「消去されている」


「名前が欲しくはないのか?」


「不要」


「お前がそうでも俺たちが困る。名前が無きゃ、お前を生きた人間だと思えない」


「人間と思う必要は無い。自分は道具と認識している」


「……クェーカー。これを意思と言いますかね?」


 クェーカーはゆっくりと首を左右に振った。言葉にしては何も返さなかったが、顔には「それをどうにかするのが貴方の仕事でしょう?」と書いてあった。


 人前で溜息をつくのは人ができていない証拠だ、とギデオンも理解しているが、それでも我慢できなかった。


 そしてすぐに気分を切り替える。



「よし小僧、お前の言い分は分かった。


 道具でいたいというなら、それもまぁ良いだろう。自分をどう規定するかなんぞ、こっちが気にすることじゃない。


 だがな、名無しのままだと仕事に障る。だから今ここでお前に名前をやる」



 少年はギデオンの宣言に対して、微かに瞼を痙攣させた。だが道具として扱ってほしいと言った以上、命名権はこちらのものだ。自分で自分に名前を付ける道具など在りはしないのだから。


 ギデオンは室内をぐるりと見渡した。仕事のたびに通されているクェーカーの執務室には、彼女の衣服同様に地味な調度品ばかりが置かれている。見た目が質素なだけでいずれも名品揃いなのだが、いかんせん白や灰色だらけなのだ。


 そのなかで、ふとギデオンは壁に掛けられた絵画に目を向けた。


 ノアの箱舟の物語に取材した絵画。大雨が止み、ノアが船から鳩を放つ場面の絵だ。


 一方、彼とその家族がいる場所とは反対側の舳先へさきに、一羽の鴉がぽつんと留まっている。


 鳩は二度放たれ、一度目は陸地があらわれたことの証であるオリーブの枝を持ち帰った。二度目に放たれた時には、ついに帰ってこなかった。


 しかしそれより前に放たれていた鴉は、船に何も持ち帰ってはこなかった。




 期待外れの鴉。




「レイヴン……いや、見たところアジア系、日系か……?


 ならカラスで決まりだ。今日からお前をそう呼ぶことにする」



「カラス……?」


「そうだ。地に足つけれず困ってるお前には、ちょうど良い名前だろう?」


 カラスと名づけられた少年は、いささかも表情を変えなかった。だが、鉄面皮の裏でかすかに困惑が生じているのをギデオンは見逃さなかった。


 あとは全てこちらのペースで進めるだけだ。


「クェーカー、仰せの通りこいつは預かりますよ。もちろん付録つきで」


「そう言ってくださると信じておりました。じつはもうペティさんにお送りしてますの」


 ギデオンは苦笑した。実にちゃっかりしている。


 あんな兵器には二度と関わりたくないと思っている。だが強化人間の人工臓器や義眼の調整には、結局あの機体のメインコンピューターが必要なのだ。


 その時、二人のやり取りを計っていたかのように、ギデオンの腕につけられたセクレタリー・バンドが通知音を響かせた。彼の物は古式ゆかしい機械式時計を模した大型モデルだ。スケルトン式で、大小様々な歯車で構成された精緻なギミックが透けて見える。懐古趣味的ではあるが、彼はこの遊び心に溢れたシリーズを愛用していた。


 ギデオンが竜頭りゅうずに触れると、時計の内部機構の一部が点滅し、腕の上に屈強な大男の上半身が浮かび上がった。


『ギド、ついに来やがった! 地球からの合図だ!』


 大男は興奮を隠そうともせずそう言った。もし実体が目の前にいたなら、唾が顔中に飛んでいただろうとギデオンは思った。


「落ち着けペティ。投入予定軌道は?」


『低軌道だ。地上の奴らのロケットじゃ、そこまで飛ばすのが関の山だろうが……地球軍も動きを察知して『熾天使』の出力を上げてやがる。今度は今まで以上に派手な仕事になるぞ』


「ふん、ちょうど良い」


 ギデオンはちらりとカラスを見やった。すぐに時計に顔を戻す。


「すぐそっちに戻る、全船員に召集をかけろ。クェーカーからのプレゼントは届いてるな? そいつも積み込んでおいてくれ。準備が終わり次第すぐに出航する」


 あいよ! と言い残して通信は切られた。


「例の荷物、ついに来ましたね」


 普段は興奮を表に出さないクェーカーさえ、かすかに声を震わせていた。


「ギド、どうかご武運を」


「分かっています。今回は……絶対に成功させる」


 ギデオンは絶対という言葉を軽々しく使わない。クェーカーには彼の決意が十分に伝わった。


「喜べカラス。さっそく実地研修だ。仕事は身体で覚えるに限る」


「仕事?」


「ああ」


 バンドの位置を確かめるように軽く腕を振った。そして、獰猛な笑みを浮かべた。


「封鎖突破だ」


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