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第44話 狐の恩返し (メニュー:いなり寿司)

 私がその狐に出会ったのは、買い出しの帰りのことだった。

 狐はぐったりとしていて、子供も居る様子だった。しかしながら子供にあげる乳も出せないのだろう。親子ともにぐったりとしている。

 このままでは親子に待ち受けているのは――死。

 そう思った私は、昼飯のつもりで用意していた握り飯を二つ地面に置いた。


「母親は、子供のために栄養をつけるものだぞ」


 そう言って、私は優しく狐の頭を撫でてあげた。

 たまには優しさを見せているな、だと?

 ふざけるな、私はいつも優しいんだ。そうだろう?




 私がボルケイノの扉を開けたときには、もう昼ご飯を食べる時間と捉えるには三時間ほど遅い時間となっていた。


「メリューさん、遅かったですね。何かありました?」

「遅かった……。ああ、でもそんな時間が経過していたか。ちょっと野暮用でね」


 私を出迎えたのは店員のケイタだ。ケイタはもう長くボルケイノに務めている。彼を信頼している、といえばその通りかもしれない。留守を一人で任せるくらいには信頼出来ている。


「野暮用って、買い物では無くて?」

「女性には、秘密にしておきたいことがあるのだよ。覚えておきなさい」


 私はケイタにそう言って、キッチンへと向かっていった。先ずは購入した材料を保管しておかねばなるまい。

 因みに材料の保管場所の管理はすべて私が行っている。そこだけはあまり他人に弄ってもらいたくないものだ。それくらい、料理を作る人間なら共感してもらえるような内容だと思うがね。

 さて。

 食材保管庫はキッチンから少し離れたところにある。近いところにあれば便利じゃ無いか、って? そんなもの、私の知ったことでは無い。ここの前任者がそういう作りにしたのだから、私はそれに従うだけだ。ボルケイノも居抜きのようなものだからな。表現としては間違っているかもしれないが。

 食材保管庫は材料のカテゴリごとに整理されている。例えば調味料、例えば生もの、例えば非常用食料など、そのカテゴリは五十に及ぶ。因みにここは魔法を使って温度を低く保っているため生ものでも一日は持つ。かつてケイタが『レイゾウコみたいだ』とか言っていたが、まあ、そういえば説明がわかりやすいのかもな。

 材料をさっさと保管して、私は昼飯を作るために適当に材料を物色する。なにせもう夕方に近い時間だ。軽く口に入れておけば問題ないだろうが、それでもある程度のボリュームが無いと夜まで持たない。


「さて、どうしたものか……」


 と、ふと私の視界にあるものが入ってきた。


「そういえば、これもそろそろ食べてしまわないといけなかったか」


 と呟いたと同時に、私の中で電撃が走るかの如く、レシピが構築されていく。

 食材を持って私が保管庫を出たのは、それから数十秒後のことであった。

 キッチンに食材をどさどさと置いていく。ケイタはすっかり暇になってしまったのか、家から持ってきた宿題を片付けていた。学生は勉強が本業だからな、私はそれを見てとやかく言うつもりは無い。私だって学生として勉強に励んでいた時代もあったわけだからな。

 それはそれとして、私は食材を見渡す。うどんにマキヤソースにグロトという魚の節、それにメインとなる油揚げ。うん、完璧だ。……と思ったけれど、何か足りないような?


「あれ、メリューさん。きつねうどんを作るんですか?」


 気がつけばケイタがキッチンにやってきていた。


「ケイタ、片付けは終わったのか?」

「終わったも何もとっくに終わっていますよ。ずっと暇ですから本を読んでいました」

「本? それは私にも読める物か?」

「言語さえ分かれば読めるかもしれませんね」


 だったらその壁は簡単に取り除けそうだな。何せケイタは私が普段使っている言語を使っているのだ。だったらケイタが普段使っている『ニホンゴ』とやらも簡単に使うことができる……はず。うん、確定ではないけれど、出来ない話では無いと思う。

 さて。

 ケイタとの話はそこまでにしておこう。問題は今から食事を作るということ。何だかとっても時間が経過した気がするけれど、そんなことはどうだっていい。とにかく今は私のお腹を満たす食事を作れればそれで構わないのだから。


「……ケイタ。とりあえず私は今から食事を作るから。まあ、誰か来たら対応は出来るし、気にしないでおいて。……一応確認しておくけれど、あなたの分は作らなくて良いわよね?」

「ええ。大丈夫ですよ」


 ケイタの確認も取って、私は漸くきつねうどん作りに取りかかることが出来る。とは言ってもそんな難しい話じゃない。既にうどんはあるし、どちらかといえばつゆを作る時間のほうがかかるかもしれないな。それは何とかするしか無いけれど、あんまり時間がかかりすぎると変な時間に食事を取ることになるのだよなあ……。

 そう思っている間にも時間は進む。そう思った私は、ゆっくりとうどん作りに取りかかるのだった。



 ◇◇◇



 私の目の前にきつねうどんができあがるまで、約十五分の時間を要した。

 私の料理にしては時間がかかった方かもしれないが――、まあ、仕事じゃないからこんなものだろう。プライベートでも食事を作らないといけないのは非常に面倒な話だ。そんなことをケイタに愚痴という形で言ったことがあるが、あいつはそれに対して「俺の世界はもっと便利なものがありますから、面倒だったらそこに行きますけれどね」などと言っていた。私の世界にはそんなものがないから、言っているのだろう! なぜ分からないのか、というか、若干論点がずれていることに気付いていないとでも言えば良いか。

 承前が長くなったが、私も腹が減っている。急いで食べないと客がやってきてしまうだろう。調理中は運良く来なかったが、食べている間に来たら自ずと中断せざるを得なくなるから、麺がスープを吸ってあまり美味しくなくなってしまう。歯ごたえが無くなる、とでも言えば良いかな。ああいう感じだ。


「……いい香りがしてきましたね」


 ケイタもできあがったタイミングでなぜかやってきた。何だ、結局腹が減っているんじゃないか。そんなことを思ったが、まあ、それは言わぬが花というものだ。気付けば二人分の分量でちょうど良いくらいのボリュームできつねうどんを作っていたが、これはきっと普段のパターン、というやつだ。いつも通り、とでも言えば良いだろうか。

 私は二人分のきつねうどんをよそって、少し離した位置にケイタの分を置いた。


「あれ? 俺の分、用意していただけたんですか」

「食べたそうな顔をしているからな」


 ……嘘だ。

 ほんとうは気付けば二人分作っていた、というだけなのだが、そんなこと言えるわけが無い。

 だから普段のように超スピードでうどんを作ったと言うしかない。


「そいつはどうも、ありがとうございます」


 そう言って、ケイタはうどんの皿を取っていった。

 相変わらず、ケイタは細かい要所要所で律儀だ。やっぱりしつけが良いのだろう。かつてサクラに聞いたことがあるが、言葉を澱んでいた。どうしてだろうか? いつか明らかになるときが来るだろうか。

 さて。

 ケイタはカウンターのほうへ向かってしまったので、厨房には私が再び一人残る形となった。まあ、それは想像の範囲内だったので、別に問題ないのだが。

 私はきつねうどんを食べることにしよう。箸を手に取って、うどんを掬う。そしてそのうどんを口に入れて思い切り啜る。

 うどんにマキヤソースベースの味が絡んで、美味い。我ながら完璧なできあがりだと思う。

 さて、揚げを食べてみるとしようか。

 そう思い、私は油揚げを箸でつかみ、そのまま口に運ぶ。

 噛み切ると、口から染みこんでいたスープが口の中に流れ込んでいく。

 ああ、美味い。

 それでいて、油揚げにもともと入っている甘さが際立って心地よい。

 そのために敢えてスープの味をしょっぱくしていたが、正解だったようだ。

 市販のものを購入したので味付けは少々気になっていたが、それでもこの味付けにはちょうど良い。ともなれば、大成功と言えるだろう。


「今度は油揚げからここで作るか……。さすがに大豆の栽培は難しいが」


 一応畑はあるが、さすがに全部自作は難しい。ある程度はものを購入する必要があるわけだ。それは技術的問題もあるが、近所付き合いの観点からもそう言える。

 例えば、すべて自作の材料で賄えたとしよう。となると、わざわざ材料を購入する必要がなくなるわけだ。実際にはそんなことはこのボルケイノではほぼ有り得ないことと言って過言では無いのだが。

 さて。

 そんな昼飯のこともあっさりと忘れ去ってしまって、夕方まで結局誰も客はやってこなかった。

 仕方ないと言えば仕方ないことにはなるのかもしれないけれど、やっぱり暇なことには変わりない。


「……にしても、ほんとうに暇だな」


 溜息を吐いて、私はカウンターのほうをちらりと見てみた。

 暇なことはケイタも同じようで、ケイタは学校の宿題をはじめている。別にそれは悪いことではないし、私もそれを認めている。もともと暇なところだから、暇な時間は自分のために使ってしまって構わない、というのが私のスタンスだ。私、というよりもボルケイノのスタンスといったほうがいいかもしれないけれど。

 ま、それについてはあまり考えないほうがいいだろう。というか、考えたくない。普通の店で考えれば、どうしてこの店が客が一切入っていないのに継続出来るのか不安で仕方が無い状態だろうけれど、続けていけるのがボルケイノだ。というか、うちだからこそ続けていける――と言えば良いのかな。

 カランコロン。

 来客を告げるドアの鈴が鳴ったのは、ちょうどそのときだった。

 さすがにケイタもこんな時間に来客があるとは思わなかったのだろう。急いで宿題を仕舞い込みつつ、いつもの挨拶をしていた。


「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」


 入ってきたのは、和服の少女だった。紫と白のグラデーションが艶やかな和服だった。金色の髪は後ろの方で括られており、赤いかんざしが刺さっている。唇も仄かに赤い口紅が塗られていて、どこか妖艶な風貌だ。

 少女はゆっくりと歩きつつ、カウンターの席に腰掛ける。


「いらっしゃいませ。少々お待ちくださいね」

「あらあら。そんなに慌てる必要なんてありませんよ。ゆっくり作ってくださいね」


 そう言って、少女は微笑む。急にそんなことを言われたからか、すっかり話のペースは客に取られてしまっていて、ケイタはたじたじになっていた。何というか、あんなあいつを見るのは久しぶりだな。

 さてと。

 私もそろそろ動き始めないとな。お客さんの食べたいものをいかに素早く作るか。それが私の仕事だ。今はシュテンもウラも居ない。だから己の身体しか使えない状態だ。まあ、いくら従業員が増えたからといってこういう時はちょくちょくやってくる。だから普段と変わらないような感じではあるけれど。赤字なことには変わりない。残念なことに。


「さて、食べたいものは……」


 私は直ぐにその『能力』を発動させる。

 その人が、今食べたいものを当てる能力。

 ほんとうにこの能力は便利だ。というか、この能力を与えられた今の私は天職と言っても過言では無いだろう。まあ、枷はいくつかあるわけだけれど。


「……成程」


 ものの数秒で、食べたいものの解析を完了。

 それにしても偶然とは面白いものだな。さっき作ったばかりだから材料も直ぐ傍にあるし、そもそも調理に使う器具も片付けは終わっているとはいえ、直ぐに用意出来る状態だ。これならあっという間に出すことが出来るはずだ。

 そう思って、私は調理をはじめるのだった。


 ◇◇◇


「……お待たせいたしました」


 私はケイタに食事を持たせた後、こっそりと眺めることにした。理由は単純明快。もし私の見立てが正しければ、あの少女は――あの少女と、私は一度出会ったことがある、そう思ったからだ。

 だから、それを確かめるべく――私はケイタの裏に回っている、というわけ。もちろん、ケイタには気付かれないように視覚機能を阻害する魔法をかけている。ほんと、魔法の素質がない人間は術にかかりやすくて助かるよ。

 ……おっと、これは差別発言に取られかねないな。とりあえずいったん保留しておこう。


「いただきます」


 少女は箸を手に取ると、ゆっくりとそれを見つめた。

 少女の目の前にあるのは、いなり寿司が二つ。

 箸でいなり寿司を丁寧に取ると、それを口に放り込んだ。もちろん、それは少女の口に入る大きさではないことは重々承知している。残念ながら、ここにやってくる客って男性客が多いのよね。だから、どちらかというと大きい……サイズになってしまうのよね。それについては理解して貰うしかないけれど、予め知っている客はそれを把握しているから「今回は小さめで頼むよ」とシニカルに笑いながら言うのよね。誰とは言わないけれど、いつもパフェを注文する羊使いの人とかはたまにそうしているわよ。


「……美味しい。やっぱり、この味だ」


 少女は何かを理解したかのような、そんな頷きを一つした。

 ん? もしかして誰かから見聞きしたのか。それとも一度このボルケイノにやってきた、とか? いや、それは有り得ない。なぜそこまで言えるか――というと、私は物覚えが良いほうだからだ。確かにすべてを覚えておくことは出来ないけれど、とはいっても、忘れてしまうことも少ない。

 しかし、あんな子供がボルケイノに来たことはあっただろうか? 確かあれくらいの子供だと、私が見知っている範疇ではミルシアくらいしか知らないはずだったが……。


「ごちそうさまでした!」


 気付けば少女はすっかりいなり寿司を食べ終えていた。何というか、あっという間だ。早業と言っても良いだろう。なぜそう言ったかと言えば、ゆっくりコーヒーを嗜んでいる(仕事中に何しているんだ、あいつは)ケイタが目を見開いてしまうくらいだった。

 少女は落ち着く間もなくポケットから銀貨二枚を取り出して――銀貨二枚だと?

 いくら何でも、そのいなり寿司には合わない値段だ。確か、いなり寿司だけなら銅貨六枚で良いはずだ。ちなみに銅貨一枚はケイタの世界では『ヒャクエン』というらしい。分かりづらい単位だが、まあ、あいつの世界に行くことはもう二度とないだろうから別にそこまで気にすることもないだろう。


「お釣りを用意するのでお待ち下さい」


 まあ、ケイタもその価値に気付いていることだからあまり呵責しないことにしようか。


「いえ、大丈夫です」


 ケイタの行動を、少女は言葉で遮った。


「え?」

「……私を助けて下さった、あのメイドさんのためならば、それほどのお金は無駄ではありません」

「やっぱり、そうだったか」


 私は、気付けばその言葉をぽつりと口にしていた。


「え?」

「え?」


 ケイタと少女は同時に私の方を向いて、そう言った。

 不味かったかな。表に出るつもりはなかったのだけれど、まあそこまで気にすることでもない。今更隠れたってもう遅いし、それを気にするほど私は小心者ではない。


「……ずっと気になっていたんだよ。こんな子供がボルケイノに来たことがあったか? ってね。まあ、ミルシアとかは居たかもしれないが、でも、それは少数派だ。だから、だからこそ気になっていたんだよ。このお客さんは誰なんだ、って。普段はそんなこと気にもとめないし、プライバシーの侵害に繋がるわけだけれどね」

「なら、どうして……」

「確信があったからさ。それは、来店時には証拠なんて一つもなかったことだったけれど」


 それは、例えば『食べたいと思ったメニュー』。

 それは、例えば『最後に伝えたその言葉』。

 仕草や言葉の一つ一つから、予想は確信へと変化する。


「じゃあ、それはいったい……」

「実はさっき狐の親子に食べ物を分け与えてね。ま、おかげで昼飯を食べるタイミングをすっかり逃してしまったわけだけれど。そんで、もう一つ。確か狐には姿を変えることが出来る……正確に言えば、錯覚を見せることが出来るんだったかな? ケイタの世界にもかなりの逸話が残っていたはずだけれど」

「じゃあ、もしかして……」

「そういうこと。彼女は狐、それにしてもまさか恩返しでやってくるとはね。律儀な狐も居るものだね」



 ◇◇◇



 後日談。

 というよりも今回のオチ。

 結局、自らが正体を明かすことはなかった。けれど、やっぱりあの少女は狐で合っていると思う。いなり寿司を食べたかった、というのもその点に挙げられるだろうしね。

 余談だが、ケイタの世界でも油揚げは『きつね』のことを言うのだとか。初めて知ったけれど、実は私の世界もそうだったりする。案外常識が似通っているんだよな。……実はルーツが一緒だったりして? まあ、そんなことはないか。

 そんなことはあっという間に流れ去って、今日もボルケイノは営業するのだった。

 ……なんか、テンプレートっぽい〆だけれど、たまにはそれも良いだろう?

 私は誰に問いかけるでもなく、そう呟くのだった。



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